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第17回 誰にでも、必ず大切な写真はある。


十数年前に撮影した、
当時の「デンマーク王立バレエ団」のプリマドンナ、
ハイディ・リュオムさんの肖像写真。
カメラは「Rolleiflex Tesser 75mmf3.5」、
フイルムは「kodak Tri-X 120」、
プリントは「Agfa Potoriga Rapid Type118」。
(クリックすると拡大します)


これは、ぼくが、まだデビューして間もない頃、
北欧の地、デンマークにて、
生まれて初めて、バレエを観た時の話です。
しかも、その時は何もわかっていなかったのですが、
今となっては、
“最上級の初めて”だったのかもしれません。

それというのも、劇場は、美しいデンマークの王立劇場。
その上、演目は、デンマークを代表する作家、
オーギュスト・プロノンヴィルの代表作
「ラ・シルフィード」。
この作品は、「デンマーク王立バレエ団」の
十八番ともいわれる演目で、
現在でも、再演が繰り返されています。
その中で、プリマドンナを演じていたのが、
1枚目の写真の「ハイディ・リュオムさん」です。

今回、この写真の話から始めたのは、
もしあの時、あのバレエを観ていなかったら、
そして、彼女を撮影していなかったら、
おそらくぼくの、写真に対する捉え方も、
大きく変わっていたように思うからなのです。

自然とあふれてきた涙を、
そのまま気持ちにのせて。


自分でも驚いたのですが、
ぼくは、その初めてのバレエを観た時に、
自然と涙が溢れてきました。
未だにその理由は明らかではないのですが、
おそらくこのとても小さくて華奢なハイディさんが、
その場のすべての空気を司っているかのような
そのすがたに、ぼくはきっと、
深く感動したのだと思います。
そして、そこに“ひと”の大きな可能性みたいなものを
感じることが出来たのかもしれませんね。

舞台を見終えたぼくは、
早速、政府観光局の人たちを通じて、
彼女のポートレイトを撮影させてもらえないかを
お願いしてみました。
うれしいことに、彼女はそれを快諾してくれました。
そこで、次の日のリハーサル中に、
再び「王立劇場」を訪ねて、
劇場のロビーで、撮影させていただいたのが、
1枚目の写真です。

実際にお会いしたハイディさんは、
舞台での印象以上に、とても小さな女性でした。
ロビーに現れた彼女を見たときは
“この人が、昨晩の?”と思えてしまうほどに、
別人のように感じたのを、今でもおぼえています。
ぼくはそんな驚きを抱えながらも、
リハーサル中ですから、
出来るだけ時間をとらせてはいけないと、
早急に、撮影を進めました。

すると、どうでしょう!
最初は昨晩とは別人のように思えていたハイディさんを
ファインダーを通して見ているうちに、
ぼくは、その姿の中に、
昨晩の、何とも言えない大きな世界を
重ね合わせることが出来ました。

そしてその時の体験がぼくに教えてくれたのは、
写真というのは、
目の前にある姿やかたち、そのものだけではなくて、
時にはそこに、自身が感じていることを、
写すことが出来るのだということでした。

しかもこうやって、十数年の時を経て、
改めて、この写真を見てみても、
このたった1枚の写真の中に、
おそらく今は、引退されているであろう
“ハイディ・リュオムさん”という
ひとりのバレリーナの肖像が写っています。
そして、少なくとも、ぼくにとっては、
あの時の舞台のおぼろげなはずの記憶が、
この写真のおかげで、むしろ鮮明に、
目の前にまざまざと浮かび上がってくる、
そんなふうに感じることが出来るのです。
そういった意味でも、この写真は、
とても大切な1枚なのです。

あなたの大切な1枚、思い出してみましょう。

これは、あくまでもぼくの話ですが、
おそらく皆さんの中にも、
その内容も、被写体も、
様々ではあると思うのですが、
きっと、大切にしている写真というのが
あるのではないでしょうか。
とはいうものの、いきなり大切な写真といわれても
すぐに、思い浮かばない場合もあるかもしれませんね。

あまり難しく考える必要はありません。
この場合の大切な写真というのは、
ただの記念写真だとしても、いいのです。

例えば、あなたが高校生の頃に、
友人たちと一緒に写した1枚の写真を
とても大切にしていたとします。
そして、その写真がなぜ大切なのか考えてみると、
その友人たちとの関係が懐かしいのはもちろん、
もしかしたら無意識のうちに
その写真に写っている
“本当の自分らしさ”みたいなものを
大切に思っているのかもしれません。

もちろんそれは、このような記念写真に
限ったことではなくて、
そういった大切な写真というのは、
実は、そこに具体的に何が写っているとか、
その時に、誰とどこに行ったという
事実の記録だけではなくて、
そこには、きっとあなたにしかわからない
記憶だったり、思い出だったりが、
写っているのではないでしょうか。

とにかくそれは、どんな写真だっていいのです。
何よりも、あなたにとっての大切な写真を、
改めて見つめ直してみることで、
おそらく、あなた自身も忘れていた、
大切な何かを、見つけることが、
何よりも、大事なのではないかと思うのです。

今回、どうしてこんな話をしているかというと、
面白いもので、そういったことを、
1枚の写真の中に、見つけることが出来ると、
次に写真を撮るときには、
ものの見方も、自ずと変わってくると思うからなのです。
もしかしたら、今まで見落としていたことを
見つける場合もあるのでしょうね。
そうなれば、写真の撮り方だって、
今までとは、少し違うものになるはずです。
しかも、実はそれこそが、
あなたならではの、あなたにしか撮れない
写真の始まりだったりするのです。

そして、そのように過去の大切な写真の中から
あなたならではの、
大切なものを見つけることが出来たなら、
今度は、そこを出発点として、
写真を撮ってみましょう。

「思い出」から学んで、新しい写真を撮ろう。

具体的に、それはどういうことかと言いますと、
例えば、その大切な写真が、
春に撮られたものだとしますね。
するとその写真の中には、
外で撮影された場合は、
桜であったり、春の光であったり、
新緑の緑だったりが、写っているはずです。
そこで今度は、
その写真が撮られたときのことや、
その写真に写っている
あなたにとっての“大切なこと”を
少しだけ思い出しながら、意識しながら、
桜であったり、春の光であったり、
新緑の緑だったりを、
改めて、写してみてください。
すると、きっとそれだけのことでも、
あなたにしか、見ることの出来ない
ものの見え方が生まれてくるでしょうし、
写真そのものにしても、おそらく
ただ何となく写したものとは、
別のものになるはずです。

確かに写真というのは、
何に出会って、何をどう写すか、
ということも大切なのですが、
こうやって、自分の大切な写真の中から
生まれてくる写真もあるんだなと、
思うことが出来たなら、
写真は、より一層、もっと身近で
楽しいものに変わっていくはずです。

とはいうものの、同じ瞬間というのは、
二度と訪れないわけですから、
たとえ、似たようなものを撮ったとしても、
その被写体の具体的な有り様も含めて、
基本的には、そのすべてが異なるはずです。
しかし、今回の話のように、
もしそこに、あなたにとっての
“大切な何か”があることで、
すべてのものごとは、
確実にいろんなかたちで
つながっていることが、よくわかると思います。

そして、何よりもそのことだけは、
写真を続けていく上で、
忘れたくないな、忘れて欲しくないなと、
ぼくは、いつも思っています。

なぜなら、そのことを忘れてしまうと、
ほとんどの写真は、ただ写っているだけの
とてもつまらないものになってしまうのです。
だからまずは、上手いとか、下手とかではなくて、
もしかしたら、あなたの撮る写真は、
すべてつながっているのかもしれない、
と思いながら、たくさん写真を撮ってみて下さいね。
すると必ず、その中に、
新たな大切な写真が、自然と生まれてくるはずです



古いアルバムから「これ好きだなあ」という
写真をさがしてみよう。
それを撮ったときの気持ちや、状況や、
その写真に写っているあなたにとっての“大切なこと”を
もういちど、思い出してみよう。
そして、そんな気持ちで、新しい写真を撮ってみよう。



この写真は、ぼくがパリに居たときに、
飼っていた猫の写真です。
彼女は、あのシャンゼリゼ通りからずっとついてきて、
そのまま居着いてしまったので
名前を「シャネル」といいます。
ぼくはこの写真を見るたびに、あの頃の毎日と
今がつながっていることを、思い出したりしています
(クリックすると拡大します)

次回は、日曜日に番外編として
「東京観光写真倶楽部」のレポートを。
そして次の金曜日は、
「写真はカメラが撮るものではなくて、
 レンズが撮るもの。」
というお話です。お楽しみに。


2006-04-07-FRI
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