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第10回
ファインダーを覗いてみないと、
見えないものもある。


at Norway
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今回は、多くのカメラという道具には
当たり前のように付いていた、
“ファインダー”という機能の話です。
付いていたと言いましたのは、
現在のような
「カメラといえばデジカメ」という時代になって
中には既に、その存在そのものを無くしてしまった
デジカメも多く見られるからです。

それでも、少なくともぼくにとっては
ファインダーという機能は
実際に“写真を撮る”上で、
なくてはならないものの、ひとつなのです。

ぼくは以前にお話ししたように
「GR Digital」というデジカメを
毎日楽しく使っています。
実はこのカメラに関しては、
ぼくにとっては、その能力もさることながら
オプションで、光学的にもとても美しい
ファインダーがあるというのが、
その選択の、大きな理由のひとつでした。

もちろん、だからといって
常にファインダーを付けているわけではありませんが、
やはり、しっかりと対象物を見つめたいと思ったときは
いつでも自然と、そのファインダーを付けて
デジカメといえども、ファインダーを覗きながら
写真を撮っています。

そもそも、“覗く”という行為は、
カメラのことを横に置いておいたとしても、
いろんな意味で、余程その対象物に対して
興味があったり、好奇心がない限り
そういった衝動は生まれないものですよね。
それ程に、“覗く”という行為には
常に好奇心がつきものです。
そして、人はその過程の中で、
想像力という魔力と共に、
より深く、その対象物について知りたいと思うものです。

そして、ぼくは“写真を撮る”楽しみのひとつとして、
前回も少し触れましたが、
目の前にある被写体と、
自身がそれらと対峙することによって生まれる
思いみたいなものを
被写体との関係性の中で、
一本の線で結びつけていく作業があると思っています。
たとえそれが、時には偶然だったとしても。

少なくとも、“写真を撮る”ときには、
“ファインダーを覗く”ことで
必然的に、その被写体との間には、
より特別な関係が生まれていきます。
そしてそこに、自身の思いを重ね合わせていくことで、
その関係はより一層、深まっていきます。

そして、時には
“ファインダーを覗く”ことならではの
発見があったりするものです。

これは、ある春のノルウェーに滞在中の話です。
北欧地方における春というのは、
何よりもその冬が長いことも手伝って、
自然界をはじめとして、世界そのものが
ぼくたちの想像を遙かに超えた
大きな力で動き出します。

ぼくは、ある時、
その高さは、およそ50メートルはあろうかと思われる
大きな滝の下に立っていました。
そこでは、轟音と共に
まるで天からバケツをひっくり返したような
とてつもない量の水が
真っ白になって、上から降り注いでいました。
地元の方の話によると、それらは全て
雪解け水とのことでした。
とにかく、その様はその圧倒的な勢いと共に、
とても美しい姿をたたえていました。
ぼくも、その勢いそのままに、
一眼レフのカメラを、
その大きな滝に向けて、構えました。
ぼくは”ファインダーを覗く”なり、
ひとつの大きな変化に気がつきました。
それは、先程までものすごい量の水が、
上から下に落ちてきていると強く感じていましたが、
少なくとも、ファインダーの中における、
その大きな滝の表面の動きは、
明らかに、下から上へと向かっているのです。
そしてぼくは、長い時間
そのファインダーから目を離さずに
そのことを、何度も確かめるように、
シャッターを切り続けました。
頭の中では、上から落ちてきていると
認識しているものが、
目の前では、延々と下から上へと
向かっていくわけですから
何とも不思議な感覚を覚えました。
そして同時に、
その大量の水は、
確かに重力によって下には落ちるものの、
実はその途中で、もともと透明だった水が
大気とぶつかり合うことで、
その姿を白く変えていきます。
そして、実はその瞬間こそが
下から上へ向かっているかのごとく
見える瞬間でもあったのです。

こうやって言葉にしてみると、
当たり前のように感じることではあるのですが、
それを実際に見た時、
ぼくはファインダーを覗きながら、
新しい発見の喜びと共に、
何だかとてもワクワクしながら
シャッターを切っていたのを、
今でも良く覚えています。

このように、“ファインダーを覗く”ことによって
見えてくるものが、この世の中には
まだまだ、たくさんあるはずです。
また、このファインダーを使って見つめることによって、
感じることが出来ることも
同じように、たくさんあるのではないでしょうか。

確かに人の眼は、とても良く出来ていて、
自然にものを見ることが出来ます。
それに対して、“ファインダーを覗く”ことで、
確かに、その“見える”という情報量は
明らかに少なくなります。
ところが、人の本能というのは不思議なもので、
そうやって見えにくくなることによって、
逆さまに、その世界に対して
より注意深く、ものを見るようになったり
するものなのです。

しかも、その時の被写体との関係は、
裸眼で対峙しているとき以上に
密接な関係で成立しているように感じるものです。

そんな素敵な偶然を、次から次へと生み出していく
ファインダーという機能は、
ただ覗いてみるだけでも、楽しいはずですから
とにかく、いったん写真を撮るという意識を横に置いて、
ファインダー越しに見える世界を
楽しんでみましょう。
すると、きっとその世界の中から、
あなたにとっての大切な何かが、見えてくるはずです。



ファインダーを使って、覗いてみよう。
そこに見える世界を、
ゆっくり時間をかけて見つめてみよう。
そしてそこに新しい発見があったなら、
そのときみつけたものを、写してみよう。



at Norway
この滝は、ノルウェーの詩人・スタイルハイムが
こよなく愛し、最終的にはこの滝に身を投げたことから、
通称「スタイルハイムの滝」と呼ばれている。
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次回は今回の続きのような話ですが、
「近づいてみないと、見えないものもある。」
というお話です。お楽しみに。


2006-02-17-FRI
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