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#6 自分にだけは効く言葉


やってしまったことは、もう仕方がない。
すでにあるものなんだから、仕方がない。
いいことにせよ、悪いことにせよ、
まず、起きてしまった地点から、考えはじめる。

そういう観点で、
「ほぼ日」に届く何十万のメールを読んで思うのは、
「まともな言葉を受け取るだけの器があったり、
 それを求めている人ほど、日常、とても忙しいあまり
 吸収する時間が、ないのかもしれない」ということです。

それぞれの分野には
流行の学説があるという前提を
ちゃんと踏まえる必要もなければ、誰かが一度
どこかで言った話なのか、どこでどう生まれた考えか、
そんな詳細な説明も、一切、要らないかもしれません。
考えが偉大か卑小かどうかも、関係ないのかもしれません。

とにかく、そういうことよりも、
グッと来る感情に飢えているので、そこを刺激してほしい。
短絡的かもしれませんが、その意味の「直に効く言葉」が、
とても待たれているのではないかと、実感しているんです。

一九世紀の終わりごろから、
「インタビュー」という形式が栄えはじめて百年ちょっと。
成功者やスポーツ選手のインタビューは、
すでに、哲学書よりも哲学的なものとして
読まれるようになっているとさえ言えるときもあります。
ただ、そういうさまざまな発言の源が、最近は、
おたがいに、どうも、似てきていませんか?

そう感じる人たちが、
「今、流行りの人の言葉ではなくても、
 また、ことさら、有名でさえない人の言葉であっても、
 誰かが、しっかり実感したり感動したもの」に、
興味が向いていたり、
「ウソであってもほんとでも、
 ともかく、本人が自分なりに感じたことを聞きたい」
と思っているということが、
たくさんのメールを読んでいると、強く伝わってきます。

生き方と考え方とをごっちゃにするなと言われたとしても、
読んだある一定の層には、必ず効く種類の言葉があります。
良質の体験談と、良質の哲学書のはざまにあるような言葉。

「すべての発言は、その時代に特有の仮定にすぎない」

かつて、こう述べた哲学者がいましたが、
だからこそ、重要なのだという考え方も、できるんです。
すべての発言には、それが生まれなければならなかった
歴史的な境遇があるのだから。

今、一般の人の多くが、
なんだか哲学っぽい言葉を求めて、
その代替になるような「グッとくる物語」にしびれるのも、
「言葉の出自がどのようであってもいいし、
 個人的なものでも、理論にもとづくものでもいいから、
 少なくとも、自分にだけは効く言葉を、早く出してくれ」
と思うことも、そこには何らかの必然性があるのでしょう。

「今の時代に特有の病」と捉えられるかもしれないけど、
「だからこそ、そこからいろんなものが見える」
と言えるのかもしれないのでして……。

かつての人の理想に従うとか、
そういうことがどうでもよくなっているのだから、
「自分にとって、よかれあしかれ、感動しちゃったもの」
からスタートするという言葉の集め方が、
きっと、あるのではないかと、思っています。

「天才は、学者のように
 過去の天才の著作権を大事にせずに、
 天才の作ったものを勝手に盗んで、
 自分のために利用して作品をつくりあげます。
 そうしてできた作品が、将来また遺産として、
 学者に大事にされて保護される」


たとえば、こういう言葉もあります。
世界最高の劇作家は、聖書の言葉をセリフで使うとき、
「神様、使わせてもらいます」と注釈はしなかったし、
娯楽や、背中を力強く押してくれる言葉を探す人には、
理論よりも言葉の濃さが効く可能性だってあるわけでして。

「ショートカットした哲学で満足するのは堕落だ」とか、
「最高にいいことを伝えないまま済んだ気でいる」とか、
そんなふうな批判が、もしかしたら、あるかもしれません。
ただ、少なくとも、娯楽としてたのしまれていさえすれば、
その言葉は、「望まれている」ということは確かなんです。

話はかわりますが、
ひとつの社会で働いていて、
好き勝手にやり放題の人が出現することは、
とてもよくあることですよね。
それで悩んでいる人のメール、たくさんいただきます。
会社は、一種の閉鎖社会だから、止めようがない。
止められないから、自分が正しいと思って、つけあがる。

「重要な価値を生む仕事をまったくしていないくせに、
 大声と下品さと保身で職場の主導権を握っている人」

「他の人が、その人と突っ込んだ会話をしたくないから、
 まわりから放っておかれて、勝手なことをしている人」

「必ず、新人をいびらなければいられないほどのヒマ人」

そういうタイプも、世の中には、たくさんいるのでしょう。
社会で働いている人たちからは、特に、
「学生時代と違って、それでお金を生む必要があるわけで、
 無視すれば済むという問題ではないから、
 毎日、チームを組まされて困っているんです」
という感想を、ずいぶんたくさん、いただいているんです。

そういうことを感じつつも、
ふつうに仕事をしている人にとっては、
フェアで純真すぎる人が、
かえって煙たがられて追い出されて、負けていった姿や、
フェアじゃない人が、追い出した証拠をもみ消した姿や、
図々しさの力こそが事業を切り拓いていくという事実も、
もちろん、しっかりと、頭に入っているわけでして。

「だけど、日々の参考になる言葉を、知りたい」

「ふだん同じようなことばかり聞かされる内容とは
 別の角度からモノを見つめるヒントを、得てみたい」

「単なるロマンであっても、自分の中では信じられて
 筋を通すことのできる、志の高さみたいなものが欲しい」

「必死な人を、バカにできるほど
 一生懸命になったことがない人のことは忘れて、
 自分なりの一生懸命な世界を、一歩ずつ踏みしめたい」

フェアではない現実を前にしても、
そういうふうに思う人のメールを、
ぼくは、この数年間、ずいぶんたくさん読んできました。

「うまくいくかどうかはわからないにしても、
 気持ちだけは、ちゃんとしていたい」
という、ふつうに暮らしている人に向ける言葉は、
ファンタジー以外にも、いくつかあるんじゃないですか、
とお伝えするのが、このページの目的なのかもしれません。

かつて、メールマガジンの「ほぼ日デリバリー版」で、
数回、「要らないもの」という特集をさせてもらったとき、
次のようなメールをいただきました。二つ紹介してみます。

「要らないと思えるものにこそ価値があるのかも、
 という特集で思い出したのは、中二の時の担任の言葉。
 公式を覚えて生活で何の役に立つの、と、日本中で
 何万回も繰り返されてる質問に、先生はこう答えました。
 『目をつぶって自分が歩くときに必要な
  最低限度の道幅を想像してご覧なさい。
  片足一つ分の足の幅があればいいでしょう。
  では、その平均台の幅ぐらいの道が果てしなく続いて、
  その両脇が何もない絶壁になっていたらどうでしょう?
  みなさんは歩けますか? 幅は十分ありますよ。
  怖くて一歩も歩けないかもしれませんよね。
  勉強は、その道幅を広げるためのものなんです』
 芸術も文学もその他諸々も、
 きっと、この道幅を広げてくれているのだと思います」

「私は、大勢の方がよく知ってるキャラクターを
 いろんなモノ(カバンとかノートとか)に
 くっつけることを仕事にしているデザイナーです。
 小さな幸せを運ぶ仕事をしたい選んだ仕事ですが、
 『突き詰めて考えたら、私の仕事なんて
  無駄なものを大量に作り続けてるだけかも』
 と、ふと思うことがありました。そんな時期に、
 イベントで一週間程売り場に立つことがありまして、
 直にお客さまに触れる機会を持てました。
 五〇歳くらいの女性が、毎日毎日通ってくださり、
 最終日にも、いつものようにやってこられて、
 『明日からはあなたはいなくなるのよね』
 と、毎日通っていたわけを話してくれました。
 その方のお母さまがちょうど入院されて寝たきりになり、
 病室があまりにも殺風景なので、華やかなグッズを
 毎日買っては、枕元を飾ったりしていたのだそうです。
 『おかげで枕元明るくなったわ。
  こんなときこそ明るくしないとね。
  一週間どうもありがとう。あなたもがんばって』
 そう言われ、握手をしました。
 心の中は涙でイッパイになりました。
 私の迷いを知っていたかのようなその励ましで、
 この仕事を選んだ時の気持ちを思い出しました。
 役に立つなんて、自分で決めることじゃないなと。
 おかげで、今でも毎日毎日小さな幸せを作ってます」


この二つのメールを送ってくださった人に贈るような、
学説的には「要らない」とされるかもしれないけど、
求めている人には待たれている言葉を、
このページで、たくさん、紹介していこうと思っています。

今日、先人の言葉を求めて
このページを開いたという人もいるでしょうから
前回に少しだけ紹介した、
ハイデガーの言葉を、紹介しておきますね。

「人は、情熱を伝えることを通して
 あるひとつの情熱から解放されるのではなくて、
 そのひとつの情熱を伝えている瞬間に、すでにもう、
 ひとつの情熱を外から眺め、解放されているんです。
 新しい見方を分けあたえることは既に創造であって、
 それをどう役に立てるかを考える必要はありません。
 誰かが、勝手に、自分の役に立ててゆくのですから」


自分が強く心を動かされたことは、
たとえ、怒りとして思っていることさえも、
書いたり伝えたりすれば、自分の中での整理はつく。
しかも、現在、とても強く実感していることは、
もしかしたら、来年の自分にはピンと来ない、
今しか思えない種類の感覚なのかもしれません。

ただ、来年の自分には要らなくなったとしても、
その言葉は、来年の、他の誰かには、とても
聞きたい境地になっていることだって、ありえます。

そういうことを感じはじめると、
「自分が強く思っていることを、
 来年の自分自身に伝えるように整理すること」
は、今だからしかできない思いを、
すこしずつ、石版に刻むようなものかもしれません。

今後、哲学者の言葉も、
たくさんおとどけしてゆきますが、
仕事で迷ったり毎日考えたりしている人なりの
「ふつうの人から生まれる哲学のようなもの」
も、紹介してゆく予定です。

今日の最後には、
そういう、ふつうの人からの必死な言葉を、
ひとつだけ、おとどけしておきたいと思います。

「日曜出勤って憂鬱ですよね。
 私は生き物を扱う仕事をしてるので
 休みの日でも会社に様子を見に行きます。
 厳密に言うなら、扱う、ではなく、使う、なのでしょう。
 私たちの行っている研究という仕事は、
 動物や菌達の命の上で成り立っています。
 彼等はスイッチON、OFFなんかできるはずがなく、
 お世話をする人間が休んでも、
 生きるのを止めてはくれません。
 就業時間内に実験させてよと言ったって、
 成長を急いでもくれません。あたりまえですけど。
 スケジュールは彼等にあわせて組まれてゆきます。
 週末くらい、朝寝坊したいです。
 平日も、スーパーが開いてる時間に帰りたいです。
 旅行に行きたいです。人より長い間会社にいるのに、
 残業代をつけていない自分が、バカみたいです。
 大変だねって言われる度に、
 『でも、好きな仕事だから』って答えます。
 ほんとは、自分に向かって言い聞かせている。
 『好きな仕事だから……!』って。
 本当は、好きかどうか、もう分からなくなっちゃった。
 ひとつだけ分かることは、今の私には
 この仕事以外の仕事はないだろうなぁ、ということ。
 今までも何度か立ち止まったり浮気したり、
 違う道を選んだりして、でも結局今ここにいる。
 ……こんなことを書くこと自体、
 『わたしはこんなに頑張ってるの、頭撫でて誉めて』
 って小ちゃな子が言ってる様なものですよね。
 誉められるために仕事してるんじゃないですから、
 気持ちを引き締めてまた明日から頑張ります。
 好きな仕事だから。そう、自分が選んだ仕事だから!ね」


やってしまったことは、もう仕方がない。
すでにあるものなんだから、仕方がない。
いいことにせよ、悪いことにせよ、
まず、起きてしまった地点から、考えはじめる。

そういう目でまわり見まわしたとき、あなたが、
今だからこそ、強く刻みこめる考えは、何ですか?

次回に、続きます。

感想をいただけると、とてもうれしく思います。
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                  木村俊介
 

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2003-10-07-TUE

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