「ほぼ日」には、まいにちたくさんのメールが届きます。
みんなで読んで、
「この感想はうれしいなぁ」とか、
「なるほどこういうご意見も」とか、
「このばかばかしさは素晴らしい!」なーんて、
しょっちゅう、よろこんだり、びっくりしたりしています。

「これ、乗組員だけで読んでるのはもったいないよねぇ」
というようなお便りは、
ときどきここでご紹介していきますね!

今日のダーリン「死のことを考えています。」

 

こんにちは。です。

2月14日と15日、糸井重里は、めずらしく2日続けて
同じテーマで「今日のダーリン」を書きました。

それは、「死」について。

とても大きな反響があり、
たくさんのメールが届きました。

大切な方の死に臨したときのこと、
患っている家族の延命や治療のこと、

そして、まさにいま、
期限を宣告されたり、考えざるを得なくなっている
自らの命のこと‥‥。

ほとんどすべてのメールが、
静かな語り口であったことに驚きました。

ほんの一部ですが、ご紹介します。
その2日分の「今日のダーリン」に続いて
お読みください。

・「ほぼ日」をはじめてから、
 ぼくは何度も「死」について書いてきた。
 軽々しく口にするものではないと言われることばだが、
 人というのは、幼いころからずっと、
 死について考えているものだ。
 遠く近くの、さまざまな死に出合うし、
 死というものの不可解さを考える機会はいくらでもある。

 「どうして死んじゃったの?」という問いに対して、
 その「どうして」のところを答えるのは、とても難しい。
 どうしてという「原因」ならわかりそうだけれど、
 どうしてという「理由」はないのだ。
 「どうして生まれたの?」への答えも同じことだ。

 生まれて、死ぬ。
 そういうふうにできている。
 できるだけ、そういうふうに考えるようにしているが、
 死のことを、もう考えなくていいとは、
 どうしても思えない。

 いまのところ、ぼくにとっての死というものは、
 別れることのさみしさであるようだ。
 痛みだとか苦しみは、死につきもののように思えるが、
 ほんとうは無くてもいいものだ。
 死を恐ろしいもののようにイメージするのは、
 決して生を肯定することの手伝いにはならない。
 痛いのも苦しいのも無くして、そのときを迎えたい。
 死ぬときを早めるような痛み止めをもらってもいい。
 ぼくが死にたくないのは痛いからではないようにしたい。
 みんなと別れたくないからだと、思ったままでいたい。

 いま生きているぼくは、
 ぼくのからだが占めている空間の分だけ、存在している。
 空間のほうが、ぼくの占めていたはずの穴を、
 そのまま認めてくれるなら、ぼくはそこにいられる。
 つまり、その、えーっと、おぼえていてください。
 おぼえていられるうちは、みんなといられる。

 それにしても、たくさん死に出合うものだ。
 いのちは、生きて死ぬものだけれど、別れはさみしい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ひとりの時間に、そういうことを書ける幸せもあります。

 (2018年2月14日「今日のダーリン」より)

 

・昨日、この『今日のダーリン』で、
 死ぬということについて書きました。
 くり返すようですが、ぼくが死について
 考えたり書いたりするのは、ほんとうに日常のことです。
 しかし、たくさんの人が読んでいる場でそれをすると、
 「なにかあったんですか?」とか「大丈夫ですか」とか、
 心配していますの声がむやみに届くこともあります。
 ところが、今回、そういうメールはほとんど来なかった。
 みんなが、それぞれの体験や死生観を、
 おちついて書いてくれたメールが届いたのでした。
 「ほぼ日」という場も、成熟してきたのかもしれません。

 「心配してます」の声が押し寄せてくると思うと、
 いろんなことが言いにくくなるものです。
 死について考えたり話したりしたいだけなのに、
 同情や心配や助言や御意見などが何通もきたりすると、
 なんかある種の騒乱状態になってしまうのです。
 ぼくがよく使う喩えで言うならば、
 「みんながサイレン鳴らして走り回ってる状態」は、
 だれも救えませんし、考えることのじゃまになります。
 ぼくは、いま健康で元気で、死のことを考えています。
 ただ、健康でなく元気でもないときにでも、
 死のことを考えて原稿を書きたいとも思っています。

 じぶんがやがて死ぬということについて、
 できたら、ある程度元気なうちに
 ぜひやっておきたいことがあります。
 それは「こうなったら、もう楽にしてくれ」という
 「本人の意思」を記録しておきたいということです。
 痛かったり苦しかったり意識がなかったりの状態で、
 もしかしたら息を吹き返すという可能性を「信じて」
 いのちを長持ちさせられるなんてことを、
 ぼくは(あくまでも、ぼくはね)望みません。
 その判断を家族も医師もやりにくいとも思うので、
 「本人」として「こうなったら、もういいよ」
 という境界線を決めておこうと思うのです。
 なんなら、関係する人への「命令」としてでもいい。
 「1分1秒でも長く生きてほしい」なんて馬鹿なことだと、
 ぼくは(ぼくはね)、いまから言っておきたいです。
 こういうことについて、なにか特集もできるかもね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「長く生きたいのではなく、よく生きたい」と思います。

 (2018年2月15日「今日のダーリン」より)

 

メールアイコン 今日のダーリンは、
まさに今私が直面していることです。

一年半前に突然悪性リンパ腫を宣告されました。
10年間母、妹、夫、父の介護を一人でしながら
私なりに精一杯やって来たので、
みんなが感謝して旅立ちました。

やっとこれから自分の時間が持てる、
って思った矢先だったそれは一年半だけでした。

それと同じ時間を辛い治療に耐えて、
常に笑顔で前向きに頑張って来ましたが、
もう私に残された時間はわずかだと言われ、
半年前から自分の気持ちを
子達に伝えるべきだと考えて、
葬儀からそのあとの相続やあらゆる手続きを
簡素化するための準備をほぼ終えて、
今は気持ちもスッキリしました。

もし自分がこんな病にかからなかったら、
恐らくみんな後回しになっていたと思います。
先生にも看護師さんにも、
色々考える時間が出来て良かったね、
って言われました。

夫が突然逝ってしまったので、
父を見送ったら私はいつお迎えが来ても
あの世で又みんなに会えると信じています。

楽観的だと言われますが
私はそう信じているので、
死に対して何の恐れもありません。
ゆっくり考える時間を過ごせ私は
幸せだと思います。

(68歳女性より)



メールアイコン 仕事柄、人の生死にかかわる事が多いのですが、
いつも常に死と向き合う事の難しさを
ひしひしと感じています。

私は看護師なのですが、
こういう仕事をしていると、
医療が発達したこの時代における人の死とは
なんとも不自然というか、なんというか、
言葉は悪いですが
なかなか死ねない時代になったんだなぁと
日々感じます。

人は誰でも生まれた時から
死へと向かって生きている。
だから、日々1日1日を
大切にしなければならない。
なんて事を学生の時にならったのを
よく覚えています。

生とは死を受け入れ全うする事だとか。
でも、その時はそれほど
深くかんがえていなかったというか、
死に触れる機会も少なかったので、
想像も及ばなかったのですが、
看護師も10年以上やっていると、
この言葉の意味も
以前より深く考えるようになりました。

死を受け入れるのは、
なかなか出来ることではないと思うのです。
でも、誰もが死ぬなら痛くなくて
苦しくなくて、ぽっくり家族に見守られて
死にたいとおもうとおもうのです。

でも、今の時代は機械が発達し、
自分は自然な死を望んでいても
家族がノーと言えば、本人の意識がなければ、
機械に生かされて、自分の死を受け入れる事すら
叶わない事もあります。

長生きできるのは幸せなことです。
それが健康で、みんなが苦しくなくて、
つらくない最期を迎えられれば
より幸せなのになぁと思ってしまいます。

大切な人の死を受け入れることは
自分の死を受け入れる事と同じくらい
辛いことですけれど。

なにを書きたかったのか上手く伝わらなくて
もどかしいですが、自分が自分らしく
最期の時を大切な人と迎えられるような世界に
なってほしいですね。

(a)



メールアイコン 昨夜、共に暮らしていた老犬が
亡くなりました。
心臓を患って1年半、
薬を飲むことで生きながらえて
15歳の誕生日を迎え、やれやれと思った矢先。

薬をもらった病院からの帰り道で
突然様子が変わり、
引き返して再び向かった病院への到着直前に
車中で息を引き取りました。

どうしようか迷った末、
やはり病院の先生に
さいごの顔を見ていただいてから
家に帰りました(そうして良かったです!)
昨夜は一睡もしていません。
普段は夜ごはんを食べると
ばったり寝てしまうのに
ニンゲンっておもしろいですね。
しっかり起きていられるし、
こうしてメールも打てています。

いつものようにぐーすか寝ているような顔をして
横たわっている茶色のわんこはもう、
明日になるとその姿を変えてしまいます。

火葬をいつにしようか考えて、
名残り惜しいですが明日の朝に
ペット霊園の予約を入れました。

死は、会えなくなるのがさみしいですね。

でも楽しかった思い出はずっと消えません。
思い出せばまた、いつでも一緒にいられます。
ただただ、出会いにありがとうしかありません。

「死」について軽くささっと話すのも
時には悪くないかなと思いました。

(イノちゃんあっぱれ)



メールアイコン 母が昨日脳の手術をしました。
乳がんからの転移でした。
手術は成功しました。
でも、死ぬまでがんと付き合っていく母は
どういう気持ちなのか、
わたしは(少なくともわたしは)知りません。

母は、乳がんの可能性に気づいてから
1年以上隠していました。
やっと家族告白したときには、胸は
もう、酷すぎる状態でした。

抗がん剤治療で、副作用とたたかいながらも
2年後には、胸のがんは
驚くほど小さくなっていました。

母も、家事ができるようになり、
これまでの生活に戻りつつありました。

あるひとは
「まだ死ぬのには早い年齢だからね」
と言いました。

わたしにはその言葉の意味するところが、
よくわかりませんでした。

母が、がんを隠していたとき
副作用でしんどいかったとき
1時間以上かけて通院をしていたとき
脳に転移してだんだん手足が
動かなくなってきたとき
手術をするためにまた入院したとき、

どんな気持ちだったのか、わたしは知りません。
父でさえ、「母の様子」は知っていても
「母の気持ち」は知らなかったと思います。

いまも、本当に
母は、心から生きたいと思っているのか
わかりません。

「いや、普通は元気になりたいでしょ?」
「そりゃ、長生きしたいでしょ?」

本人でないひとが言う
これらの言葉に、とても違和感があります。

母がどう思っているのか
ただ知りたいです。

生きたい、でも、死にたい、でも、
めんどくさい、でも、まあまあ、でも
何でもいい。

母に生きていてほしいと
思う前に
母がいま、どういう気持ちでいるのか
知りたいです。

長く生きることが全てにおいて正解だとは
わたしも、思いません。

糸井さんが、言葉にしてくれたこと、
感謝しています。

(l)



メールアイコン 私の母が闘病中に病院の看護師さんから
「もしもの時の延命措置はどうされますか?」
とハッキリと聞かれ‥‥
「一度、人工呼吸器を着けると外せません。」
とこれまたハッキリと言われ‥‥
テレビドラマのようだわ〜と
現実逃避していると、
一緒に聞いていた妹が間髪入れず
「しません。」とキッパリ‥‥

「そんねん、慌てて返事せんでも‥‥
 おっ父ちゃんの気持ちも聞かんと!」
横で父は無反応。
母は亡くなりましたが、
あの時の妹の潔さには驚かされました。

母も納得していると思いますし、
私自身も絶対に延命措置はして欲しくないです。

(f)



メールアイコン 1ヶ月前に母を突然亡くして、
死について考えてばかりいます。

母は本当に元気な人だったので、
家族も友人も近所の人もみんな
すごく驚いていたけど、
母本人が一番驚いたんじゃないかな、
と思います。
自分が死ぬなんて
1ミリも思っていなかっただろうから。

母は、小鍋に水といりこを入れて
出汁をとっていました。
お昼ごはんか晩ごはんに
何か作るつもりだったのでしょう。

とにかく突然だったので、
日常から母だけがいなくなって、
でも、生活の痕跡はそのままで。

私は遠方で暮らしているので、尚更、
母が死んだことが受け入れられません。
母の亡骸も見たし、お葬式もしたし、
灰になったところも見たのに。
今も、普通に朝起きて、
台所に立ってごはんを作り、洗濯をして、
横になってテレビを見て‥‥
電話がかかってきたりしそうで。

それが、覚えているということなのでしょうか。
ただ、毎日の暮らしは続くので、
一日のうちのほとんどは
思い出すこともありません。
ふと、思い出して、
ああ、母はもういないのだと。
この繰り返しです。

頭ではわかっているけど、
心が母の死を受け入れられない、という感じ?

母が亡くなるまでは、
天国とか魂とかの存在も
なんとなくあるのかな、と思っていましたが、
亡くなってからは、そんなもの
生きている人間が考えたものじゃないか、
虫や鳥や魚が死ぬのと同じように
人間も死ぬんだ。
プツンと突然終わるのだ、
と思うようになりました。

母は死ぬとき、何を思ったのかな。
たぶん、死ぬとは思っていないから、
救急車で運ばれて、目が覚めたら病室かな?
とか思っていたのかな。

私も母が死ぬなんて思っていなかったから、
最後に何を話したか?なんて覚えていません。

私はずっと死ぬまで母の死のことを
考え続けると思います。

(b)



メールアイコン 「長く生きたいのではなく、よく生きたい」
と思います。
ということばが、胸にスーッと入ったのでした。

わたしは、癌が転移し、まあある意味で今、
死に直面しています。

5年前に癌が初めて見つかったとき、
初めて自分の死を考えました。

だから、今は2度目の、
死ぬこと生きること考えタイム、です。

この、1度目、2度目の違いが
わたしはおもしろいのです。

1度目は、スッキリ前向きな気持ちで死にたい、
と思いました。
好きな人と結婚して、好きな仕事して、
欲しかった子供が2人も生まれて、やりきった。
ただ、子どもと夫、ごめん。
そんな気持ちです。

2度目は、死にたくないー! と
ジタバタしながら死にたいです。
もっと生きたい。
子どもの卒業式見たい。
新しい仕事したい。
沖縄行きたい。
夫とおしゃべりして
じいさんばあさんになりたい。
両親看取りたい。
孫の泣き声聞きたい。
みんなのこと置いていけない。

たぶん、
わたしはあと何年か生きます。

死のことを、ふつーに考えたりしながら。

死のことを考えるって、
生き方が見えてくるからおもしろい。

わたしも、よく生きたいです。

(h)



メールアイコン 79才の母親ですが、半年前より、寝たきりで、
自分では、寝返りも出来ない状態でした。

その母が先月末、誤嚥性肺炎で、
救急車で運ばれました。
幸い肺炎は治りましたが、医師曰く、今後、
口からの栄養摂取は誤嚥の可能性があるので、
無理です。胃ろうの処置をし、
胃から無理やり栄養を入れ、
少しでも寿命を延ばすか、点滴で、
自然死まで持たせるかと決断を迫られましたが、
どちらにしても、今の寝たきりの状態から
良くなる見込みはないとのことでした。

娘としては、どんな形であれ、
いつまでも生きて居てほしいと、望みました。
家族親戚、そしてわずかに表現する母は、
胃ろうを拒否しました。

私は何度も「お母ちゃん、もう少し
頑張ってみようや」と声をかけました。
でも、首を横にふる。
「もう何もせんでええけぇ!」ふだんは、
返事もままならない母が、この問いには、
ハッキリと答えました。

結局、医師には胃ろう措置はお断りしました。
「自然に任せます」と、答えてしまってからは、
気持ちが塞ぎこんでしまい、
何事も手につきません。
母の顔を見ると悲しくなります。

そんな時、今日のダーリンの記事を読み、
思わずメールしてしまいました。
やっぱり私が母の立場であっても、
延命措置は拒否するでしょう。。。

まだ、心は落ち着かないのですが、
お別れの日まで毎日
「産んでくれてありがとう。」
「育ててくれてありがとう。」
「いつも支えてくれてありがとう。」
などなどなど、ありがとうの言葉を
声かけしてます。
見送ってあげたいと思ってます。

(y)



メールアイコン 父が交通事故で亡くなりました。

病院に着いたときには、脳の損傷がひどく、
回復の見込みはないと、
はっきり告げられました。

心臓は力強く動き続けていました。
私たち家族は、医師に、父の命を繋いでいる、
機械を外すか否か、考えるよう言われました。

糸井さんの文章を読んで、
そのときのことを思い出しました。
こんな酷な決断させるなんて、
お父さんはひどい。

でも、考えること、頭を使うことを
大切にしていたお父さんが脳を失って
生きたいとは、思わないだろう、とも、
あのとき思いました。信じて待ちたい、とも。

決断はできなかった、というか、幸い、
というのもおかしいけれど、
父は自分で心臓を止めました。

何が言いたいのか
自分でも分からないのですが。
生き方、死に方、全部自分で背負いたい。
もっと正直な言い方をすれば、
自分ではない誰かの生き方、
死に方を背負うのは苦しい。

(m)



メールアイコン 今年、定年を迎える看護師です。

ある時期、訪問看護にも携わり、
多くの方のお看取りも
経験させていただきました。

ご自宅での最後の時間は、
偽りのない生き生きとした真実の時間、
誰もが別れを惜しみ、旅立つ人を
いとおしく思う、温もりのある時間なのです。

時には、30歳代で癌を患った母親の死を
3人の小学生の子供と夫、医師、看護師で、
お看取りしたこともあります。

その光景を想像することは、
難しいかもしれませんが、
だんだんと意識が薄れ、呼吸が浅くなり、
ゆっくり、ゆっくりと人生を終えようとする
母親の姿を、子供たちは目をそらさず
しっかりと見つめ、「お母さんすごい!」と
称賛したのです。

そして医師に
「お母さんは、死んだの?」と尋ね、
「そうだよ」と言われると
どこからか母親の身に付けていた
アクセサリーや、花火大会に着ていったという
浴衣を母親の枕元に持って来たのです。

とても寂しく悲しいことなのだけれど、
子供たちは事実から目をそらさず、
今、自分の出来ること、
自分が母親にしてあげたいことを
自然にしていました。

彼女は、病気になり治療の限界が見えたときに
夫と話しあい、少しでも長く
子供たちと一緒に過ごすために
在宅医療を希望され、
痛みのコントロールを受けながら
在宅で最後まで過ごされました。

そんな中で、子供たちにとって、
「母親の死」は、自分たちの日常生活の中に、
身近な出来事として残りました。

(5)



メールアイコン 先週火曜、祖母が亡くなり、
つづいて一昨日、祖父が亡くなりました。

どちらも高齢で、在宅での看護が不可能になり、
それぞれ年末からと半年前からと
病院に入っており、病室で息を引き取りました。

生前祖母はよく
「わっちはおとうちゃんに面倒みてまう」
と言っていました。
祖父は若い頃結核を患ったりして、
小さい子どもを育てながら、
祖母はいろいろと苦労したようです。

老々介護で5年前から寝たきりになった祖母を、
祖父は本当に献身的に世話しました。
それもとうとう半年前限界を迎え、
祖父は施設へ入所しましたが、
すぐに誤嚥性肺炎になり病院へ運ばれました。

週明けにドクターと話す予定が、
週末の間に容態が急変し、
気管に挿入することに。
延命拒否を伝える間もなくでした。

先週祖母が亡くなり、
役所での手続きが終わったことを聞くと、
祖父は安心したようで、翌日に亡くなりました。

延命拒否を伝えられていたら、半年前、
祖父は祖母より先に
息を引き取っていたはずです。
でも結果的には、偶然にも延命拒否が
ドクターに伝わらず、半年間ベッドの上で
苦しかったと思いますが、
祖母が先に息を引き取りました。
看取るとは違うけれど、ちゃんと
祖母のことを待っていてくれたのです。

本当に仲の良い夫婦でした。
通夜の後、棺の中の祖父は
見たことないくらいの笑顔でした。

久しぶりにほぼ日を読んでみたら、
ちょうど死についてでした。
延命拒否でも、時には何かの偶然で
延命措置に入ってしまい、でもそれがかえって
良かったこともあるのです。

今日は葬儀。
おじいちゃんの思い出をみんなで語り合って
いっぱい泣いてきます。

(yu)



メールアイコン 54才女性です。
25才の息子の心臓移植待機に寄り添って4年半、
ずっと入院生活。

ほかの家族を長野に残し
都内で待機する日々です。

待機中に何人もの若い人が
待ちきれず体調を崩し旅立っていきました‥‥
あまりにも若い。

でもみんな最後まで真っ直ぐに闘っていました。
息子も然り、長期間のため
ギリギリの綱渡りです。

そんなことを目の当たりにし、
生きている長さでなく
どう生きたかだとつくづく考えます。

(ha)


ありがとうございました。

わたしたちはこれからも、
このことについて考えていきたいと思っています。

2018-02-17-SAT

postman@1101.com宛てのメールは、
乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
また、掲載されては困るメールには、
「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
使用する場合に
編集等をすることがあるかもしれません 。

これまでの「postman@1101.comから」