SHIRU
まっ白いカミ。

92枚目:「邊ヶ人くん」

 

現在、11月7日
よく晴れた日曜日の午後5時。
西日の中、演劇部の先輩のマックにて記述中
へんなキーが増えていたり、足りなかったりで使いにくいったら。
そして膝のうえには邊ヶ人くん。

7キロの赤ん坊というのは
7キロの鉄の塊よりも重たいのだと発見しながら
僕はコネチカットで春を待つ野ウサギのように
先輩夫妻の帰宅を心待ちにしている。

マチネーなので
そう遅くはならないとは思うんだけどもー
平気でゆっくりディナーを食べてくる人達だから
子供にベケットくんとか名付けてしまうのだろうとも思った。
いつも忙しく、赤ん坊もいて、
2人でゆっくりレストランなんて滅多にできないんだから…
そんな殊勝な事を考えていたのは
おむつチェンジ3回目までだった。

赤ん坊は嫌いな方じゃない
とは思うのだけれど…
両親に似てというかなんというか
この邊ヶ人くん、あんまり可愛くない。
そもそも可愛いとかそういう形容をしては
失礼にあたる気がするぐらいで
これは赤ん坊ぽくないというのかもしれない。
大体。率直に顔だけみて判断するなら
苦労した35歳ぐらい。
たぶん僕の方が彼よりも幼く見えると思う。

そんな邊ヶ人くんの父親。
嘉納先輩だけれど。先輩は学生の時から
どんな善人の役についても悪役に見えるという
その才能でもってあちこちの劇団から
重宝されて声が掛かるぐらいだったし。

(最近。関東地方オンリーですけれど
 深夜枠でときおり流れるバイオ・カーワックスのCM。
 「返り血を浴びてもダイジョーブ♪」のとこで
 トラックで銀行につっこんで日本刀を振ってる男。
 あの男が嘉納先輩です。)

母親の華子さんにしても舞台に立つと
若干、22歳にして上品で穏やかな
寝たきり老人の役が似合うという不思議な人だった。

だから2人の愛の結晶である邊ヶ人くんは
凶悪かつ老成というふたりのエッセンスを
それぞれ希釈もせずに受け継いでしまったわけで。
こうしている間にも、ふと下をみると
35歳ぐらいの凶悪な顔がすやすや眠ってる。
手足は口に入るぐらいに小さくスベスベで
ミルキーな赤ん坊の体臭がするだけに
この状況はかえって怖い。

よく。演劇をやってる人は
貧乏だって言われるけれど…
それは間違いなく本当で。
嘉納先輩は相変わらず劇団を続けるために
不定期の日雇いしかできないし
華子さんは育児に専念するために
いまは舞台から離れて在宅で
時々、校正をして小銭にしているんだそう。
それに劇団はどっちかというと赤字事業だ。

「CMに出たと言ったって
 日給は7千円であとは商品払いだぜ。」
そう前に先輩は言っていたけれど…
見ればこの狭い6畳1間の家で
1畳がカーワックスに占拠されている。
きっと先輩夫妻にこれだけの
カーワックスを使える機会なんて
演劇をしている限り、一生訪れないと思う。

もちろんベビーシッターなんて頼めないから
こうしてNYWR(日曜に予定もなさそうな若者連盟)
会長の膝の上で邊ヶ人くんは眠っているわけで
つい暇になるとNYWR会長はこの子の将来の事なんかを
余計なお世話ながら考えてしまう。
夫妻は彼を天才子役として育てるつもりらしい。
確かに0歳にしてこの堂々とした風格。なんだろう…。
丈夫な紙オムツのCMで
他の子の他社製オムツをひきちぎる役とか
そういうのが彼には似合うのかもしれない。

午後7時になった。
そろそろ先輩達が帰ってくると思う。
きっと学生の頃の出世頭Mさんの演技とか
N劇団の事とかを熱く夜まで語るんだろう。
それと自分のやりたい劇の話とかも。
(これを書く前、僕はシナリオファイルを開いて読んでいた。)

こうやって他人には沢山の夢をみせて
毎日、ジャージを着たまま王様になったり
犯罪者になったりする先輩が
僕は個人的に好きなんだけれど…
でも 現実の世界では親子3人が6畳で暮らし続けていて。
邊ヶ人くんだって顔以外も成長するんだし
その時に他の子が持っているような
目に見える玩具とか、手に触れられる変身スーツを
彼が欲しがったりするんだろうと思うと
シナリオを読んで完成を楽しみにしている僕なんかは
申し訳ないような気分になる。

まあ、その点。この子の顔に救われてるというのか。
邊ヶ人くんの逞しい寝顔をみてると
この子は何があっても1人で力強く生きていく。
それどころか、もう…生まれる前に苦労してきた風情さえあって
根拠もなく安心させてくれるから不思議だ。
実は嘉納家って、バランスのとれたいい家族なのかもしれない。

 

シルチョフ
shylph@ma4.justnet.ne.jp

1999-11-14-SUN

BACK
戻る