PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
ニューヨークの病院からの手紙。

手紙149 訪問診療・4 ニューヨーク(1)ラプンツェル

こんにちは。

前回までは
赤坂の一人暮しのおばあさんの様子をお伝えしましたが、
今日からは
ニューヨークのお年寄りの暮らしと、
この方々が利用できるサービスの仕組みなどについて
少しご紹介していくことにしたいと思います。

今わたしが働いている病院は
ニューヨークのマンハッタン島の東側、
アッパー・イーストサイドと呼ばれる地域にあります。

このあたりは、落ち着いた住宅地、という感じで
知られているところなのですが、
碁盤の目のように走る道に沿って
30階を越す高層アパートが立ち並んでいて、
また、その狭間には
5階建てくらいの低層の建物がぎっしり詰まっています。

去年この地域で外来を始めるようになったとき
問診の中で
「何階に住んでいるか、
 その建物にはエレベーターがついているか」
ということを必ず聞かなければいけない、と
上司から教わりました。

患者さんの生活の様子を
詳しく知ることはいいことだ、くらいのおまけの気分で
この質問をしていましたが、
訪問診療の初日に
この質問が、いかに大切か、ということを
わたしは身をもって体験することになりました。

現在、わたしはレジデントを終えて
老人医療を専門とするためのトレーニングを受ける、
フェローとして働いています。
同じ立場の同僚は全部で4人です。

往診には、上司の医師、往診専属の看護婦、
それにフェローのひとりが加わって
3人一組で出かけて行きますが、
このときの必需品は
診察のための道具を入れた
大きなバックパックです。

血圧計、採血の道具、必要となる書類、カルテ、
そのほか、こまごまとしたものを詰め込んだバックパックは
ちょっとしたキャンプに行くくらいの大きさです。

下っ端で働く者として
つい「わたしが持ちます」と言ってしまって
最初の患者さんの家へ向かいました。

最初の家は、古い4階建てのアパートでした。
「たぶんこのアパートは
 できてから150年くらい経ってると思う。
 廊下に塗りこめられた扉があるでしょう、
 これは共同トイレの跡なのよ。
 今は、各戸にトイレが作られているから
 もういらなくなってね」

そんなに古い建物ですから、
もちろんエレベーターはありません。
古い、石でできているのに大きく磨り減って
ゆがんだ階段をのぼりながら
上司の先生が説明してくれました。

患者さんの家は最上階でした。

部屋の天井が高いのでしょうか、
ひとつの階の階段がおそろしく長いのです。

患者さんのお部屋のある4階にたどり着いたときには
バックパックもずっしり肩にくいこんで、
少し息切れさえしていました。

「こんな急な階段、
 毎日昇り降りするのはお年寄りには大変ですね」

ぜいぜいしながら言ったわたしに、
「この患者さんはね、
 数年前から足が弱ってしまって
 リハビリもだいぶやってるんだけれど、
 部屋の中を移動するのがやっとで、
 この階段を降りることはできないのよ」

「たぶん、この3年くらいは
 ほとんど自分の部屋から外に出ていないと思うわ」
と看護婦さんが教えてくれました。

「まるでラプンツェルみたいですね、
 塔に閉じ込められて」
グリム童話の、
高い塔に幽閉された
髪の長いお姫さまのことを思い出しました。

「そうね。
 この患者さんのようにどこにも行けず
 部屋に閉じ込められてしまっているお年寄りが
 マンハッタンにはたくさんいるのよ」

『エレベーターのあるアパートにお住まいですか?』
という質問は、
この地域に住む足の弱った一人暮しのお年寄りにとっては
『あなたは外の世界とつながっていますか?』という質問と
ほとんど同じ意味を持つのだ、ということを
このとき初めてわたしは学びました。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2002-06-23-SUN

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