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#16 受身からはじまる世界


幸せに生きるための言葉も、
不幸に生きるための言葉も、どちらにしても、
自分の意志が見いだしているにすぎないのであって、
世の中が幸せであったり不幸であったりするわけではない、
という考え方を、"#1" で、おとどけいたしました。

"#2" では、自分の個人的な境遇を乗せた言葉でならば、
誰もが独創的に生きられる、という考え方も紹介しました。

そういう話を読むと、不安になる人もいるかもしれません。
「自分で本当にやりたいことなんて、まだ、見つからない」
「やりたいことはあるけど、それに失敗したくはないです」
そう思う人だって、かなりたくさんいると予想できるので。

数日前、この「コンビニ哲学」宛てにいただいたメールは、
次のようなものでした。

「哲学書が好きで、かつて、よく読んでいました。
 『コンビニ哲学』も題名に惹かれて読みはじめたところ、
 本は、読んでわかるということに価値があるのではなく、
 更に、読んで人生の道標を得たと思うのも正しくはない、
 ということがわかりました。
 ただ、他人の答えを受け売りせず、自分に率直になって
 答えを待つのは、とてもこわいことだ、と思っています。
 自分からバカな答えしか出なかったら、どうすればいい?
 永遠に、答えが見つからないとしたら、どうすればいい?
 『自分はバカかもしれない』
 『このことばかり考えて時間の浪費をしたらどうしよう』
 今、そう考え続けて、はっとしました。
 すごい哲学者の人たちは、本当に自分自身に挑んで、
 これしかないという言葉を残したんだろうなぁ、と」


確かに、自分の答えを待つのはこわいことかもしれません。

それに、哲学者は孤独で狂いそうになりながら
貧乏な生涯を過ごしていそうだから、マネしたくはないし、
まず、何を考えたらいいかも、わからないかもしれません。

確かに、一部の哲学者の書いた本をじっくり読んでいると、
その人と似たような生活をしなければいけないかのような、
強く断定的な言葉が出てくることも、たくさんありますが、
その哲学者と同じ考えで暮らす人は、一人で十分でしょう。

ある考えを、最もよく学んだ人を教師にしかできないなら、
その考えは、教師を作りだす道具にしかすぎないのですし、
ある哲学者にほめられ続けるためだけに何かを考えるなら、
他人が作ったレールの上を歩くに過ぎないのでしょうから。

今日から、ハイデガーの書いた
『存在と時間』という本について触れてゆくのですが、
それぞれの人の考える道具になればと思って紹介するので、
一気に、抽象的な内容に入りこむということは、しません。

今日は、この本の第一篇に記された言葉を要約で紹介して、
そこから、現実に戻りつつ、考えをはじめたいと思います。

「人は、自分がこの世の中に存在していられる理由を、
 『適した場所で、有意義に動けること』から見つけます。
 人は、自分が出会った世界に向けて、はじめから自分を
 差し向けられてしまっているから、人が生きることには、
 『すでに差し向けられている』という性格があるのです」


『存在と時間』で使われている造語を噛みくだいてみると、
ハイデガーは、まず、このようなことを、語っていました。

これでも、まわりくどい言い方に聞こえるでしょうけど、
「世界に、すでに差し向けられている」ということならば、
誰もが、納得できるのかもしれません。

各人にとっての世界は、まず、受身から、はじまっている。

多少の選択はあったかもしれないけど、人は誰でも、
ものごころがついたら、かなり後戻りの効かないような
場所に立っていると言えるわけでしょうし、
周囲との関係からすれば、自分のやれる行動範囲も、
もうすでに、いくつかに決まっているのかもしれません。

人は、能動的に世界に向かって行動するものではなくて、
そもそも、出発点から世界に差し込まれているというのが、
ハイデガーが存在を考える大前提になるとぼくは思います。

「受身」という言葉に、
とても悪いイメージを持っている人もいるでしょうから、
このあたりで、ぼくが実際にインタビューをしたときに、
「受身」であるからこそわかることを話してくださった、
二人の人の肉声を、紹介しておきたいと思います。

どちらも、受注で、しっかり仕事をしている人の言葉です。
普通に働いている人には、最初から哲学者の話を聞くより、
まずは、これが響くのかもしれないので、長くなりますが、
ぜひ、じっくりお読みくださいませ……。

「ぼくは広告を作るだけでして、
 そんなに、おもしろい人ではないんですよ。
 ぼくに話を聞きにきても、おもしろくないかもしれない。
 広告は純粋表現じゃないから、アートではないですから。
 自ら表現をしたいと思うことは、基本的にゼロなんです。
 広告制作という形で、表現行為には近いことをするけど、
 自分を表現すものではなくて、クライアントがあるわけ。
 要するに『待ち』の仕事。
 基本的にはオーダーが来なければできない仕事です。
 画家にしてもミュージシャンにしても、
 自分の作りたい曲なり描きたい絵があるから表現だけど、
 ぼくは個人の表現としてはゼロですよ。自分がないから。
 クライアントが持ってくる仕事に、反応してゆくという。
 ただ、ぼくは『だからこそ』おもしろいと思っています。
 やっぱり、作家とか作る側の人だと、マンネリもあって、
 自分の世界は、追求していくとどんどん狭くなっていく。
 それを続けることって、たいへんだと思うんです。
 だから、アーティストって、
 売れていても、売れていなくても、すごく意志が強い。
 売れてなければ自身がないとやっていけないし、
 売れていたら売れていたで、
 『おんなじことをやっていて、いいのだろうか?』
 『路線を変えたら、売れなくなるのではないか?』
 そういう思いとの戦いだし、そういう意味では
 作家というのはすごく強い人だと思います。
 ぼくは弱いから、そういうものはない。
 何となく、まっ白な感じで、いつも待っている。
 だから、自分自身がマンネリにならないというか。
 そういうわけで、ぼくは特にひとつの世界を持っていて
 おもしろい、というひとではないんです。
 もちろん、広告マンというのは、基本的には
 時代とリンクしたときに、表現が受け入れられるわけで、
 一時のことだろうし、永遠に続くことではないだろうし、
 過去の先輩たちの姿を見てても……やっぱりそうですよ。
 あの人の時代、この人の時代、というのがあって、
 しぶといひとはもちろんいるけども、その人でも
 どこかの瞬間が一番すばらしくて、あとは……という。
 ぼくはねばっている方ですが、それは、ぼくがあんまり
 自分の色を持たず、何もないやつだからだ、と思うわけ。
 自我があって『自分の色にしたい』というのがあると、
 時代やクライアントとマッチすればいいけど、それが
 なくなってしまったら、空しい表現行為になっちゃう。
 ぼくには自分の色がないから、これは飽きたなあと思うと
 『今度は違うものを』と平気でできるし、
 ぼくはむしろそこをおもしろいと思うというか、
 だから飽きないでいけるかなぁ、みたいなね。
 
 広告にも、その時代時代のベストワークがあったり、
 流行があったり、どうしてもみんなが同じ方向に行くけど
 ぼくはなるたけ、そういうことに行かないというか、
 『そうじゃないもののほうがおもしろいんじゃない?』
 という感じを持ちたいというか。
 広告の価値観で言われる『こうしなきゃ』という
 方程式みたいなのを自分のなかで取り除いたんですね。
 自分の作風を作るっていう方向に行っちゃうと
 自分の外の世界とはリンクしていかないんだけど、
 世の中にはいろいろな表現があるんだから、
 市民レベルの感性に自分を置いておけば、
 あまり時代とも離れずにいられるかなあ、と思っている。
 広告の仕事をやるとき、自分っていうのはないんだけど、
 与えられたテーマはあります。パズルに近い仕事ですね。
 今、五〇歳ですけど、五〇歳でも未開拓な気がするし、
 もしかしたらすごい可能性があるんじゃないかとは思う。
 ただ、ぼくの仕事は、曖昧なものとされていますけど。
 ……一言でいうと、『やっかい』でしょう?
 クライアントがいて、『こういうことやってくれ』と
 言われるわけですから。
 本来、普通にやったら、ただ説明してるだけなんですよ。
 ほとんどの広告が説明だけなんです。タレントが出てきて
 『今度いいのが出ました。こんなんです。美味しいです』
 とか言って説明してるだけなんです。
 だけど、ぼくは説明だけじゃない何かにしたい。
 説明だけじゃない何かなんだろうなあ。
 そうしたらアイデアなのかイメージなのか言葉なのか、
 それとも絵なのか、それはなんなのかなあと思うわけで、
 ぼくはそれが、やりたい『なんか』だと思うんですけど」

「マキャベリの『君主論』の中では、人間が、
 『自分でものを考えられる人間』
 『自分でものを考えることはできないけど、
  考えられたものを理解することはできる人間』
 『ものを考えることも理解することももできない人間』
 の三種類に分類されていて、それを大学の頃に読んで、
 『私はたぶん二番目の人間だろうな』と思いました。
 大学にいた時はアート系のサークルに入っていたけど、
 私は、一枚も絵を描かないままで、終わりました。
 『私の中には、ほんとに、何にもないな』
 その時、本当に思いました。
 だけど……だからこそなのかもしれないけど、
 わかりたいという気持ちだけは人一倍あります。
 例えば、『クリエイティブに生きたい』と言ったり、
 やりたいことをやりたいという気持ちのある人の中には、
 気持ちのいい人と気持ちの悪い人がいるなあと感ます。
 そういうことについて、私がわかったのは……。
 『自分のことしか考えてない人の話は、気持ち悪い』
 ということです。その場合は、自分のやりたいことだけで
 何かが終わってしまっているような気がするし、
 会っていても『そうすれば?』みたいに感じます。
 話を聞いていて気持ちのいい人は、
 もっと違うことを考えているんです。
 自分がクリエイティブに生きるなんてどうでもよくて、
 自分以外のことも考えている……それは大きな違いです。
 高度経済成長を支えてきたおじさんたちは、
 そういう風にして生きてきたから、今さら
 『自分のことだけを考えている』
 というような話をする必要は、もう、ないんですよ。
 あの人たちは、日本をよくしようと頑張った。だけど、
 もっと下の人の中には、自分のことにしか関心のない人が
 本当に一杯いるんだなあと思っていて……。
 それが悪いと言っているわけではないんです。
 自分の好きに生きることはいいと思うんだけど、
 そういう『自分だけ』の中では、
 その人の人生だけしか拓けないと、すごく感じるんです。

 いい番組は、けっこう多くあります。
 いい人が出てきて、いいことをして、
 今日もどこかでいいことが行われている……
 そういうのに涙してしまう自分もいるんですけど、
 だけど、そういうものって、消えちゃうんですよね。
 明日から自分は何かするかなというと、
 何かいいことがあったな、ということしか心に残らない。
 私は、観た人にも、何かが起こる番組を作りたいと思う。
 私たちの世代は、小さい頃から、テレビや新聞で、
 『みんな、傷つかないで接することはうまいけど、
  別に深い話をするような人間関係を、持たない。
  と言うか、そういう人間関係を、持てない』
 と言われていて、自分でもそう感じていました。
 小学校の頃から毎日が上滑りのような気がしていて、
 『みんなは、こんなので楽しいんだろうか?』と、
 自分も含めてみんなが同じように見えていました。
 本当は人と話をしたいと思いますよね?
 『もっと人が好きになりたいのに、人と関われない』
 という欲求不満があって、友達どうしの関係でも
 中学生高校生くらいまで、真剣に悩んでました。
 もちろん、学校にはすごく楽しく行っていたし、
 皆勤賞をもらうぐらいなんだけど、その裏では、
 こんな嘘の関係は、嫌で嫌でたまらないと思っていて。
 この場所にいたのではダメだろう、どうしたらもっと
 人と関われて、深いことになるんだろうと考えました。
 ……私の中の結論としては、
 自分がものすごく一生懸命に生きていれば、きっと、
 同じようにどこかで一生懸命生きている人がいて、
 その人たちと、どこかで接点があることになる……。
 そういう人と出会えるだろうというようなことを、
 何かもう、信じてしまうことにしました。
 そうやって大学に進んだら、あまり多くではないけど
 ほんとに友達だと思える子に何人か出会えて、
 ああ、やっぱりだんだん会えるんだなあと思いました。
 そうするとどんどん、また一生懸命やっていれば
 誰かと会えるんじゃないか?という期待があって、
 この仕事についたのも、その延長のような気がしてます」


とても長くご紹介しましたが、
広告のアートディレクターをしている人の話と、
テレビ番組のディレクターをしている人の話でした。

ハイデガーの書いたことを抽象的に話すのもいいけど、
壁を前にしている人に向けた哲学を想像するとしたら、
一足飛びに理論を言い尽くさないで、
ときどき、それぞれの人なりに噛みくだくことが
できるような風景に戻りながら続けていきたいので、
こういう談話を、おとどけしました。

このお二人の、受注だからこそ、
仕事はおもしろいし自分は変わるという視点は、
それ自体、聞いているときには感動していましたが、
同時に、そのまま、ハイデガーの書いた本の内容にも
通じている考えでもあります。

受身から世界がはじまる、という出発点を、いったん、
「受注からおもしろい仕事がはじまる」と言い換えても、
今後のイメージが、広がりやすくなるのだと思っています。

あなたは、この二人の考えを読んで、どう考えましたか?

さらに、続きます。

感想を寄せてくださると、とてもうれしく思います。
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                  木村俊介

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2003-10-28-TUE

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