SHIRU
まっ白いカミ。

98枚目:「顔も知らない人の死

 

シルくんこんばんは。お久しぶりです。

ハードな現実に潰れそうになりながら
ヒンデン号で逃避の国に通いながら
だらだらと生きてるところ。
たくさん食べてるしたくさん寝てるし
風邪もひかないよ。いやになるくらい。
そうです、生きてる人の方が大事。
離れていた身近な女性が10月に亡くなりました。
ひとりで決めてひとりでさっさと逝ってしまいました。
癌に冒されて先の長くもない命だったのですけれど。
梅干しの作り方やら子どもの産み方育て方やら
(その前段階もクリアしていませんが)これから
教わろうと思っていたのですが、
待てなかったようです。
忌明けまでは彼女のいた家に毎週帰って
彼女が植えた色とりどりの菊が
ざわざわと咲きこぼれるのを茫然と眺めています。
ごめんなさい。なんだか露悪趣味。
「胆嚢癌でした」って答えるたびに口に残る苦さを
漱ごうとしているのかしら。
顔も知らない7コも下の青年に向かって?
本当の事を言って救われるわけではないのに。

「ご病気で?長く患ってらしたの?」
ノオ!彼女は縊死しました。

誇り高く生きたいね、青年。

 

 

こんばんは。
毎日、すぐ近くで過ごしているのが不思議です。
私は徹夜や遊び歩きで疲れたのか
めずらしく風邪をひいてしまって
今日は毛布と紅茶と本にまみれています。

意志の強い…。御母上だったのでしょうか。
私の母が癌になって「4割は死ぬ。」と
医者に統計表をみせられた事を思い出しました。

母は取り乱し、父は「だから人間ドックのあとに
細密検査を受けろと言ったのに!」と今更
仕方のないことを繰り返しては責任と現実から逃避。
私は私で病院に車を毎日走らせつつ
途端に優しくなっていました。

限りなく時間が貴重だと知った筈なのに
それでいて助かればまた
スーパーのちらしをみて安い洗剤を
探したりするような日常が戻ってきてる。
つくづく怠惰だとは思いますが
そういえば母が絵を描き始めたのは
あれからだった…と気付いたり。

時々、自分の無神経さが嫌になりますが
先のテキスト。私にもらえませんか?

 

 

シル shylph@ma4.justnet.ne.jp

1999-11-23-TUE

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