POMPEII
「ポンペイに学べ」
青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。

第3回 現代って何だろう?
    
[今回のみどころ]
ふたりの話はポンペイの歴史を探るところに進みます。
青柳教授の歴史研究の動機や観点は何なのだろうか?
ローマ史を見ることで見えてくるものは、何?
そのあたりをきっかけにして今回のふたりは、
熱を帯びながら「豊かさとは何か?」を語っています。

青柳 今糸井さんがおっしゃったような
3番目のことと合体してるんですけど、
ぼくは学生の頃からまず
「現代って何だろう?」
という命題があって。
糸井 すでに。
青柳 はい。
ぼくが学生の頃には紛争があって、
その当時ぼくは山に登ってばかりでした。
そういうことをやっていたものですから、
ちまたの現代のことというよりは、
ひとつの定点観測になりうる定点は何だろう?
と思っていました。

人間の歴史を考えて大きく分けると、
先史の時代と古代とそれ以降しかないと
ぼくは思っているんですよ。
先史はもちろん文字も金属もほとんどない。
古代は文字を持っていて都市をつくり、
経済システムをつくり法律体系をつくっています。
現代と違うのはガスや電気や化石燃料の技術が
なかったというくらいなんですよ。
そういう前提のうえでの
完成形体は、ローマ帝国なんです。

中世のあと近代主義社会になって
現代になるんだけど、まだ完成形までは
行けてないと思うんですね。まだ先はある。
そこで、われわれの歴史から見ることのできる
ひとつのモデルというのが古代という時代であり、
古代というものの完成形体はローマではないか、、
ぼくはそう思ったんです。
糸井 じゃあぼくが展覧会で持った感想そのままに。
青柳 そうなんです。
いみじくもおっしゃったんですね。
それ以前にぼくは個人的にルネサンスの時代の
美術なんて研究してみたかったんですけど、
時代が新しくなればなるほど
ひとりの人間の生きざまや生活など、
そのひとの持つ個としての特殊事情によって、
かなり左右されますよね。すると矮小化されて、
つまらないところまで立ち入ってしまいます。
糸井 枝葉の研究になるよね。
青柳 それはどうも体質にあわないと思って、
それでローマをはじめたんですね。
糸井 完成形がローマだと思ったのは
研究しはじめてからですか?
青柳 研究しはじめてからです。
誰もが感じるんだろうけど、
ある予感というかぼんやりとした見通しは、
学者の場合には特に絶対必要なんですよ。
まだ勉強していないけどここを突っつけば
どうにかなるんじゃないかなあという勘が、
少しは当たったわけです。
糸井 そうすると古代ローマ時代が
人類史にとってある種の完成形なんですか。
こないだ青柳先生と話したときには
人類史上の天才という話になったんだけど、
これがおもしろいんだっ。
ショックをうけるくらいおもしろかった。
青柳 科学史の研究者たちがよくやるのですが、
人類史上の天才100人をトップから並べようと。
そうするとほとんどだいたい誰もが
アインシュタインを80番くらいに置きます。
もちろん日本人は残念ながらひとりもいない。
トップから20番目30番目くらいまでは、
ほとんど古代ギリシャの自然科学者や哲学者で、
アリストテレスなんかがばーっと入ってきて、
そのなかにローマ人は全然入らないんですよね。

ギリシャ人たちが活躍した時代は
紀元前600年代から紀元前200年くらいまでの
約400年ですけど、ただ、当時に
生活レベルが上がったかというと、
これはほとんど上がってないんです。
その当時からギリシャ人たちは
「まずいものしか食わない」って、
地中海世界でも有名なんですね(笑)。
生活レベルで言うとその100人の天才リストに
名前を輩出していないローマ人というのは、
そのギリシャ人の発明したものを
徹底的にアプライしていくわけですね。
応用して利用しつくして
自分たちの生活水準をぐんぐんあげる。
この生活水準はイギリスで産業革命が起こるまで
人類のどこも克服できなかったものなんですよ。
約17世紀くらい克服されないものを築いちゃう。

4〜5年くらい前から日本の教育が閉鎖状態と
言われて、そうすると教育研究者や文部省が
「創造性のある人間をつくらないとだめだ」
と言うけど、創造性って何かというと、
ギリシャ人のような天才をぐんぐん輩出したって
われわれの経済などが好転するかっていうと、
少なくとも歴史上の教訓を見るとそうではない。
糸井 それを知って展覧会場に立つと
「豊かさ」がキーになっているとわかります。
まずいものを食って天才を出した時代があって、
そのギリシャにあるものを追求したところで
何があるかというと、豊かさを求める歴史ですね。
青柳 現代には3タイプの金持ちがあると言われます。
ひとつは南米のブラジルやアルゼンチンのように、
お金さえあればやりたい放題にできるというもの。
2番目はイギリスの貴族の、
衰えたとは言え奥深い金持ちのありかた。
3番目は北イタリアの市民レベルでの豊かさで、
誰もが豊かになれて、豊かになったときには
そのよさをエンジョイできる生活と環境がある。
その点は南仏などよりもはるかに上なんです。

もちろんアメリカの金持ちはこの3つとは
また別ですけど、そのあたりを考えたときに、
例えばローマ時代の1世紀2世紀の頃は
やっぱり古代社会という違いはあっても、
ある豊かさの典型じゃないかと思いますね。
それは奴隷であれば違いますが、市民であれば
今の北イタリアの生活レベルに達しています。
食料が供給されるし生活補助もありますから、
そういう意味での豊かさはあったんですね。
糸井 何よりまず、ぼくらが毎日
うるおいのない生活をやっていまして(笑)、
今仕事をしているひとって
みんなそうじゃないかと思うんですけど、
うるおいを無理やりある時間にかけて、
うるおった気持ちになったら次の仕事に向かう、
そのくりかえしになっていますね。
見本になっているアメリカっていうのも
そうやってうるおいを生活から分断している。
そう毎日感じながら俺は
「ほんとは違うんだろうな」
と思ってるけど、それだけではどうしようもない。
で、あの展覧会に行ったら……。

どう言ったらいいんでしょう?
無駄なものの多さにびっくりさせられるんですよ。
「お前ら装飾しないと生きていけないのか!」と。
あれを見てそう感じるのはやっかみ半分ですけど、
思えばきっとあの時代って、お金のあるひとから
あんまりないひとまで、ほんとに装飾しないと
生きていけなかったんでしょうね。
青柳 そうですね。
もし今のモダンなデザインを持っていったら、
「何だこののっぺらぼうは」と言われますよ。

[第3回目のひとくぎり]

「豊かさって何だろうか」
「うるおいのないなかで生み出していゆくような
 ものではない豊かさは、実際にあるのだろうか」
ポンペイを探る意味というのはそのあたりにありそう。
なんだか切実な話になってきましたね。更につづくよ。

(つづく)

2000-02-03-THU

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