PHILADELPHIA
お医者さんと患者さん。
「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。

手紙219 日本のHIV
50代・デザイナー HIVとともに過ごした10年



こんにちは。

今日から数回にわたって、
外来に通院中の患者さんのお話を再び紹介いたします。

今回はデザインの会社を経営している
50代の男性です。

以下のメールでご自身でも書いていらっしゃいますが、
昨年末の外来にいらした際に
「自分の仕事を通じて
 HIV感染症に役立つことが
 何かできないかと思っている」
とおっしゃるのを伺い、
でしたら、ぜひ、そのお気持ちを
ほぼ日で話していただけないかとお願いしました。

HIVとともに過ごした10年のお話を
ぜひ聞いてください。

俺が初めてHIVとわかったのが
10余年前になります。

その頃はフリーになって
やっと事務所を借りてスタートしたときでした。

一気に失望と困惑で一杯になり色々と悩みましたが、
何とかネットで知った
ボランティアの方と連絡が取れて
段々と色々と教えて頂いている間に
自分よりもっと、大変な方が多い事を知りました。

その頃、最初はある病院に行っていましたが、
なんだか診察の際に
プライバシーのない病院だなーと感じて
どうしようと思っていました。

そんな時にある大学にいらっしゃる先生を
ボランティアの方に紹介して頂いて
診察を受けました。
穏やかな方で安心したのが決定的でした。
その後その先生が今の病院に移られてから
本格的に薬が始まりました。
専属の看護師がいるのも心強く大変助かりました。

その後は定期的に診察が続いています。
その間も肝炎などで入院をしたり、
風邪で入院したりと
色々な病の経験をしました。

しかし、俺はフリーで会社をやっていたので
仕事のことばかり考えて
入院中も何とか仕事をベッドでやっていました。

生きるためには、働かなければ食って行けないので
いつも早く治そうと思って、
何とか精神的には落ち込まず
ポジティブにやってこれたような気がします。

カミングアウトも、
親には今もしていませんが・・・。

入院中も、わからないように
あまり来ないようにしてもらったり、
自分のことは自分で何とかやらないと
親が死んだら一人だし、
その予行演習をしているように、
親にも自分にも言い聞かせて
退院まで何とかやってきました。

その後一旦実家に事務所を移して
少しずつ仕事を再開しました。
そして会社を作ろうと思ったのです。

5年前に会社をつくり今年で6年目ですが、
はたと気づいたら
10余年があっという間に経ってしまいました。

今は薬もサプリメントを飲んでいる感覚で
何の支障もありませんし、
最近では、病気にかかったおかげで
世の中が見える物が多くなった感じです。
人間は何でも乗り越える力があるのだと・・・。

今は新たにデザインの枠を広げつつ、
お役に立てるならデザインで
ボランティアが出来たらと思っています。

この命が生かされたのだから、
何かやらないと、と思い始めています。

病気の重さ辛さはそれぞれですが、 
病気と付き合いながら
一日でもやれる事をやって
生きて行きたいと思っています。

最初に知ったときは
「何年生きられるか」なんて考えていましたが、
もう10余年生かされました。
後はどう歳を重ねてゆくかが一生の問題です。
仕事も趣味も遊びも。

絶対に病に負けない精神を自分に言い聞かせて
笑って生きて行きたいものです。

いずれは、死にます。
生きている今が、この時が、大切です。
毎日を悔いの無いように
楽しくするのも、辛く生きるのも
自分の心次第だと思っています。

今やれる事。
それが俺の原動力になっています。
薬はその為に必要な栄養剤と思っています。


この方は現在とてもお元気で
外来でお目にかかるのは3ヶ月に1回程度です。

とても良いHIVの治療薬ができているので、
この方のように体の調子がよければ
年に4回の通院で十分になります。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2007-02-02-FRI

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