PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
ニューヨークの病院からの手紙。

手紙160 見送り

こんにちは。

ほぼ日でスペースをいただけてよかったな、
と思うことはよくありますが、
とりわけうれしいのは
ほぼ日を介して、これまで接点のなかった方から
メールをいただいたり、
実際にお会いする機会ができたりすることです。

「ぼくは見ておこう」をお書きになっている
松原耕二さんとも、同じようないきさつで
昨年の秋のおわりに休暇で日本に帰ったときに
お目にかかることになりました。

でも、お互いの予定がなかなか合わなくて、
結局、わたしがニューヨークへ戻る日に
東京駅で会うことになりました。

松原さんのお話は率直でとても面白くて、
こんな方がお伝えになっていたニュースを
見そびれてしまったのは、とても惜しいことをしたなあと
お話を伺いながらわたしは考えていました。

昼食をとりながらの時間は
あっという間に過ぎてしまい、
成田空港行きの電車の時間が迫ってきました。

「改札口までお送りしますよ」と、おっしゃった松原さんは
改札口で大きく手を振りながら
いつまでも見送ってくださいました。

初めてお目にかかったわたしを
こんなに暖かく見送ってくださるなんて、と、
とても嬉しくなって
わたしも思わず何度も振り返って、
同じように手を振りながら、
次にこんなふうに誰かに見送られるのは
来年の夏の終わりに、
アメリカでのトレーニングが終わって
日本に帰る時かなあ、と思いながら帰途についたのですが、
仕事に戻り、いつもの暮らしが始まると
そのこともいつの間にか忘れてしまっていました。

さて、今年の夏、
いよいよ日本に帰るまであと数週となった日の夜
思いがけず、フィラデルフィアの友人から
電話がありました。

「今、ニューヨークのペンシルベニア駅にいるんだけど
 ちょっと会えないかな」

「久しぶり。元気? 電話ありがとう。
 もちろんいいけど、
 何でニューヨークにいるの?」

彼は、お父さまの癌の手術に付き添うために
生まれ故郷のコネチカット州まで来たこと、
イェール大学での手術は無事に終わって、
これからフィラデルフィアに戻るところなのだけれど、
わたしがそろそろ日本に帰る頃だろうし、
その前に会いたいな、と思って
途中下車して電話をくれたことなどを
手短に話してくれました。

「美和子が日本に帰っちゃうと、
 もう、会うのもなかなか難しくなるかもしれないし。
 だから、夜遅くて悪いな、と思ったけど電話してみた」

彼の優しい心遣いが胸に染みました。

「今すぐ行くから、そこで待ってて」

あわてて支度をして、
わたしは駅に向かいました。

その友達は、駅の前で
わたしたちが当直の時に着る
病院用作業着・スクラブを着て立っていました。

「お父さんの具合はどう?
 それから、何でスクラブなんか着てんの?」

と聞いたわたしに、彼は
「父は2度目の手術だし、まあうまくいったと思うよ。
 あ、スクラブのこと?
 これ着てると、
 イェールのレジデントと区別がつかないから、
 家族は会えない時間でも、
 集中治療室に自由に出入りできて
 すごく便利なんだよ」
と教えてくれました。

なるほど、青や緑のスクラブは
米国では全国共通の病院用の作業着なので
見分けはつきません。

彼のすごい知恵にちょっと笑いながら
わたしたちは近くのお店に入って
軽食を頼みました。

「美和子と初めて会ってから、
 もう4年も経つんだね。早いね。
 日本に帰るともう、なかなか会えなくなるかもしれないね
 たまにはアメリカにも戻って来れる?」

「もちろん。
 いろいろ楽しいことがあった4年間で、
 わたしはここに来れてよかった、といつも思ってた。
 でも、最初のうちはちょっと大変だったかな。
 おかしいんだけど、
 『最初の数ヶ月は大変だった』と気づくまで
 1年くらいかかったんだよ。
 『大変だ』ということに
  気がつくこともできなかったみたいなの。
 変でしょう?」

「はじめの頃って、ぼくたちが一緒のチームにいた時だね。
 グリーン・メディスン。」

内科のチームは4つの色に分けられていて
わたしたちは最初の1ヶ月、
緑チームに配属されていました。

「そう。あのとき一緒だったのは
 あなたとレイ、ライアン、ジュンだったんだけど
 今思えば、親切ベスト4ってかんじの顔ぶれだったね」

「わたしは日本から来たばっかりで
 電話のかけ方も、病院での振る舞い方も、
 当直のシステムも知らなくて途方に暮れていたんだけど、
 みんなとても親切に手伝ってくれて、
 そのことをわたしは今でもすごく感謝してる」

それから、わたしたちは
フィラデルフィアで一緒に過ごした
レジデントの3年間のこと、
今の仕事のこと、そしてこれからのことについて
客もまばらになったレストランの片隅で
時間も忘れて話し込みました。

次に時計を見たときには
フィラデルフィアへ向かう最終電車の時間が
迫っていました。

プラットフォームへ向かう途中にあった売店で
彼は「美和子にアメリカのおみやげを買ってあげる」と
キーホルダーとコーヒーカップを選んでくれました。

「日本は何でも小さい、っていうから、
コーヒーカップも小さめのにしよう」と選んでくれた品には
『I love NY』という文字が印刷されていました。

「ありがとう。大切にするね」

ちょっとこれはアメリカ人っぽすぎるか、と
少し照れるような別れの挨拶をしたあと、
気がつくと、わたしは
エスカレーターを降りて行く友達に向かって
大きく手を振っていました。

昨年松原さんに見送っていただいたとき、
わたしは、今年の夏にアメリカを発つときには
誰に見送られるだろうか、ということを考えていました。

4年間の思い出をたくさん語り合った後で
フィラデルフィアに帰る友達を見送りながら、
本当は、見送られているのは彼じゃなくて、
わたしが、この国で過ごした時間に
見送られているんじゃないか、
という気持ちが切なくこみあげてきました。

わたしがこの4年間で身に付いた、といえることは
あまりないけれど、
この国で友人にとともに過ごすことができた時間は
とても幸運でした。

楽しかったトレーニングの生活も終わり、
わたしは夏の終わりに日本に戻りました。

日本に帰ることが決まったとき、
糸井さんに「ほぼ日」での今後のことを相談したのですが、
タイトルを少し変えて、
これからも続けていくことになりました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

ちょっと長くなりすぎてしまって、すみません。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2002-10-16-WED

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