SHIRU
まっ白いカミ。

自作

67枚目: 「TVゲームの話」

 

チャラリラッ、チャ、チャ、チャー♪ (レベルアップ)

こんばんは、シルチョフです。
上の表記だけでもゲーム好きなら
頭の中にドラクエのフレーズが流れた事でしょう。

TVゲームとは黎明期の頃からのつきあいで
最近はちょっと離れ気味の気がしますが
FF8ゼルダもクリアしましたし、まだまだ現役。

ぴゅう太とかはまぁパスするとして…。
小学生の頃はファミコン。
スーパーマリオいっきスカイキッドエキサイトバイク
バトルシティーチャレンジャー影の伝説、etcetc…
嗚呼…最近の若い子は知らないんでしょうね。
バンゲリングベイを定価で買った悲しみを。
その頃、私は親の転勤について海外にいたので
日本製ゲームソフトの入手は困難を極めました。
みんなで順繰りに貸しあったり。祖母にねだったり。

---手紙を送って長かった1ヶ月。
楽しみにしていた祖母からの小包を開けると出てきたのは
水戸黄門武田信玄…。
泣く泣く武田の騎馬軍団を編成したりしたものです。
220Vじゃファミコンが動かないので
燃えそうに熱くなってる変圧器を心配しながら
ゲームは1日1時間どころか
朝から10時間だって遊べました。懐かしいなぁ。

中学生の頃は成長してスーパーファミコン。
F-ZEROのスピード感にカーブで体が傾き
マリオカートで弟と甲羅のぶつけ合い
桃太郎電鉄で友情が崩壊したし
シムシティーでは市長の家に豪華な庭を造って
財政が破綻したりしましたっけ。

ストリートファイターIIが流行って
ゲームセンターに通い始めたのもこの頃です。
まだまだUFOキャッチャープリント倶楽部が台頭する前。
新宿の薄暗いゲームセンターでは
じべたに不良座りで円陣を組んだ学生が
唾を床に吐いては水たまりをつくったりしてました。
信じられないでしょう!

成長も無くそのまま高校生になって
放課後は決まってセンター街にいたので
学校より通った回数は多いかもしれません。
デイトナUSAバーチャファイター2バーチャロン…。
西スポで蛍の光が流れる頃には電車が無くなって
始発を待つ大崎は明電舎の工場前で
コンビニで買った肉まんを囓ってみたり。

プレステにNINTENDO64。
ファミコンのころは"ピコピコ"と蔑称で呼ばれていた
電子音もCDでフルオーケストラだって流せるし
画面もずっと綺麗になって
コンピュータの性能向上はなんだか
ずっと成長を見守ってるみたいで
私が協力してる訳でもないのに嬉しいです。

 

「ゲームばっかりしてるとろくな大人になれない!」
「ゲームをしてると現実と空想の区別がつかなくなる」

ドラクエの発売の度に万引きやカツアゲ事件が
新聞に載っては強引なこじつけで
ゲームの有害性が説かれたりして…
そんなのも自分が非難されてるみたいに
嫌な気分を味わってきました。
(…根強く続いてますね。 )

「自分たちが理解出来ないとすぐに悪いモノと決めるんだから。」
「おうおう、ゲーム漬けのまま立派な大人になってやろうじゃん。」
子供心に思っていたものですが、本当に最近、
現実と空想の区別が曖

そりゃ、あんなも時間を使って遊んだ事が
人格に何も影響を与えていない訳はないし
何にもならなかったとだって思いたくありません。

私が二十歳の誕生日を迎えた時は
「そろそろ、ここいらで一旦セーブをしたい…。」と
わりと真剣に思いましたさ。
自転車で走っていてちょっと危ない思いをした時は
「自分の人生がマルチエンディングだったら
いまのはバッドエンディングの1つとの分岐点だった。」
そんな風に考えたりもします。

でもそれはゴルフ好きのおじさんが
人生をゴルフに例えてみたりするようなものだし
B級のヤクザ映画を観たあと
ちょっと肩で風を切るように歩いてみたり
ドラゴンボールを読んだあと
(念のため)押し入れのふとんに向かって
かめはめ波の練習をしてみたり
空想の世界と寄り添って現実を過ごすのは楽しいのです。
でもそこから先は時代劇をみた爺ちゃんが
道端で包丁もって斬り合ってないのと同じ事。

ゲーム機に猫の生皮が使用されてるわけでもないんだし
ゲームそのものがいいとかわるいとか
いえた話じゃないのに…と思うのです。
ピコピコ。

 

 

シル (shylph@ma4.justnet.ne.jp)

from 『深夜特急ヒンデンブルク号』

1999-08-28-SAT

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