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第12回
時にはフイルムを使って、贅沢を知る。


at KENYA in Spring
(クリックすると拡大します)


この写真を撮影したのは1月で、
それはアフリカが
“雨期”から“小乾期”に変わる季節でした。
雨の恵みで、サバンナにも多くの花が咲き、
動物たちも活発に行動をはじめる、
まさに、“春”な季節です。
(日本のそれとは少し時期も異なりますが、
 アフリカにもいわゆる四季があります。
 簡単にいうと
 [雨期〜小乾期〜乾期〜雨期]という流れになります。)


ぼくはある朝、雨のサバンナを
動物たちを求めて車を走らせていました。
すると、雨で煙るサバンナの中に
とてもかわいいキリンの子供を見つけました。
近づいてみると、その子キリンは
自分とちょうど同じ高さのアカシアの木の下で、
まるでその枝を、傘代わりにでもするかのように
静かに雨宿りをしていました。
ぼくはゆっくりと、車を正面に着けてカメラを構えました。
それでも、その子キリンはいっこうに逃げようとはせずに
ずっとぼくの方を、つぶらな瞳で見つめていました。
その子キリンと、傘代わりのアカシアの木とともに、
延々とサバンナに降り続ける雨、
そして地表に生い茂る草とともに、
あたりを取り巻く空気を含めた
そこに存在する全ての世界がひとつとなった、
何とも形容しがたいあたたかい光景が
そこにはありました。

ぼくは、“何とかこの一体感が写っていて欲しい”
と願いながら、何度となくシャッターを切りました。
その間、その子キリンは、
まるで、それを待っていてくれるかのように
微動だにしませんでした。

唐突に感じられるかもしれませんが、
今回は、フイルムの話を少ししたいと思います。
もちろんフイルムがどうとか、デジタルがどうとか
そんな話をするつもりはありません。
ただ、この写真を作例に出したのは、
楽しく写真を続けていく上で、
どうしても知っていて欲しいことが
そこにあるからなのです。

デジタル時代のいまだからこそ。

何度でもやり直しが出来たり
何度でも撮れるのが、デジカメのいいところではあります。
しかも写っていることを、液晶画面で、
視覚的にもすぐに確認できます。
そのことは、写っているかどうかという不安を消し去り、
撮影者に“写っている”という
大きな安心感を与えてくれます。

それに対して、フイルムの場合は
たとえ露出が全自動になったとしても、
ピントがオートフォーカスになったとしても、
そしてカメラそのものが、以前に比べて
壊れにくくなり、“写っていない”という事故が
とても少なくなったとはいうものの、
実際に、そのフイルムが現像されて
目に見えるかたちになるまでは、
写っているかどうかが、不確かなわけです。
ぼくもフイルムで撮影した場合、
いまだに特に仕事の時などは
フイルムの現像が出来上がってくると、何よりも先に、
「写っていた?」と聞いたりしています。
プロなのにおかしな話だと思われるかもしれませんが、
それほどに、これまでの写真は
不確かな中で存在してきました。
そしてその不安を少しでも減らすために
日々のカメラのメンテナンスが必要だったり
“写る”という物理的な事実を知るための
知識が必要でした。

しかし、デジタル時代の今となっては
“写る”ということが、当たり前になっています。
写真に限ったことではなく、機械文明の歴史というのは
常に“より便利で、安全に”へ進む歴史といっても
いいぐらいですから、
フイルムカメラから、デジタルカメラへと
移り変わっていくことも、
それはそれで、決してわるいことではありません。
しかし同時に、そのことによって
失われているものがあることを
決して忘れたくないと、ぼくは思っています。

ちょっとドキドキしながら、
シャッターを押すということ。


例えば、今回のように、アフリカの春。
「何としても、この感じが写っていて欲しい!」
と願いながら撮るということは、
自然とその中に、その“思い”が入り込んでくるものです。
そして、ぼくがいつも
「写真が面白いなぁ」と思うのは
これは何度も、言葉を変えながら言っていますが
その“思い”みたいなものが
確実に“一枚の写真”に大きく反映するという
紛れもない事実だったりするのです。

いえ、だからといって、いい写真を撮るために
ぜひフイルムで撮りましょう!
という話ではありません。
むしろぼくは、そこだけにしがみついて写真を撮ることは、
むしろ写真の楽しみを
少なくしてしまうように思います。

もしあなたが
「写真というのは、カメラを向ければかならず撮れるもの」
と思っていたり、
あるいはフイルムだと失敗することもあるということを
知ってはいるけれど、
そのことを忘れてるなぁと感じていたとしたら、
ちょっとだけ贅沢をして、
フイルムカメラを使ってみて下さい。

古いカメラを引っ張り出してみてもいいですし、
それこそ写ルンですでもいいのかもしれません。

すると、どういうことが起きるでしょうか?
──きちんと写っているのか
写っていないのか、よくわからない中で、
写真を撮ることになりますよね。
これは、デジカメで液晶を確認するクセがついていると、
かなり不安な作業です。

そしてその中で、ちょっとドキドキしながらも
“写っていたらいいなぁ”ではなくて
“写っていて欲しい”と思いながら
シャッターを押す自分に出会うでしょう。
そして、そうして撮った写真は、
他の写真とは、少し違う写真になっているはずです。

それが、ぼくが今回「フイルムで写真を撮ること」を
おすすめする、理由です。

カメラといえばデジカメという時代に、
確かにフイルムは贅沢品のひとつになりつつあります。
(フィルム代と現像代で、1回シャッターを押すごとに
 数十円がかかるわけです)
それでも、そのことで“大切なこと”を
少しでも思い出すことが出来るとするならば
それはそれで、わるいことではありませんよね。

間もなく、写真にとって最適な季節でもある
春がやってきます。
そんな季節だから、当たり前に写すのではなくて、
“写っていて欲しい”と願いながら
シャッターを切ってみましょう。
すると、必ずその春の光は
キラキラと写ってくるはずです。


at AKITA in Spring
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「写る」ということが、当たり前になっていたら、
時には、フイルムで写真を撮ってみよう。
それは、現像するまで、どんな写真になるのか確認できない。
だから、撮りたいものをゆっくり見つめて、
「どうか写っていてくれますように!」と、
ドキドキしながら、シャッターを押してみよう。
その写真は、きっと、いつもの写真とは、
ちがったものになっているはずだから。


次回は、
「マジックアワーを知っていますか」
というお話をします。お楽しみに。


2006-03-03-FRI
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