大貫妙子の絵本。
『金のまきば』が、できるまでの1年間。


第1回 はじまりは2003年、「みんなのうた」で。



── 大貫さん、今日はよろしくお願いします。
この絵本『金のまきば』のプロジェクトを
誰よりも強く引っ張っていかれたのが、
大貫さんだったと知って、
こりゃお話聞かなくちゃと思って。
大貫 どうぞ、どうぞ。
── 先日NHK「みんなのうた」で
「金のまきば」を担当した
プロデューサーの飯野恵子さんと
絵を描かれた坂井治さんから、
「金のまきば」ができた経緯を
おうかがいしてきたんです。
貫妙子さんに「みんなのうた」を
お願いしたくて、
わたしが組んでいただきたいと思う
5人のアニメーション作家の作品を
見ていただいたなかに、
この「金のまきば」の原形となった
坂井治さんの卒業制作の、
3分弱の作品がありました。
坂井さんと私は、『Time〜時のしおり〜』
という作品で御一緒していて、
とんでもなく素晴らしいものを
作ってくださったんです。
それからずっと
「単に出来上がった音楽に
 映像を付けるのではなく、
 次回は白紙から組みたいな」
と思っていました。
彼の作品には表現の幅があり、
すごくメルヘンチックなものも描くし、
可愛いものもあるし、暴力的なものも作るし。
何が飛び出すか分からない。
そういうひとだったんです。
そうしたら大貫さんから、
素晴らしい、と。
「とにかくこの人に会わせて」
「コレをやりたいの。コレをこのまま!」
「このバケツの穴! コレ!」。
──そういう経緯で始まりました。

(飯野恵子さん・談)

きなり、ある朝、電話があったんです。
「みんなのうた」の飯野さんから。
「大貫さんが歌を作ってくれるって言ってる」
って。‥‥えっ? って思って。
寝起きだったし。ぜんぜん信じられなくて。
だって大貫妙子さんで「みんなのうた」って、
「メトロポリタン美術館」ですよ。
ぼくが小学校のころから、大好きで、
ビデオで何回も何回も見ていた
あの音楽をつくった、あの人ですよ!

(坂井治さん・談)
── ということでした。
それでまず「みんなのうた」の制作が
スタートしたわけですね。
大貫 うん。
── その最初のビデオを借りてきました。
坂井治さんの卒業制作をお借りしました。
上の画像をクリックすると、ごらんいただけますよ。
なお、この動画は卒業制作そのものではなく、
実際より少し短いダイジェスト版となっています。

── これ、じつは坂井さんの卒業制作の作品で、
しかも未完なんですよね。
なのに‥‥ここから感じたものの、何が、
大貫さんの心を、
そこまで響かせたんでしょう?
大貫 バケツの「穴」ですね。
── 穴? たしかに穴のシーンから始まりますね。
大貫 最初、バケツの、長い映像がありますよね。
バケツがあって、ハエが周りに
ちょっと飛んでたりして。
そのバケツの底には穴が開いている。
その穴のかたちです。
── 錆びて、朽ちてしまったような形をした穴に?
大貫 そう、錆びてね、底が抜けた穴。
その長いイントロダクション、
その映像のきれいさと、なんていうんだろう、
「これから何が始まるんだろう?」
っていうワクワク感と。
それがもっとも印象的だったんです。
細かく色が描き込んであってね。
── 坂井治さんの描き込みっていうのは
尋常じゃないんですね。
アトリエにお邪魔してきました。
井さんは「ロボット」という会社
ROBOT CAGEという
アニメーション作家の集まる部署に所属。
そのアトリエは、
当時目黒の住宅街のなかにある一軒家にあり
彼が絵を描く場所は台所のすみの机でした。
「金のまきば」を「みんなのうた」の作品として
完成させる過程も、
絵本『金のまきば』の絵を描く過程も、
このアトリエが舞台となりました。

ひかりのさしこむこの場所で絵を描き、
すこしくらがりに置かれたパソコンにとりこみ、
アニメーションを制作していきました。
「坂井くんは、ほっとけば、
 いつまでもいつまでも
 描き続けることができるんだよ」と
まわりの仲間も言うほどの、集中型。
いつまで描いても、飽きることがないのだそうです。

ほら、ちかくで見ると、この描きこみよう!!
大貫 しかもこのもとの作品は彼の大学の卒業製作で、
自分のためにやっていたものなわけです。
黙々と。それは、頼まれた仕事ではない。
自分のためにやってることなんですね。
人をよろこばせようってことではなくて、
自分が納得してよろこぶためのものだった。
それが大事、なんですよね。
「誰かのためにつくる」というのは、
その誰かっていうのが、
ひじょうに明確ならいいけれども、
そうじゃない場合は──、
どっちかっていうとウソなんです、
私からしたら。
それがはっきりしていたのが
彼の卒業制作の未完の「金のまきば」でした。
だからわたしは、とにかくそのバケツのところを
使いたいと思ったんです。
彼の作品、あと2作ぐらい
見せていただいたんですよ。
でも他のよりなによりね、やっぱり
「金のまきば」に、ずっと強く惹かれました。
それはなぜかって、言葉で言うのは難しいです。
でも、なにかに惹かれるっていうときは、
理屈とか理由とかないんですよね。
像の導入の「穴」の表現に
大貫さんが魅かれたというのは、
わたしはこういうことだと思います。
バケツの穴の中の向こうの世界に、
自分がもしかしたら全然知らないものが
あるかもしれない。
その、別の世界の反対側への扉っていうのは、
じつは日常の中にあるのかもしれない、
とんでもないところにすごく大きなものが
あるんじゃなくて、
日常の中のあらゆるものにその鍵はある。
大貫さんがずっとずっと求めてきた表現と、
坂井くんが「金のまきば」を描いた、その軸が
もう、見事に合致したんだと思うんです。

(飯野恵子さん・談)
── 坂井さんにとって、
未完のものを完成させるとはいえ、
自分のためにつくったものを
もう1回べつのかたちで、
それも仕事としてつくりなおす、
っていうのは、想像がつかないんですが、
すごいたいへんなことなんじゃないかな?
っていう気がします。
大貫 そうですね。なのでわたしの最初のリクエストは
この自分のためにつくった作品の力強さを
そのまま、とにかく、見せたいということ。
映像としてね。だから、
「そのまま使えないのか?」ということを
訊いたんです。それがいいんだ、って。
── このまんま! 未完の卒業制作のまま?!
大貫 そう、それがいいの。
ほんとうは描き直してはダメだから、
それを使わせてほしい、って言ったんですけど、
やっぱりそのままでは無理なんですね。
なかにはそのまま使える部分もあるんですけど、
4分40秒の「みんなのうた」の映像にするには
どんどん描き足していかなくちゃならなかった。
結果的には、もとの映像を
使ったところが半分。描き足した部分が半分。
── わるくは、ならなかったわけですね?
大貫 大丈夫。たとえばイノシシとか、
顔も変わってるんだけど、
でも、良く変わっているんですよ。
── 坂井さんが、
「描き直してはダメ」という
大貫さんのその意図をくんで描いたわけですね。
大貫 そうであると思います。
てつもない作業でしたよ。
何度絵コンテを描き直しても、大貫さんに、
一番痛い所を指摘されるわけですよ。
彼は徹夜して、何晩も徹夜して、
絵コンテ持って来て、こうやって広げて。

「うん、うん、うん」て大貫さんが見ると
「これは‥‥何?」という箇所が出てくる。
もう、そこは本人も納得していなくて、
どうしたらいいか迷っていた所を
図星で当ててくるわけです。
見始めて10分もかからないですね。
めくってすぐに分かる。何かが‥‥
きっとエネルギーの波動が弱いんでしょうね、
そこだけね。
もう、大貫さん、超能力者みたいって
思わせるような光景が何週間も続いて。
でも、こうやって、音楽家と映像作家が
がっぷり四つに組むっていうのが、
「みんなのうた」の歴史のなかでも
ほんとうに無かったことなんです。
しかも最初は、坂井くんはやっぱり
年齢も離れていますから、
言いたいことを言えないわけですよ。
「ここはこうしたいんです」とか、
言いたくても言えなくて。
で、大貫さんが1言うと、
10変えてきちゃうんですね。
そうすると、大貫さんは、
「あそこは良かったのに!
 なんでここまで変えちゃうの?
 勿体ないじゃない」っていうことを仰って。
また元の絵コンテに戻ったり。
もう行ったり来たり、行ったり来たり、
すごいしたんです。
もちろん苦労はそれだけではなかったけれど、
そうしてできあがった「みんなのうた」の
「金のまきば」は、
この番組を初期から支えてくれているような
すばらしいスタッフからさえも
「いったい、どうやってつくったの?」
と質問攻めにあうクオリティになったし、
高名な作家の先生方からも
「あれを見て、自分も
 うかうかしている場合じゃないと思った」と。
色々な意味で、視聴者の方々だけでなく
年齢やキャリアに関わらず、作る側の方々の中でも
物議を醸す、極めて刺激的な作品になったんです。

(飯野恵子さん・談)

この「みんなのうた」が、こんどは「絵本」に。
その過程で、大貫さんは新たなメッセージを
「金のまきば」に吹き込みます。
そのおはなしは、また次回。


(C)ROBOT / Osamu Sakai
☆NHK「みんなのうた」についてはこちらも参照くださいね。
●「みんなのうた」オフィシャルサイト
●NHKオンライン
●「みんなのうた関連商品情報ページ」

2004-12-22-WED

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