淡路島・津井は昔から瓦の街として知られていて、
沢山の瓦工場があります。
自然が豊かで、瓦に適した土があり、
空気の美味しい場所です。
第一線で活躍するカメラマンだった山田脩二さんは、
30年前に突如、津井に移り住み、瓦工場で働き始めました。
2年ほどでノウハウを覚え、瓦職人として自立しました。
脩二さんは2つ目の天職をみつけて、
カメラマンからカワラマンへと華麗なる転身をはかったのです。

▲凱風館の門の前で瓦を手に持つ山田脩二さん

3年前にはご自宅の脇に、
今では絶滅しそうなほど珍しくなった「だるま窯」を建設し、
月に一回のペースで火を入れて瓦を焼いています。
瓦を焼くという仕事は、それはもう大変な肉体労働です。
千枚もの瓦を窯の中に丁寧に配置し、
最大900度ちょっとの熱が均等にいきわたるように工夫します。
薪をくべて、火をおこし、
昼夜を問わず24時間態勢で窯を見ながら焼くのです。

▲脩二さんがつくった念願の「だるま窯」

▲「だるま窯」の屋根に近くの廃墟からもらってきた
 風情のある古い瓦が載っている

こうして焼き上がった瓦は、
機械で焼いたものに比べてどうしても精度は落ちます。
土は伸縮しますし、燻(いぶ)しの焼け方にもムラが出ます。
しかし、大きさが数ミリ違うことや、
燻しの光り具合にムラがあることは
まったく問題ではありません。
むしろ手仕事の味わいがあり、大変に美しいものです。
管理された工場で生産される工業製品の瓦は、
精度が最重要課題なので、
完全に同じ瓦が正確に大量に作られる必要があります。
でも極度な品質管理はそのために
大量の不良品を生み出してしまうのです。
つまり流通できないゴミとなる瓦たちです。
そうした機械化された合理主義から一線を画したところで、
脩二さんは人間味のある瓦を焼いて、
多くの建築に供給し続けています。

▲「だるま窯」の中で脩二さんの説明を
 熱心に聞く内田樹さん

写真家として脩二さんは
日本全国の山村をカメラ片手に歩いて旅をし、
美しい風景を写真に収めていました。
旅先で杯を交わした村人たちと同じ目線で
脩二さんはファインダーを覗き、シャッターを切ります。
白と黒のコントラストの効いたシャープな写真の中には、
日本の集落に流れる柔らかい時間が
見事に映し出されています。
印画紙に焼き付けられた今は戻らぬ日本の風景には、
かならず瓦が映っていました。
瓦が敷き詰められた屋根は最良のモチーフです。
連続する瓦の燻しが持つ黒の深みが、
ひと際強い存在感を放って画面を支配します。
脩二さんがいつしか瓦に携わる仕事に就きたい、
土を触って焼く生活がしたいと願うようになったのは、
今となっては必然だったようにも思われます。

僕は学生時代に、師匠である石山修武先生の
自邸兼設計事務所「世田谷村」にお世話になり、
地下の事務所で平行定規を使って
青焼きの図面を引いていました。
先生の近くに毎日いましたので、
もちろん来客の方々にご挨拶する機会も多く、
石山さんの古くからの友人である山田脩二さんにも
幾度かお目にかかっていました。
象設計集団による「用賀プロムナード」というプロジェクトに
脩二さんの瓦が沢山使われているのをこの目で見て、
有機的なデザインによって建築と道路の関係を
豊かなものに変貌させる強度を、
学生ながらに体感したのです。
そして、いつしか脩二さんの瓦を使ってみたい
と思うようになっていました。
強く念じれば、しかるべきタイミングで
願いは叶うということですね。

凱風館に玄関が2つあることは最初から決まっていたので、
僕はそれぞれの玄関に
はっきり変化をつけたいと考えていました。
つまり、プライベートの玄関に入って靴を脱ぐ瞬間と、
パブリックな道場の玄関で靴を脱ぐ瞬間とでは、
違った心持ちを作り出したかったのです。
そこで思い出したのが、脩二さんの瓦です。
燻しのムラや土の質感の異なる敷き瓦を使い分ければ、
「家に帰ってきたな」という安心感を覚える玄関と、
「さあ、合気道の稽古をするぞ」
という緊張感にふさわしい玄関と、
2つをつくり分けることができそうだと思いました。

▲道場の玄関/門の足下の瓦を施工している

▲完成したばかりのプライベート玄関の敷き瓦。

思い立ったが吉日、さっそくいつもの電話攻撃です。
脩二さんに簡単に自己紹介をしたあと、
神戸で初めての建築を設計していること、
脩二さんの瓦を2つの玄関に使いたいこと、を伝えました。
するとふたつ返事で
「おお、石山の弟子か。面白そうだな。
 じゃあ、一度淡路島に来なさい。
 一緒にうまい酒でも飲んで、話を聞こうじゃないか」
と、あたたかく迎え入れてもらいました。

数日後、神戸・三ノ宮の駅からバスに乗って
明石海峡大橋を渡り、淡路島を訪ねました。
仙人のような長くて白いあごひげを蓄えた脩二さんが
津井のバス停まで迎えにきてくれました。
世田谷村でご挨拶したことがあったとはいえ、
この時が初対面のようなものです。
さっそく、自宅脇のだるま窯に案内されました。
煙突のついた瓦屋根の下にあるだるま窯は、
文字どおり大きなだるまが鎮座しているようで、
風格のある佇まいが印象に残ります。
火を入れるための薪も大量に積んであり、
ものづくりの現場らしい心地よい空気が流れています。
裏手の工房らしき場所で、たくさんの種類の瓦を見せてもらい、
あれこれとイメージを膨らませます。
だるま窯とご自宅をつなぐ道沿いに、
瓦をただ積み上げただけの塀があり、
それがあまりにも美しくて、見入ってしまいました。
まさに一目惚れです。
これを凱風館の塀のデザインに取り込みたいと、
すぐ脩二さんに伝えると
「おお、できるよ」とこれまたふたつ返事。

▲瓦をただ積み重ねただけの塀。

わくわくと興奮したまま、ご自宅にお邪魔すると、
大工だったという脩二さんの父親が設計した
素敵な木造住宅は、
なんとも強烈な空間でした。
室内のあちこちに配置された瓦の一輪挿しや
お皿、宇佐見圭司画伯の絵画まで、
すべてにぴりっとした緊張感が漂っているのです。
細部まで脩二さんの美意識が貫かれたその部屋で
昼間から乾杯をしました。
図面を見ながらの打ち合わせもほどほどに、
建築の話や瓦の話、昔の写真家時代の話まで、
あっという間に4時間以上話し込んでいました。
肝心の凱風館プロジェクトについても、
すぐに趣旨を理解していただき、
今度は脩二さんが神戸の凱風館の現場に来ていただいて、
詳細を検討していくことになりました。

こうして凱風館の2つの玄関と外部の塀を
山田脩二さんの焼いた瓦で仕上げてもらうことが決まりました。
昼間にもかかわらず飲んでいたビールは
いつしか美味しい焼酎に変わっていました。
脩二さんに凱風館に参加してもらうという念願が叶った喜びで、
すっかり酔いがまわり、顔を赤くした僕は、
帰りのバスと電車では
ぐっすり深い眠りについてしまったのでした。

次回につづきます。

2011-11-11-FRI
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