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第29回 はじめてのライカ。


前回は、世の中にはさまざまカメラがあって、
そして各メーカーによって、その写りも
それぞれの特徴があるという話をしました。

今回は、そんな様々なカメラの中でも
その偉大な歴史と共に、
ひとつの頂点を極めた感のある
ライカ(“Leica”)のカメラについて、
お話ししたいと思います。


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ライカは35ミリフイルムをつくった
メーカーです。


ライカは、たんなるカメラメーカーというだけではない、
高級なブランドのイメージがあり、
ぼくにとっても、
少しばかり近づきがたい印象のあるカメラでした。
わかりやすく言うと、
時計だったらロレックス、
車だったらメルセデス・ベンツという感じでしょうか。

現に、今となってはおかしな話ですが、
何となく、ライカを首から下げている感じが恥ずかしくて、
ぼくも長い間、同じレンジファインダー
カメラを使うにしても
Konica Hexer"や “Minolta CLE”などを使って
お茶を濁していたような気がします。
(もちろん、言い訳ではなくて
 HexerにはHexerの、
 CLEにはCLEの良さがあるのですが)
その最大の理由は、どうしてもそこに
照れがあったことでした。


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とはいうものの、このライカというカメラは、
ある意味で、写真の歴史そのものでもあるのです。
それといいますのも、
1925年に当時ライツ社の技術者であった
オスカー・バルナック氏によって作られた
そのカメラは、
写真といえば、当時はガラス乾板に
木製大型カメラという時代に
映画用のフイルムを流用するという画期的なもので、
そこから一気に、写真というのが
一般的なものになっていったのです。
それは、今のこのデジタルカメラが
世の中に拡がっている以上に、
画期的なことだったのかもしれませんね。

それ以降、一般的には
「写真といえば、35ミリフイルム」
という常識が生まれていったわけです。
そして、前回お話ししましたように、
多くのメーカーが、様々なカメラを作りました。
そしてそれは同時に、
様々な写真を生み出していったのです。
だからもしも、この世の中に
ライカというカメラがなかったら、
ぼくたちも、これほど多くの写真を撮ることも、
見ることも出来なかったのかもしれません。


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それでも、ぼくが写真を始めた頃は、
「カメラといえば、一眼レフ」という
新しい時代が始まっていたこともあって、
どちらかというと、そのライカという
カメラを手にする以前に、
その名声ばかりが耳に入ってきていたのも事実です。
そうなると、そのカメラから生まれた写真の中に、
いくら大好きな写真がたくさんあったとしても、
不思議なことに、余計になかなか触手が
動かないものだったりしたのでした。

ぼくがロシアで出会った「はじめてのライカ」。

やがて、そんなぼくにも、
そのライカを手に入れる機会が訪れました。
それは偶然にも、
10年程前にロシアを訪れた時のことです。
その時は、ちょうどペレストロイカ
直後だったこともあって、
街のあちらこちらで、
今流行の“Lomo”をはじめとした
ロシア製のカメラを見かけました。
そのカメラはほとんどが中古で、
日本円にして1台1000円ぐらいだったこともあって、
まともに写るかどうかも定かではなかったのですが、
ぼくも、おみやげ代わりに何台か買い求めました。
そして、どの露天でも、ロシア製カメラに混じって
いわゆる「偽Leica」が、並んでいました。
さすがに、それらはぼくにも
すぐ偽物とわかってしまったので、
お店の人も、悔しかったのかもしれません、
片言の英語で、
「おまえは、カメラについて詳しいな。
 だったら、これならどうだ!」と、
鞄の中から、汚い布に、
それでも大事そうに包まれた
一台のカメラを出してきました。
今考えると、その当時のぼくは、
(今でもそうでもありませんが)
それほどライカについて詳しかったわけではないのに、
持った瞬間に、それが本物の
ライカだとわかったのです。
とにかく、そのカメラは今まで経験したことがない、
何とも言えない独特の重さを持って、
いきなり、ぼくの手に馴染んでしまったのです。
もちろん、それでも安かったということも手伝って、
ぼくは、そこではじめて
ライカというカメラを手に入れました。
それが、“Leica IIIa”という1930年代のモデルです。
そしてそのカメラには、
ライカの中でも代表的なレンズのひとつでもある
ズミクロン50ミリという、
沈銅式のレンズが付いていました。


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しかし、せっかく手に入れた
ライカではあったのですが、
そのカメラは、ファインダーも2つあって、
最初に左側のファインダーでピントを合わせて、
そしてその後、もう一方のファインダーで
フレーミングするといった具合に、
とても面倒だったりするのです。
しかもフイルム装填もかなり難しくて、
なかなか日常的に使えるようなカメラでは
ありませんでした。
それでも、昔の人たちは、この面倒なカメラを使って、
あれだけ多くのいい写真を生み出しているのですから
改めて、大したものですよね。


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もちろん、こんなぼくでも以前から、
たとえ、このロシアにおける出来事がなかったとしても、
漠然とではあったのですが、
「いつかはライカ」みたいな思いはありました。
そして、いよいよそんなぼくに、
本格的にライカを使う機会が、また訪れます。
ぼくが助手時代からお世話になっている
「銀一カメラサービス」という
プロショップがあるのですが、
数年前に、そこのぼくの担当の方が定年退職される前に、
「菅原君のライカは、ぼくが見つけてくる!」と言って、
本当に、「これだ!」というカメラを
見つけてきてくれたのです。
それが、M型ライカの完成形といわれている
Leica M4”というカメラでした。

このカメラは以前の“Leica IIIa”に比べると、
フイルム装填も含めて、極めて使いやすいカメラです。
その上、今のカメラと違って、
電池を必要としない、すべてが機械式のカメラですから、
その安心感もひとしおです。
プロとしては、撮影途中でカメラが動かなくなるというのは
なにより「あってはならない」事態なので
こうした、電池にたよらないカメラは安心なのです。


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そんなこともあって、
今まで何となくライカに対して気負っていたぼくも、
このカメラを好んでよく使うようになりました。
いまでも、ぼくの師匠でもある、
早崎治先生から戴いたストラップをつけて、
使っているのです。
ただ、この“Leica M4”というカメラは、
ファインダーの画角が、標準で35ミリなので、
ぼくも通常は、ズミクロンの35ミリを
使っているのですが、
時には、50ミリが使いたくて、
そのロシアで手に入れた“Leica IIIa”も
使うようになりました。しかし、
やはり、使い辛さは否めませんでした。
そしてつい最近、満を持して、
早崎先生が使っていたということもあって、
以前からずっと欲しいと思っていた、
それこそ、ぼくにとって
「いつかはライカ」のライカでもあった
“Leica M3”というモデルを手に入れました。
現在この“Leica M3”には、
縁あって、あの映画「羅生門」の撮影監督としても有名な
宮川一夫氏が使っていた、名レンズの誉れ高い
“Canon 50mmf1.8”が付いています。


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そんなわけで、今ではこの2台のライカで、
ほとんどの写真を撮っています。


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ライカには、撮る楽しみが詰まっている!

こうやって、長々とぼく自身とライカの
関わりみたいなことをお話ししてきましたが、
最近、写真を撮りながら、改めて感じているのが、
やはり、そこには「撮る楽しみ」があるということです。
そして、そのファインダーを通して見える世界は、
時には現実の世界よりも、
より鮮明に見えることもありますし、
むしろ、そうでないと見えない世界もあったりするのです。
そんな時に、特にこのライカというカメラは、
そのことを、さも当たり前のこととして
教えてくれるような気もしますし、
そういった意味でも、少なくとも今のぼくにとっては、
最良のカメラなのかもしれません。
しかも、そういった“撮る”フィーリングも
さることながら、
その写りにしても、とにかくすべてにおいて
バランスがいいのです。
しかも、嬉しいことに、かといって
決して特別な描写はしません。
その写真の有り様は、常に極めて“普通”なのです。


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もしかしたら、今となっては、この“普通”こそが、
もっとも贅沢な時代になったのかもしれないと、
ライカを使っていると、そんなことを感じたりもします。
そして、次回お話ししようと思っている
かのアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真にしても、
その写真の中には、ライカを通した
日常という究極の“普通”が、
最高にすてきなかたちで写っています。

きっとそのかたちは様々だと思いますが、
日常の中に、そんな“普通”を見つけるのも、
写真の最大の楽しみのひとつなのかもしれませんね。



ライカは、ブランド価値が高いうえに
じっさいにとても高価なカメラだけれども、
(そして、使うのがなかなかたいへんだけれども)
実直で素直で、ほんとうの意味での
“普通”のよさを写すことができる
貴重なカメラのひとつだと思う。
カメラが好きなら、写真が好きなら、
“いつかライカ”ということを
ちょっと考えておくのも、いいかもしれません。

次回は、“写真を観る”シリーズの第2回、
「アンリ・カルティエ=ブレッソン」のお話です。
お楽しみに。


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2006-07-21-FRI
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