その27 サハリン紀行
[1]写真の時間がはじまる。その27 サハリン紀行
[1]写真の時間がはじまる。

すっかりご無沙汰してしまいましたが、
皆さん、お元気ですか?

この「写真がもっと好きになる。」という
連載を始めた頃と比べ、
写真を取り巻く状況はかなり変わってきました。
それでもぼくは、変わらず毎日、
しかも特別変わらずに写真を続けています。

今回からは、ぼく自身が今まで経験した、
そしてこれから経験するであろう
“写真が生まれる”現場でのお話を、
少しずつ、して行きたいと思います。

あの“間宮海峡”の夕暮れ時。よく見ると遠くには、一人で蛸取りをするおじさんが。

まず、いくつかの偶然が重なり、
この度、小さな展覧会を開催することになった
“サハリン紀行”のお話です。

“サハリン”は、今でこそロシア領ですが、
かつてそこは“樺太”と呼ばれ、
戦前までは日本の領土でしたから、
今でも日本企業の工場跡や、
日本時代に造られた建物が多く残っています。

けれどもぼく自身にとって、
“サハリン”への一番の興味は、
大好きな宮沢賢治が
『銀河鉄道の夜』を着想した場所だった、
ということでした。

そして、50歳から地図作りを始めた間宮林蔵が
今でもその名前を残す“間宮海峡”を
この目で見てみたかった。

そして、もう一つ。
“サハリン”には、とてもぼくたちに顔が似ている
少数民族がいるということを、以前どこかで目にし、
その人々に会ってみたいと思っていました。
“サハリン”は、実は長きにわたって、
100以上の少数民族が平和に暮らす、
世界的に見ても、きわめて稀な島だったのです。

そんな3つの思いが重なり合い、
「いつか行ってみたいなあ」と思っていた“サハリン”に
2015年末、はじめて訪れることができました。

はじめての場所、はじめてのことです。
そんな時はいつでも“目に入るものは、すべて撮ってみる”
というところから始めます。
すると、自身が勝手に思い描いていたこと、
“撮ってみたい”とか“写してみたい”と
思っていたものとはまったく別の
大切なものに出会ったりするものです。
そんな“偶然”が“必然”に変わる瞬間こそが、
まさに“写真の時間”のはじまりです。

そんな時のぼくのカメラセットは、
標準レンズと呼ばれるおよそ“50ミリ”と、
広角レンズと呼ばれるおよそ“28ミリ”の
組み合わせで始めます。

一般的に“標準レンズ”と呼ばれる50ミリは、
初めて被写体と向かい合ったときに感じた
その印象が写ります。
28ミリというレンズは
いわゆる“広角レンズ”のグループに入りますが、
空のように、広い世界を見上げたときに感じる
ゆったりとした大きな印象が
ちょうどいい感じで写ります。
この2本のレンズがあれば、
具体的にしっかりと被写体と向き合ったとき、
あるいはその周辺の雰囲気を含めてものを見ているとき、
どちらの状況でもストレスがありません。
(みなさんも、この2つのレンズを使ってみてください。
そうすると、他の焦点距離のレンズが
あなたにとってどのような時に適しているのかを知る
ひとつのヒントになると思います。)

今回の“サハリン紀行”は、FUJIFILMの新しいカメラ
「X-pro2」との企画でもありましたので、
基本的には、こんなセットで撮影を進めました。

この35ミリ(カメラの撮像素子の大きさの関係で、「X-pro2」に装着すると54ミリ換算になります)、16ミリ(24ミリ換算)は、どちらもとてもシャープで切れのあるレンズです。特に35ミリ/f1.4というレンズは、個人的にも大好きなレンズとなりました。そして「X-pro2」というカメラも、とても厚みのある描写をするいいカメラですよ。ぼくはこれらを2台一緒に首からぶら下げて撮影しています。ちなみにストラップは、ここのところお気に入りの“ULYSSES”さんのもの。

そんなカメラセットと共に、
ぼくはまず銀河鉄道さながらに夜行列車に乗り、
賢治が訪れた、以前は“栄浜”とよばれていた
“スタロドゥヴスコエ”という港町を訪ねました。

そもそも、宮澤賢治が樺太へ向かったのは、
詩集『春と修羅』を読んでもわかるように、
最愛の妹の魂を追い求めての旅でもありました。
ですので、ぼくもそんな栄浜の浜辺を歩きながら、
「きっと、この浜辺を賢治も、
 悲しみと共に歩いていたのだろうなあ」
と想像したりしていました。

すると、何人かが、冬の寒い浜辺で何かを拾っています。
なんと、この浜辺には“琥珀”が打ち上げられるのです。
ぼくも、まねして目を凝らして見ると、
ありますあります、琥珀がたくさん。
考えてみたら、賢治の故郷花巻も琥珀の産地です。
おそらく望郷の念にかられていたのではないでしょうか。

この浜辺で感じたのは、
サハリンの人々の対日感情は
決してわるくないということでした。
たくさんの人々が、言葉こそわかりませんが、
わからないのに、笑顔で話しかけてくれました。
ぼくは、寒空の中、その中から
とてもあたたかいものを感じていました。
賢治がこの浜を訪れたときはここは日本、
人懐っこさは、もっと強かったかもしれません。
それは勝手な思いつきではあるのですが、
おそらく宮澤賢治も、きっとこの場所で同じように
あたたかさを感じたのではないだろうかと思いました。
“もうひとつの日常”へと向かうあの物語が
この場所から生まれたことは、
偶然ではなかったのだろうと。

曇り空の中から、その雲間からゆっくりと日がこぼれ、やがてあたりを一気に明るくしていきました。そしてその白い光が、すべてのものごとをつなげていくように感じた瞬間でした。

スタロドゥヴスコエ──栄浜は、
今ではとてもさびれた港町ですが、
ぼくにとっては、とてもあたたかいと感じる場所でした。
「サハリンがあたたかいところ」だなんて、
以前は想像することも出来ませんでしたが、
これをきっかけに、驚くほどに
いろいろなことがつながっていきました。
その後出会った“ニブフ族”とよばれる少数民族のお話を、
次回、ゆっくりとお話ししたいと思います。

『銀河鉄道の夜』が生まれた、
その日のサハリンの夜空には
満天の星空が輝いていました。

氷点下30度近い中での撮影でした。露光時間はおよそ60秒ほど。偶然にも流れ星も写りました。

当初は、年明けより再開のつもりにしていたのですが、
年明けに、大切な家族でもあった犬を
病気で亡くしてしまいました。
幸い仕事はとても忙しかったので、
むしろムキになって仕事をしていましたが、
それ以外がなかなか。
ぼくにとって「ほぼ日」は、
世の中のど真ん中にある日常のような存在で、
そこに、このような場所があることを
とてもうれしく思っています。
本当に大きな“道しるべ”でした。
今では(最初は悲しくて見ることができなかった)
「ドコノコ」も毎日楽しく拝見しています。
亡くなった愛犬のためにも
日常をもっと大切にしようと、
大好きな音楽評論家・吉田秀和さんの書名
「之を楽しむ者に如かず」のように、
もっともっと「写真がもっと好きになる。」ように
楽しく再開したいと思っていますので、
これからも、よろしくお願いいたします。

2016-09-29-THU