おさるアイコン




第31回 写真集を“読んで”みよう



(クリックすると拡大します)


写真集「青い魚」より
ぼくは、沖縄の那覇の高い湿度と共に、
“街は海、そしてそこに行き交う人々は魚”
と思って、“日常”と“非日常”の
その何とも言えない曖昧な境目を
“朝”という時間の中で探していました。
(クリックすると拡大します)

前回、“写真はひとつのドアのようなもの”
だというお話をしましたよね。
そこで今回は、それを理解する上でも
欠かせないものひとつでもある
“写真集”についてのお話をします。

写真集には、二つの種類があります。

写真集といっても、本当に多種多様で、
一言で「これが写真集というものだ」とは言えません。
写真を集めた本‥‥ということなら
図鑑のようなものまで加えることができますし、
なかなかその見解は難しいのですが、
ただ大きく分けると、世の中には
二種類の写真集が存在しています。

まずひとつは、
現在のように写真集というものが、
ひとつの表現として認知されたこともあって、
多くの場合は、一人の写真家の作品による
あるテーマあるいは主題があって、
それを元に編集された写真集。
(ある意味では“小説のような写真集”。)

そしてもうひとつは、
もう少し図録的な要素が強い、
個人の写真家の作品をまとめたもの。
一般的には“作品集”と呼ばれるものになります。
他にも、あるテーマに基づく写真を、
古今東西の写真から集めたようなものもあります。

これはあくまでも大きく分けてという話ですが、
“写真家の表現のひとつ”としての写真集と、
“様々な写真を編集することで構成された
 本としての写真集”
といった具合に分けることが出来ます。
最近では、写真集というと多くの場合、
特に若い写真家の作るものなどは、
限りなく小説に近いような形態のものが多く、
それこそ写真集を作るために
撮り下ろされたものも多いのではないでしょうか。
ちなみに、ぼくの写真集「青い魚」や「赤い花」も
それに属するものだと思います。

例えば、今まで、“写真を観る編”の中で紹介してきた
ダイアン・アーバスの写真集にしても、
それこそブレッソンの『決定的瞬間』にしても、
もちろんこれらも、
究極の写真集のひとつではあるのですが、
もともとは「展覧会の図録」として作られたものですから、
どちらかというと、“作品集”としての意味合いが
強いように思われます。

それ程に、実はそのものが表現のひとつ
となっているような“写真集”というのは、
小説などの書籍化に比べて
意外と、その歴史は浅いのです。

前置きが少し長くなってしまいましたが、
まずは“写真集を観る”ということを、
例えるなら、時間があるときに小説でも読む‥‥
といった行為と同じように、
もう少し、気軽なものとして、
考えてみて欲しいと思っています。

小説を読むように、写真も読むことができる。

では、どのように簡単に考えるかと言いますと、
まず、“テーマのある写真集”“小説のような写真集”
の場合は、それこそ小説を読むのと同じように、
自身が主人公の気持ちとなって観てみてください。

写真の場合は、その主人公の行動というのは、
多くの場合、“作者の眼差し”で描かれるわけですから、
それを感じ取りながら観てみることで、
おそらく今まで以上に、
写真集の中に展開される写真のひとつひとつが
自分のこととして、
観ることが出来るようになるのではないでしょうか。

そして、たとえそれが個人の写真家の
展覧会の図録だった場合にしても、
一枚一枚の写真から、
いろんなことを感じることがあるのはもちろん、
時には、それがひとつの展覧会として
まとめて発表された意図を
読み取りながら観てみると、
そのことでまた違った見方が出来るかもしれません。

もちろん、そんなことは関係なしに
何となく気分転換に頁をめくるのだって、
写真集の大きな楽しみのひとつだと思います。
そうやって、その世界観の中に身をゆだねることで
ぼんやりと眺めているうちに、何となく安心したり、
時には、新しい何かを見つけることだってありますよね。
ゆっくりと“写真集を読む”ことで、
もしかしたらあなたにとって、その一冊の写真集が、
新しい“大きなドア”になる場合だってあるのですから。

ぼくは、大学生の時にかなり無理をして、
奈良原一高さんの『消滅した時間』という
たいへん立派な写真集を買いました。
1980年代初頭の話ですから、
“小説のような写真集”の
先駆けだったのかもしれませんね。

この『消滅した時間』という写真集は、
『ヨーロッパ・静止した時間』という写真集に
続いて発表されました。
前作が、タイトルにもあるように
ヨーロッパを撮影したものだったのに対し、
ぼくが手に入れた写真集『消滅した時間』の方は、
今度はアメリカ大陸を、
ロードムービーのように撮影した写真で綴られています。
当時のぼくは、アメリカなんて
もちろん行ったこともなかったし、
何となく勝手に、“明るいイメージ”を持っていました。
しかし、その写真集の中に写されているすべての写真は、
決して明るいものではなく、
むしろ“昼間なのに暗い”写真も多く、
まさにタイトルのように、時間帯という概念を
消失させるような印象を持ち合わせていました。
しかも最後は、あの“アポロ”の打ち上げシーンで、
この写真集は幕を閉じます。

ぼくは、何度もその写真集の頁をめくりながら
様々なことを感じ取ることが出来ました。
そこには、現代社会を代表するアメリカという国の
光と影が、とてもコントラストの高い、
モノクロ写真の中に封じ込められています。
それでも、すべての写真の中には、
奈良原さんの“新しい土地”に対する
好奇心に満ちた眼差しがあるのです。
それを見つけることが出来ると、
今度は、そんな社会的なこととは逆さまに、
写真を撮ることそのものの楽しさみたいなものも
感じ取ることが出来たのです。
しかも、オリジナルの写真がとても高いクオリティを
持ち合わせているであろうことも容易に想像がつくほどに、
美しい印刷でその写真集は作られていました。
(現に、そのオリジナルプリントは
 大変美しいものでした。)

少なくともぼくは、この一冊の写真集の中から、
結果として、写真というものの多くの可能性を学びました。
そして、今でもこの写真集を見る度に、
自分の知らない何かを探しに
“新しい土地”を目指して、
旅に出かけてみたくなります。

もちろんこれは、あくまでもひとつの例に過ぎませんが、
他にも、挙げるときりがないほどに、
多くの写真集が、本当に多くの
いろんなことを教えてくれます。



まずは一度、“ゆっくりと読む”ように
写真集を観てみましょう。
そしてもしも気になることがあったなら、
読書感想文を書くように、
どこかにちょっとメモしておくのもいいかもしれませんね。


次回は番外編として、
「東京観光写真倶楽部 浅草編」レポートをお届けします。
そしてその次は、いよいよ
「自分だけの写真集を作ってみよう。」
というお話をします。お楽しみに。




この夏、お薦めの写真集です。


『無国籍地 Stateless Land-1954』奈良原一高


デビュー前に撮影された幻の処女作品集が、
50年の時を経て写真集化されました。
デビュー作「人間の土地」は、
あの“軍艦島”を撮影したものでしたが、
こちらは、第二次大戦で爆撃を受けた
砲兵工場の廃墟を撮影したものです。

『FULL MOON』


「アポロ11号」の月面着陸30周年を記念して、
NASAが写真家マイケル・ライト氏にすべてを委託して、
その月旅行を再構成した写真集です。
内容もさることながら、印刷の質もすごく高いですし、
それこそ観ているだけで
月旅行をしているような気分になれます。

『花火』川内倫子


この写真集には、もちろん花火がたくさん写っています。
でも写っているのは、花火そのものではなく、
あくまでも彼女の日常の中にある、
あの“夏休み”の気分のようなものだったりします。
そして、それが何とも言えないほどにいい感じなのです。




2006-08-11-FRI
戻る