Phoenix-8 花火師さんに訊く、「フェニックス」への想い。
── 去年「フェニックス」をみてきた仲間が、
「花火で泣いた」って言うんです。
それを聞いて最初は、
「え? 花火で?」と思ったんですが、
こうやってお話をうかがっていると‥‥。
小泉 「花火で泣く?」って思うじゃないですか。
でも、
さすがに涙まではこぼれなかったけれども、
作った側の自分も最初の「フェニックス」では、
ほんとうにそういう感じになりましたよ。
ずーっと花火の仕事をしてきて、
花火を見てあんなに感動したことは
正直なかったです。
── そうですか。
小泉 自分が作った花火が、
きれいに打ち上がってうれしかった
っていう気持ちは何度かあるけれど、
そんなものの比じゃない感動があったわけです。
── ああー。
小泉 とりわけ初年度は、もう、
まっさらな状態から挑戦でしたから、
われわれ自身もどうなるかっていうのが
わかんなかったわけです。
花火って、打ち上げて初めて
成果がそこに現れるものなので、
作ってる側ですら上がってみないとわからない。
すごく怖かったんですよ、正直。
── あれだけの規模ですし。
小泉 そう。
だから、そういう意味では、
ものすごく自分自身で感動しましたよね。
見たことのないスケールの花火だったし‥‥
すごい、こう、ジーンと(笑)。
── はい。
小泉 ぼくは、打ち上げる瞬間は現場にいないんですよ。
本部にいて点火のタイミングを指示するんです。
無線で点火者に点火の合図を出すんです。
── なるほど。
小泉 合図を出した瞬間にもう上がってるんです。
毎回そうなんだけど、
それからあわてて外に出て、
こう、見るんですよね。
見ながら、最後の瞬間には、
もう、「ああ‥‥」とか、
なんて言うんですかね、
ボーっとする感じですよね(笑)。
── やっぱりその3分間というのは特別で。
小泉 特別です。
上げるわれわれも、
毎年初めての挑戦があったりするので。
で、見る側も多分そうだと思うんですよ。
「フェニックス」という花火に対しての
特別な思い入れがあると思います。
── すごいですねえ。
小泉 すごい。
あんな感激というか‥‥なかったです。
── やはり震災からの復興ということも、
感動のひとつにまざって。
小泉 もちろんです。
震災があって「フェニックス」があって、
人々を勇気づけたいとか、
長岡の人たちががんばってることを
全国に発信したいという気持ちだったりとか、
その想いを考えて花火を作ってるわけです。
だから余計に、
花火に自分たちの気持ちが乗っかりますよね。
── ことしで6回目になりますが、
その瞬間はやっぱり緊張しますか。
小泉 緊張しますよ。
失敗もありましたから。
── そうなんですか。
小泉 打ち上がるはずのものが
打ち上がらなかったとかね。
ただ、見てるかたたちが
それに気づいたかどうかはわからないですが、
そういうこともありました。
── 練習ができないから。
小泉 できないです(笑)。
── 雨が降ったらどうするんですか?
小泉 やります。
濡れないようにセットして。
中止や延期は、まずないですね。
── そうですか。
──それにしても、平原綾香さんの
『Jupiter』がすばらしいですよね。
小泉 なかなか難しかったです。
── 曲に合わせるのが?
小泉 ええ。
スローな曲なので、
曲の抑揚をこわさないようにするのが
すごく難しかったです。
── そうなんですね。
小泉 花火で抑揚つけることも可能なわけです。
だけど曲のイメージがあるし、
あんまり花火で抑揚をつけすぎちゃうと
ゴチャゴチャしてしまうんです。
── 最初の「フェニックス」から、
花火の構成は変わってるんですか?
小泉 いや、意外とそんなことなくて。
多少の変化とか、挑戦はありますけど、
「やっぱここはこうだよな」みたいな(笑)。
── なるほど。
あれですね、
日本の花火というのは花火自体が作品であって、
アメリカは演出だと、
先ほどおっしゃっていましたが、
「フェニックス」はその中間のような
花火になっていますよね。
小泉 そうですね。
全体としての構成をすごく大切にしながら、
ひとつひとつの花火も
作品としてしっかり見られるような、
そういう仕上がりにしてあります。
── 両方あるから、すごいと思います。
小泉 ありがとうございます。
── もう、どんどんたのしみになってきました。
小泉 (笑)
── それで、あの、
今日もお仕事をされてるんですよね。
小泉 はい、してます。
── 邪魔にならない範囲で、
花火づくりの現場を
見学させていただけますでしょうか。
小泉 いいですよ。
じゃあ、いきましょうか。

※小泉欽一さんの会社、
 「新潟煙火工業株式会社」のHPはこちら
 

(つづきます)


2010-07-29-THU