第3回 日本の人たちが持っているもの。
パトリック 日本に来て、これまでずいぶん
たくさんのことを教わってきたんですけど、
教わったことの中で、大きかったのが、
さきほどもお話しした「品」についてのことと、
あともう一つ、日本の人々の
「個人より集団で考える」という部分で。
糸井 はい。
パトリック アメリカの友達が、
「そろそろアメリカに戻ってきたらどうだ」とか
「帰ってこないの?」って言うんですけど、
私はもう、ずっと日本に暮らしているので、
みんなが「個人より集団で考える」日本のほうが、
居心地がよくなっているところがあって(笑)。
糸井 ああー。
パトリック アメリカの普通の人は日本のことを全然知らないので、
ずっと日本にいる私のことが理解できないんですね。
でも、「早くアメリカに戻って来いよ」って
いつも言ってる友達が日本に訪ねてくると、
みんなびっくりするんです。
「日本っていいところだね」って。
糸井 (笑)
パトリック で、「集団で考える」ということに通じるんですが、
最近、私が興味を持っているのが
「集合知」(collective intelligence、集合的知性)
という考え方についてのことなんです。
糸井 集合知。
パトリック ええ。
「たくさんの意見や情報の寄せ集めの中に
 見いだされる知性」というようなことですね。
一般的にはインターネットを通して
体感されていることが多いでしょうか。
そして基本的には
「全体の知性をあげるには、
 よりたくさんの人が知恵を出し合えばいい」 
というように考えられています。
糸井 はい。
パトリック でも私はいま、その「集合知」の考え方を、
全体の数とは別の、新しい視点から考えると
いいんじゃないかと思っていて。
どういうことかというと、
全体の数を増やすのではなく、
「どんなふうにすれば、
 一番クリエイティブな集合知がつくれるか」
という視点で考える。
知性をつくっていく、という発想から、
みんなが集合知のことを
考えていくといいんじゃないかと。
糸井 ああ、なるほど。
パトリック 普通は「クリエイティブになる」とかって
個人の話であって、グループの話ではないんです。
だけど、日本には、さきほど言いましたように
「集団で考える」という特質がありますよね。
日本は、非常に、みんなが、
「個人より集団で考える」ような社会です。
だから日本の人たちは自分たちで工夫すれば、
「日本」という集合知を高められるかもしれない。
そして、「日本」というグループが、
さらにクリエイティブになれるんだったら、
絶対にいいですよね。
糸井 ええ。
パトリック どのようにグループ内の、
個人のクリエイティビティを最大化して、
どんなフレームワークがつくれるか。
最高にクリエイティブな集合知をつくるために、
どんな過程が必要なのか。
言葉でいえば「集合知のクリエイティブ」
(creative collective intelligence)でしょうか。
このごろ、そういったことを考えているんです。
糸井 ああーー、すごくおもしろいですね。
あの、ちょっと違う話かもしれないんだけど、
話を聞きながら思い出したことがあって‥‥。
このあいだね‥‥ええと、ちょっと待って、
そうそう、これだ。
(犬の写真を見せる)
パトリック 犬?
糸井 ええ、そうなんですけど、じつはこの子、
オオカミと犬のハーフの犬なんですね。
パトリック あ、そうなんですね。
糸井 そうなんです。
先日、ぼくはこの子を飼っている人のところに行って、
いろんな話をうかがったんですが、
そのときの話がおもしろくて。
オオカミって、もともと群れとして、
つまりグループで生きてますよね。
で、この子にも同じように
「群れ」という本能があるんです。
この家に犬はこの子しかいないんだけれど、
やっぱり家族との間に順位をちゃんとつけて、
同じ「群れ」なんだって認めさせないと生きていけない。
で、このオオカミ犬もちゃんと家族のことを認めて、
この家の家族の一員として生きていて。
パトリック ああ、なるほど。
糸井 それであるとき、飼い主の人がこの子と、
山の奥深くまで行ったとき、
この子が急に、バーーーッと走っていって、
いなくなっちゃったらしいんですね。
帰ってこないので飼い主の人は
いったん山から下りちゃったらしいんだけど、
しばらくしたらこの子が、
鹿といっしょに帰ってきたんだって。
つまり、その鹿は、「獲物」なんですよ。
その犬は狩りを続けて、「獲物の鹿」を、
群れのところへ追い込んできたわけです。
パトリック ああー。
糸井 で、鹿を追い込みながら
飼い主の人がいるところまで戻ってきて、
どうするかっていうと、
それ以上はどうしようもないんですよ。
犬は鹿が逃げないようににらみつけてる。
鹿も死にたくないから構えてる。
でも、飼い主は、べつに鹿を捕らえたくはない。
だから、オオカミ犬には、
群れで行動する本能だけがあるけど、
実際には、群れはないんですよ。
パトリック はい。
糸井 だから、飼い主も犬も
「‥‥どうする?」ってなっちゃった。
そのエピソードが
ぼくにはとってもおもしろくって。
「群れで生きる」というのは、
そういうことなんじゃないかと思ったんですね。
何が言いたいかというと、
素晴らしい知性を持った
「群れ」とか「グループ」というのは
一人のときに力を最大に発揮する人たちが
集まってできあがるのではなくて、
隣の仲間との「どうする?」の関係の中で、
その「群れ」の知性が一番高まる状態ができる、
ということなんじゃないかなと。
パトリック うーーん、なるほど、なるほど。
糸井 それはオオカミの本能的な知恵なんだろうけど、
もしかしたら人間でも
なんか似たところがあるんじゃないかな、
と思ったんですよね。
パトリック ああ、はい。
糸井 今までは、個人の力っていうものが
ずっと信じられてきたんだけど、
本当は、一人で考えられないことを考えるときって
そういう「群れ」の単位で考えたほうが
いいんじゃないかなと思って。
誰かに「どうする?」って聞いちゃうのも、
欠点どころか、ある意味、
長所なんじゃないか、とかも思うし。
なんか、うちの会社でも、そういう、
みんなで考えることでうまくいく、
みたいなことがよくあるなぁ、と思うんですよ。
パトリック はい、はい。
糸井 グループを、個人の集合じゃなくて、
「グループ」っていうひとつの個性として
考えるほうが正しいのかもしれないな、って。
だって、人間だって、普段は意識していないけれど、
自分たちがパラサイト(寄生)しているものもあるし、
お腹の中の菌のように、自分たちが寄生されていて、
しかもそれがないと生きていけない、ということもある。
実はみんな、そんなふうに普通に、
いくつものものがチームワークによってつながって
ひとつのかたまりとして生きている。
そういうふうにみんなが自然に分業しているようなことを、
もっと意識して大事にしていくことが、
この先のヒントになるかもな、と。
(つづきます)

「日本だと『TED』はプレゼンテーションのイベントだと、
 理解をされがちなんですが、実は正確に言うと、
 『TED』はプレゼンがメインのイベントではないんです」
パトリックさんは言葉を選びつつ、そう語ります。
「むしろその逆。『TED』は完全に『アイデア』の場なんです」

たしかに「TED」は、たくさんの人が
壇上に立ってスピーチをするイベントです。
スピーチの内容を観る人の心に印象づけるために、
映像や小道具など、数々の工夫がこらされています。
効果的に演出された短いスピーチを観ると、
つい、そのプレゼンテーションの手法に注目してしまいます。
けれども、「アイデア」こそが「TED」であり、
核となるコンセプトは、
「Ideas worth spreading(広めるべきアイデア)」なのだと
パトリックさんは力説します。

「卓越したアイデアをみんなで共有しよう、
 というのが一番の動機で、
 もしプレゼンテーションがうまくても、
 アイデアがつまらなければ意味がない。
 動画配信をはじめとしたバラエティあふれるさまざまな活動も
 すべて『Ideas worth spreading』の精神に乗っ取っています」

そして、核となるコンセプトを説明したあとで、
パトリックさんは、こうもつけ加えるのです。
 
「最初はプレゼンのイベントだと思われることに
 戸惑いもありました。
 しかし、今、この『TED』のコンセプトを
 日本ですぐに理解していただくのは
 まだまだ難しいと思っているので、
 今は『ユニークなプレゼンの場』という視点から
 理解していただくのもいいのかなと思うようになりました。
 どんなかたちでもいいから、
 まず『TED』というものを知ってもらう。
 そこから興味を深めてもらって、
 核となるアイデアやコンセプトをわかってもらえればと」

(次回につづきます)

2010年の「TEDxTokyo」より。「思想」の文字の下に
「SPREADING IDEAS(アイデアを広める)」の言葉が 見える。
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2012-07-06-FRI
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