POMPEII
「ポンペイに学べ」
青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。

第5回 解決不可能・不完全さ
    
[今回のみどころ]
前回の脱線の度が更に進みまして、
今回のふたりは、流行についてから話をしています。
あとは「モデル」や完全さと不完全さについてなど。
「おいおい、ポンペイはどこに行った?」
と思うひとがいるかもしれないですが、大丈夫だよ。
これらはぜんぶ「未来」「ポンペイ」につながるの。

青柳 流行という言葉がありますよね。
「はやり」、これはローマの前史の
ギリシャではあんまりなかったんですよ。
美術でもいったんあるものを表現できると、
今度はいろいろ他のかたちで表現したくなる。
だから男だけを裸にしようというんじゃなくて。
糸井 最初は男だけだったんですか?
青柳 そうです。それで女の裸も表現しはじめてます。
要するに、何かがはやりだすと飽きが来ます。
飽きが来るのが流行の原因なんです。
流行というものを社会的に見間違えたところから
今まで続いてしまっているわけだけど、
ぼくも流行については「あるものは認めろ」
というようなものだと思うんですね。
これからもわれわれには飽きが来るから、
また違うものが来る。そして広い意味での作家は
前とは違うものをつくらざるをえなくなって、
そのために苦労していくというこの構造を、
われわれの社会は本質的に持っていますよね。

この流行を否定することはもうできないんです。
今の「山姥」の女性たちを見ても
われわれはだめだとは言えないと思いますよ。
糸井 あれを否定したときに「それじゃあこれだ」と
オルタナティブなアイデアを出せるかと言えば、
そんなのは出せないわけですよね。
山姥を批判した以上は批判したひとが
違うアイデアを出さなきゃいけないんだけど、
これは、やれるわけがないんです。
人間っていうどうしようもない生き物に
「全部ここについて来い!」と言うことなんて
できるわけがないというのは、ソ連崩壊のときに
もうよくわかっちゃったんですよね。
青柳 日本で残念に思うのは、政治家についてです。
そういう流行を認めていかなくちゃいけないし
それを前提にしていい方向にしてもらいたい。
こういう舵取りをするのが政治家だと思うんです。
ぼくは政治にはまったく興味がないんですけど、
日本の政治家もかわいそうだなあ、と思います。
なぜかというと、いい政治家を輩出させるには
いい「政治家の教室」が必要なわけですが、
その教室というのは何かというと、
民族問題と宗教問題と国境問題があることで・・・。
糸井 民族問題と国境問題と宗教問題、おおー。
青柳 歴史的に言って、
そういう解決不可能な環境のなかで
はじめて政治家というものは育つんですね。
だから日本の政治家が悪いのではなくて、
解決不可能なところで育っていないからなのです。
だからわれわれは政治家に対して
過大な要求をしてはいけないわけですよね。

そこで誰が社会的なシステムを提示するか、
そこでアメリカやイギリスでは
シンクタンクに情報が集まるような、
たとえば保険会社などを持っています。
日本には国際的に通用するシンクタンクが
残念ながらまだひとつもない。
日本には何があったかというと官僚システムで、
官僚って日本の官営シンクタンクなんですよ。
そのシンクタンクが今死にかけているので、
日本をいつかは乗り越えようとしているか、
あるいはもうすでに追い抜いている周囲の国が
日本が自滅してくれてると非常によろこぶんです。
手をつけなくてはいけないのは確かで、
小さな政府にならなければいけないんだろうけど、
そうしたらどこかでシンクタンクになる
官僚以上の組織がしっかりつくられないと
いけないなあという気がしますね。
糸井 今のシンクタンクは企業から注文を受けていて、
発注を受ける大工さんのようなかたちですよね。
その大工さんが報酬を得られる仕組みのために
マクロの見方を思想として提示しなければ
いけないからそうしているというだけで、
果たしてこのサイズでシンクタンクをうまく
運営できるかというと、難しいと思います。
基本的には施主が民間にある私企業ですから、
「ある企業のために」と考えたときには
ある限度を超えて考えてはいけないんだ、
という仕組みにある程度ならざるをえない。
シンクタンクのひとが情報ソースを取ってくると、
人間を点に数えて上から動きを見るまでには行く。
流体力学を応用するところまでは行ってるけど、
でも石や水じゃない人間たちは、
不慮の行動を取るわけですよ。
不慮は不慮で、こちら側としては別勘定で
別プログラムをつくってわかろうとしているけど、
そうじゃなくて現状をどれだけマクロに見ようが
人への見方みたいなものをもう少し鍛えなおして、
マクロで見ているひとが自分のお客さんを
どれだけ認識できるかっていうのが、
たぶん俺、次の鍵じゃないかなと思うんですよ。

昨日眠りを専門に研究している先生に
行って話をうかがってきました。
このひとサイエンティストなんですけど
認識がすばらしい。不完全な生き物である人間、
という前提をされているんですね。
人間は生きのびてきたというのは
不完全な生き物だったからなんだと言う前提で。
人間の生態リズムは25時間ですよね。
でも、自然のリズムは24時間。睡眠ひとつでも
毎日1時間ずつ遅刻するのが一番リズムにあう。
ところがあわないので人間の苦しみが生まれる。
この発見をしたのが解剖学の三木成夫さんですね。
三木先生の理論というのはこうまとめるんです。
「24時間の自然のリズムにぴったりの人間が
 生きてきたんじゃなくて25時間にずれた
 不完全さをベースにした種族だけが生きのびた」。
青柳 おもしろいですよね。
糸井 睡眠の先生とお話をしていると、
ぜんぶそういう思想がもとにあるんですよ。
これはマーケティングなんかやるときには
いちばん不都合なやりかたなんですけど、
やっぱりじーんときちゃうんですよ。
それ、青柳先生のポンペイがつながってる。
シンクタンクの外堀のあたりにいるひとが
いっぱいいて、そこを発言する場所ができて
それをちゃんときく場所ができたら
おもしろいなあと思うんですよ。
青柳 ネパールなんかに行くと、寒い鉱山で
生き抜くために自分自身を温室のように
おおっちゃう植物があるんですよね。
そこで胞子などの重要な部分を保護するので
けっこう強い。これは明らかに24時間なら
24時間として設定したタイプの植物ですよね。

地中海世界の人口で言うと、
人の数は2000年前には4〜500万人だった。
現在には約2億5000万人くらいのひとが
あの周辺に住んでいるので、5倍くらいです。
もし進化生物だったらそれだけの短期間に
こんなに増えっこないんですよ。
そういう意味では下等動物なんです。
地球上の生物の動物の総重量の約25%〜30%まで
来ているものが、何万年か前までは全体の1割を
きっていたわけです。「鼠算式に増える」なんて
言うのはとんでもない話で、人のほうがすごい。
糸井 よく断食道場に行ったひとが
山降りた途端に病気になるんですよね。
不純物の一杯入ってるところに戻るから。
自然食おたくのひとって病気しますよね。
こういうこと言うと怒られなんそうだけど、
完成形に近づこうと思うほど、不完全なところが
こぶのように出たりするんですよね。
あるモデルがあってそのモデルに
近づこうとする哲学ってあるじゃない?
この考え方がとっくに通用しなくなっているのに
先生というひとが立派な人間図を考えては
「みんなでここに来るように勉強しましょう」。
科挙もそうでしょ? でも本当は違うよね。
ポンペイで言うと美の基準が勝手なんです。
ぼくは、既にあそこではモデルから外れることが
行われていたというような気がするんですよね。

[第5回目のひとくぎり]

はい、最後にポンペイに戻ってきました!
完璧なひとつのものではないものを
求めるものとしてのポンペイって、何か?
これは次回につづいていきます(ひっぱった)。

(つづく)

2000-02-05-SAT

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