気仙沼のほぼ日便り

中林、西田、
あたらしく「気仙沼のほぼ日」の仲間になった
さゆみちゃんとコイケの4人で
4月14日、15日と石巻へお邪魔してきました。

仙台から車を走らせ松島市、東松島市をとおり、
石巻市に入った時、まず目を奪われたのは
沿岸に積み上げられた
山のような白い固まり。

石巻は漁港としても有名ですが
有数の工業地帯でもあり、
山のような白い固まりは
日本製紙石巻工場で生産された「紙」でした。

眼前に広がる風景を見ながら、
車中がふっと静かになる時間をなんどか過ごして
石巻の街中に到着しました。

今回の石巻訪問の目的は大きくふたつ。
気仙沼を拠点に活動するわたしたちですが
気仙沼以外の被災地を
ちゃんと見ておきたかったということ。

そして、震災直後から精力的に活動をされている
石巻工房そして石巻2.0のオフィスに
お邪魔することでした。

商店が立ち並ぶ一角に
オフィスはありました。

ガラス張りの扉からは
木のベンチとテーブルが見えます。
このベンチとテーブルは
石巻2.0のプロジェクトのひとつである
石巻工房が製作したもの。

クライアントである飲食店が
石巻にあったことがきっかけで
早い段階から現地入りし、
復旧のお手伝いをしてきた
東京在中の建築家芦沢啓治さんが中心となり、
石巻工房は立ち上がりました。

工房にはDIYの工具をそろえ、自力で
修繕や生活必需品を制作できるような
お手伝いをすること、
自由に使える工房という「場」があることで
地域の幅広い年齢層の人々が集まることができ、
コミュニティの活性化に貢献すること
「手づくり」にデザインの付加価値を
与えることにより、
主に地域圏外で販売するための
石巻工房ブランドを立ち上げ、
現金収入を生むこと
などを目的に活動がすすめられています。

石巻訪問の直前に
東京で芦沢さんにお話を伺った時、
僕もあとで知ったんだけれど‥‥
と言いながら話して下さった
とても印象に残ったひとことがあります。

「『DIY』の言葉の意味、知ってます?」

第二次世界大戦時、
ドイツ軍の激しい空襲をうけたロンドンで
破壊された街を自分たちの手で
復興させるという国民運動のスローガン
「Do it yourself」が始まりだったんだそうです。

この言葉が、アメリカにわたってから
「DIY」は「復興」の意味合いから
「週末レジャーや余暇のひとつ」として楽しむ
という概念に変化したのだとか。

「DIY」のはじまりは
「街の復興」ということだった。

石巻工房では、
「DIY」でできるすべてのことを支援していく。
物語がつながっている、
そのことが先々への希望を
感じさせてくれるエピソードでした。

石巻工房という
「場」があったからこそ実現したことが、
もうひとつあります。

「デザインは問題を解決するためにある」
という考えのもと
家具メーカーのハーマンミラー社の
職人、デザイナーが12名
石巻に滞在をしました。

震災から8ヶ月後、
11月13日〜27日までの2週間にわたって
アメリカ、オーストラリア、
イギリスなどから集まった
職人とデザイナーが石巻工房と連携して
家具製作を行ったり、
地元高校生たちとワークショップを行ったり。

そのワークショップを経て、
石巻ベンチと石巻スツールという
商品が生まれました。

話を石巻2.0の活動に戻しますね。
石巻2.0の中には
石巻工房の他、様々なプロジェクトがあります。

石巻中心市街地で空室になっている不動産物件を
オーナーの方々とともに再活用し、
石巻を見に来られたり、
ボランティアで活動される方のための
滞在施設をつくろうという
復興民泊プロジェクト」や
地元酒造の銘酒やオリジナルのカクテルが飲める
復興バー」など。

「復興バー」のマスターでもあり、
石巻2.0実行委員長のお一人である松村豪太さん、
5月から「イトナブ」という
新しい試みを行われる石巻出身の
ウェブディレクター古山隆幸さんに
オフィスでお話を伺ったのですが、
長くなりましたので
お二人のお話はまた明日に。

1日目の夜、
今日という日を振り返りながら
はじめて訪れる被災地である
石巻のインパクトに
強く胸をゆさぶられていたことを
誰ともなく話はじめました。

石巻市に車が入った時、
山のような白い固まりを見て
車中がしーんとした瞬間、
みんなが同じことを感じていたようです。