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第24回 写真は、決して止まっていない。


at Africa A.M.05:22
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よく写真雑誌などの作例でも、
基本的には、ブレてなくて、
“被写体が止まっている写真”が
“いい写真”の前提として、
語られることが多いような気がします。
けれどもぼくは、かねてから、
そのことに疑問を持ってきました。

ぼくなりに、たくさんの写真を知れば知るほど、
その中には、止まってなどいない、
時には、ピントだって合っていなくても、
“いい写真”がたくさんあることを知りました。

とはいうものの、最近やたらと目にする
意味もなくわざとらしく、いわゆるアートっぽく
ブレている写真は大嫌いです。
それだったら、まだまじめに
一生懸命写している写真の方が、
ずっと“写真的”だと思えてなりません。

そんなことよりも、ぼくはむしろ、
写真にとって大切なのは、
具体的に、止まっているとか、
止まっていないとかではなくて、
これまでも何度も話してきたように、
“写し止めておきたい!”
という気持ちなのではないかと思っています。
だから、その結果として、
時にはブレてしまったとしても、
きっとそれは“いい写真”になることが
多いようにも思っています。

おそらく皆さんも、
写真を撮ったときに、
別に意図したわけではなくて、
たまたまブレてしまったけれど、
そのことで、かえって
“その時の気分”みたいなものが
写ったような気がしたことがあると思います。
“これはこれで、いいかも!”
と思えるような写真が、あるのではないでしょうか。
“ブレているのに、“いい”と思える写真”と
“ブレているから、“だめ”となる写真”の違いは、
やっぱり、その時のあなたに、
たとえ少しだとしても、
“何とか写って欲しい”というような
気持ちがあったかどうか、だと思うのです。
おそらく、それがなかったら、
ブレている写真というのは、
ただの失敗作品ということになるのでしょう。

ブレていたら失敗? とんでもない!

一枚目の写真は、
早朝のアフリカで、
日の出前にカメラを構えて、
日の出と同時にシャッターを切ったものです。
この日は、空は厚い雲に覆われながらも、
それでも、その向こう側の隙間から
雲をさくように、日が昇ってきました。
すると、それと同時に、
眼下に拡がるサバンナから、
その丘の上に向かって、
気持ちのいい風が吹いてきました。
そして天空の分厚い雲も、
その風と共に、ゆっくりと動いていました。
やがて、雲が動くことで、
今度はその合間から、
夜の間、雲の向こうに姿を隠していた
明るい星が、現れてきました。
ぼくは、そんな瞬間の中で、
およそ5分間、シャッターを切りました。
(5分、シャッターをあけっぱなしにして、
 1枚の写真を撮るという意味です。)

その結果、ご覧のように雲は流れてしまいました。

ただぼくにとってみれば、
むしろそのことで、その時間と風が写ったように
感じることが出来ました。
そして改めて、なぜそのように思ったのか
考えてみたのですが、
やはり、ぼくはその時も、
そのサバンナから吹く風を、肌で感じながら、
雲の動きを眺めながら、
“この感じが写ったらいいなあ!”と
強く思っていたのでした。

だから、時にはブレていたっていいのです。
写真のことを学んでいくにつれ、
「いい写真とは、ブレていない写真」ということを前提に、
「明るさと、被写体の動き、シャッタースピード、絞り」
などを把握することがなによりも大事だと思ってしまい、
なんだか計算式で世界が把握できるような
そんな感覚になることがありますが、
それだけでは、“あなたらしい”写真は写りません。
それよりも、“写って欲しい”と思いながら
シャッターを切ることで、
「今あなたが、写そうとしているものが何なのか」
「本当に写したいと思っているものなのかどうか」
ということが、同時によくわかるはずです。

でもこの写真はブレさせたくない、と思ったら。

そして、どうしても、ブレてしまい、
そのために、あなたが本当に
“写したい”と思っているものが
写らなかったときに初めて、
今度は、被写体を止めて写すための工夫をしてみて下さい。

それには、いくつかの方法があるのですが、
ぼくがおすすめしたいことのひとつめは、
「カメラを固定する」ということです。
よく言う“手ブレ”というものは、
手で構えたカメラは、どうしても固定しきれませんから、
体の振動がシャッタースピードよりも早ければ、
「ブレ」が生まれてしまいます。
そんなときはカメラを、テーブルでも、
なにかの上でも、動かない(動きにくい)場所に
固定してシャッターを押すか、
カメラを持ったまま、壁によりかかって、
できるだけ動かないようにして撮るとよいでしょう。
もっと完全な方法としては、
三脚を使って撮るのもよいですね。

しかし今度は、カメラが止まっていたとしても、
相手が動いてしまうこともあるかもしれませんね。
相手が動くことでブレた、ということは、
あなたは今まで以上に、
あなたをとりまく世界が動いているという事実に、
気が付いているということですから、
これは、いまは、まだ、よしとしましょう。
ほんとうは、動いている被写体を撮るための方法は
ちゃんとあるのですが、それはまた別の機会に。



とにかく、失敗なんておそれずに、
写真を撮ってみて下さい。
そして、その代わりにといっては何ですが、
写真を撮るときには、何を撮るにしても
“写し止めておきたい”という気持ちを持って
シャッターを切ってみて下さい。
その気持ちさえあれば、いつだって、
必ず“いい写真”が撮れるはずです。



at Ho Chi Minh,Vietnam
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この写真を撮ったベトナムのホーチミンという街では、
人々は一日中、動いているような錯覚を覚えるほどに、
みんなが、自転車で、バイクで、移動を繰り返しています。
その姿は、まさに止まることがありません。
ぼくは、そんな動いているこの街の感じを“写したい”と思いました。
だからこの時のほとんどの写真は、止まっていません。
まさに、「Let's Go SAIGON!」という感じです。

次回は、今までと少しだけ話を変えて、
「写真を撮る。」ではなくて、
「写真を観る。」ということについて、お話しします。
ぼくが、すばらしいと思う写真家について
お話をさせてくださいね。
その第1回目にとりあげる写真家は
「ダイアン・アーバス」です。
お楽しみに。

2006-06-09-FRI
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