PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙44 集中治療室1 プリンセス・ブライド

こんにちは。

先月は、集中治療室・ユニットの担当で、
朝起きて、シャワーを浴びて
お弁当を作って、仕事に出かけて、
働いて、ときどき当直をして、
帰ってご飯を食べて、「ほぼ日」を読んで、寝る。
という4週間を過ごしました。

一般病棟では、2人組みで働くのですが、
ユニットでは、医学のレジデント5人に
薬剤師のレジデント1人
それに学生もいる大所帯になるので、
忙しかったけれど、にぎやかで、楽しい毎日でした。

毎朝、ユニットにいる患者さんについて
みんなで回診をするのですが、
ある朝、その途中でひとりの男の子が
「それって、アーズ・ユー・ウィーッシュって感じだねー」
と言い出しました。

「?」

その場にいた全員が、
いったい何のことを言っているのかわからなくて、
「なんだ、そりゃ」
と聞き返しました。

「え、ほら、プリンセス・ブライドだよ」

そういえば、そういう題の映画があったような気がしますが
わたしは観たことがありませんでした。

その子は、
「プリンセス・ブライド、観たことあるでしょ?」
とたたみかけてきます。

「ない」
「ない」
「知らない」

そこにいた7人のうち、
彼を除いた6人は一度もその映画を観たことがない、
ということがわかりました。

その子は、それがとてもショックだったようで、
「プリンセス・ブライドっていったら、
 高校とか大学のときに絶対観る映画だよ、
 もう古典なんだから」
としつこく主張します。

なんでも、「プリンセス・ブライド」のなかで、
主人公の若者がお姫様に向かって何度も口にする、
「As you wish.(仰せのままに)」
というのが、この映画の鍵となる台詞なんだそうです。

「へー、そうなの。」

「7人もいるのに、みんな一度も観たことないなんて」
と、彼はいつまでも納得いかない様子です。

「もしかしたら、みんなその映画が公開されたときには
 アメリカにいなかったんじゃないの?」
と誰かが口にしました。

なるほど。

7人の内訳は、
アメリカ生まれ、インド系アメリカ人。
シンガポール生まれ、中国系アメリカ人。
アメリカ生まれ、ギリシャ系アメリカ人。
カサブランカ生まれ、エチオピア系オーストリア人。
アメリカ生まれ、アイルランド系アメリカ人。
アメリカ生まれ、イタリア系アメリカ人。
日本生まれ、日本人。

この中で、
米国での教育を受けていないのはわたしだけで、
あとは、みんなこの国で教育を受けて今日に至っています。

「みんな、ここにいたんじゃない。
 映画も観ないで、一体何してたんだ」
彼はしつこく食い下がりますが、
だんだん忙しくなって、それどころではなくなって
その日、その話はそこまでになってしまいました。

それからというもの、
彼は、ユニットにやってくるほとんどすべての人に
「プリンセス・ブライドって観たことある?
 あのアーズ・ユー・ウィーッシュの」
と訊きまくり始めました。

冬の集中治療室・ユニットはとても混んでいて、
ベッドが足りずに、神経科や外科用のユニット、
ひどいときには手術の後に一時使われるユニットや
ER(救急外来)のベッドなどを使わせてもらわざるを
得なくなることが多かったのですが、
そんな外科用のユニットに入院させた
患者さんの血圧が急に下がって
みんなで駆け付けて大騒ぎをしている最中に、
彼は点滴をつないでいる看護士に
「点滴は、全開にして全部落としてください。
 ところで、プリンセス・ブライドって観たこと
 ありますよねー」
と、彼のいつもの質問を始めました。

「この状況でも、まだそんなこと訊いてるなんて」
と、おかしくなって、思わず笑ってしまいましたが、
その看護士と彼は、
「あれ、いいよねー。大好きだよ」などと2人で
盛り上がっています。

彼の2週間にわたるリサーチの結果、
呼吸器内科の教授も含めて
ほとんどのひとが、その映画を観たことがあって、
わりと気に入っている、ということが
だんだんわかってきて、
彼が言うように、わたしたちのグループが
すこし標準から外れているらしい、
ということになりました。

結構つらい、4週間のユニット生活を終えて
わたしたちはそれぞれ次のローテーションに
移ったのですが、先日、「ユニットの同窓会をしよう」と
みんなで集まりました。

その日は彼のアパートに集まって、
みんなが当直の時によく出前をとっていたインド料理屋から
届けてもらったカレーを食べながら、彼はついに、
プリンセス・ブライドをわたしたちにみせることが
できました。

ピーター・フォークが孫に本を読んで聴かせる形で
はじまるこの映画は、まあ面白かったけれど、
2週間も情熱を傾けてリサーチをするほどかどうかは
ちょっとわかりません。
「アーズ・ユー・ウィーッシュ」の意味は
わかるようになりましたが。

本当は今日は、チームでいっしょに働いた
薬剤師のレジデントが、いかに頼りになったか、
ということを書くつもりだったのですが、
それは次回に。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2000-03-25-WED

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