続・大村憲司を知ってるかい?
大村真司が聞く、父親のすがた。

宮沢和史
×大村真司

その2
先輩たちの姿が、
免疫みたいに
体に入ってる。

宮沢 CD、「First Step」が、
新鮮に聞こえましたね。
真司 俺も、いちばん最初に
聴いたんですけどね。
なんか若い感じがしますよね。
若いころのオヤジって感じが、
いちばんするんです。
「KENJI-SHOCK」は、
俺が聴くと、
かっこつけてる感じが、なんかある。
宮沢 ん。
真司 なんかいい意味でかっこつけてるかな、
っていうのがすごくあるんです。
「First Step」は、
同じ曲が入ってるんだけど、
なんか、もっとこう、なんていうの、
若いころの親父が
そのまま出てるかなっていう感じが
すごくするんです。
だから「KENJI-SHOCK」は
たとえば何かしながら聴く、
っていう感じじゃないですけど、
「First Step」は、聴けますよね。
宮沢さん、「春がいっぱい」とか、
どうですか? その頃のYMOを
聴いてらっしゃったんですよね。
俺はやっぱりリアルタイムじゃないので。
俺の感じでは、
陽気な感じがするんです。
宮沢 「春がいっぱい」は
やっぱ「実験」だったんだろうなって
思うけどね。YMO自体もそうですし。
アメリカの音楽に影響されて、
どっぷりやって。
でも何か、誰もやってない、
誰も行ったことない境地に
行きたいっていうような思いが
きっと、あったんだと思うんです。
細野晴臣さんなんかは、
「さよならアメリカ、さよならニッポン」
なんてメッセージを言ったり、
矢野顕子さんは独自の世界に行った、
みたいな感じがありました。
みんなそれぞれのところへ、
飛びだしちゃったみたいな‥‥。
その中できっと、
もしかしたら大村さんも、
自分なりに、ギターでできる、
誰も行ったことのないとこへ、
扉をこう開けたのかなって
いうふうに思ったけどね。
真司 けっこう切ない感じの曲が多いです。
宮沢 意外とそうだね、聞き直してみたら。
真司 メローなんだけど、
すごい、こう、にこやかな、
感じもするなっていう。
これが、YMOが?
宮沢 全面バックですよね。
ギターっていうのはやっぱり、
それまでは、人間臭くて、泥臭くて、
っていうイメージがあったから、
それとコンピューターの、
無機質な世界と同居するっていうのが、
すごく斬新に見えましたけどね。
真司 そっかー。
宮沢 なんにもお手本のない
世界だったんだよね。
真司 そうですよね、
それは俺もほんとに思います。
コンピューターって、
その頃、デカかったんですよね。
タンスみたいなのを使って
やるわけじゃないすか。
本気度が違うんですよね。
今やってる、俺らみたいな若いのと。
昔みたいに、楽器を極めて、
いい音を出したいっていうよりは、
自分を表現するぜ、みたいなほうに
行ってる気がするんです。
宮沢 日本の音楽シーンで、ちょっと寂しいなと
常々思っているのは、
アーティストとかプレーヤーの人が、
何か商標、商品みたいになってることなんです。
人間自体の評価っていうものが、
希薄な気がするんですよね。
たとえばアメリカでとか、
ジャズプレーヤーでもなんでもいいけど、
リトナーだったら
「あ、リー・リトナーね」
っていうものがあって。
彼のCDがどうのとかっていうよりも、
彼の存在自体にスポットライトが当って、
みんな評価してる。
いや、俺は好きじゃないよっていう人も
もちろんいるけども、
そういう部分が日本には
すごく少ないなと思ってて。
ですから、ギタープレーヤーっていうことで、
食える人って、昔に比べたら、
今、すごく少ないじゃないですか。
バンドの中のギタリスト
っていう場合もあるけど。
大村憲司さん、チャーさん、
鮎川誠さんとか、
名前出しただけでもう、
音も聞こえるっていう人が。
真司 今は、ミュージシャンを町中で見ても、
なんか普通なんですよ。
「キャーッ!」ってなる存在の人が、
少なくなったんじゃないかな。
宮沢 日本のポップスの歴史、まだ短いんで、
全然まだ始まったばっかりだと
思うんだけれども、
音楽ファンの人にも言いたいんです。
商標に目が行くっていうことじゃなくて、
プレーヤー自体に目を向けて、
評価していく時代になって欲しいなと思うし。
で、憲司さんのアルバム、発売になるんで、
すごいいいチャンスだと思うんですよね。
日本の歴史の中で誇るギタリストのCDが
再発になるって、
すごい良いことだなと思って。
これだけいっぱい色んなものが
CDで発売されていく中で、
ちゃんとこの素晴しいものが、
また、みんなの目にとまるチャンスです。
これはすごいことですよね。
真司 俺が聴いても、
斬新だなと思う部分もあるくらいだから。
古いのに新しい部分って
やっぱりありますよね。確かに。
── 宮沢さんが、大村憲司さんと
一緒にツアーをやられる前に
感じていたことと、
一緒にやってみて、実際にプレーヤーとして
おんなじ舞台に立ったときとっていうので、
何か変化ががありましたか?
ほんとにこの人こうだったんだ、
って感じたことって、ありましたか?
宮沢 あのね、いくらファンだといっても、
それまでは生の音を聴くことは
なかったんです。
── そうですよね。
宮沢 コンサートでも、
会場のスピーカーを通して聞くでしょう。
アンプから出てくる生の音なんて、
聴けないわけですよ。
だから、ビックリしましたね、音の良さに。
リハーサルでもう、
バンザーイっていうくらい
この音はすげぇな! と思って。
そして、ライブだと、
もっとすごいわけですよ。
ビックリしましたね。
これだっ! これがエレキの音だ、
っていうぐらい。
そのときのツアーメンバーは、
すごいミュージシャンばっかりでね。
小原礼さんがベースで、
沼澤尚さんがドラムで、
憲司さんがいて、っていう。
そういう後ろからのサウンドがもう、
ヴォーカリストの僕は
気持ち良くって気持ち良くって。
真司 いまだにすごいと思うのは、
親父の機材って、
ほんっとにスタンダードなもので。
宮沢 そうだよね。
真司 ほんと、誰でも買えるもので。
ケーブルもね、さしていいものを
使ってるわけでもないし。
でも、ほんとに、
「その人が出す音」っていうのがあった。
まさに、大村憲司の音
なんだなっていうのがあって。
ほんとに心からね、出てる音っていうか。
宮沢 そうだよね、今はほんとに、
シミュレートすることが多いというか
言い方変えれば
バーチャルなサウンドが多いわけですよね、
ギターにしても。
アンプもシミュレートできるし。
誰でも、けっこうどんな音でも
出せるっていう世界だけど、
逆ですよね。
もう大村さんしかできない。
だけど、そんなに、
なんか秘密があんのかっていうもんじゃない。
真司 なんにもないですよ。
宮沢 人間が出ちゃうっていうのがね。
── そんなに違うんだ。
真司 ほんと、まさに、真似できないとこですよね。
ほんとに。大村憲司のサウンドっていうのが、
チョーキングのタイム感とか、
ピッキングもぜんぶ含めて、
「音っていうのは、すごいな」
っていうのがあって。
宮沢 憲司さんのソロで盛り上がって
終わるっていう曲があったんだけど、
メインボーカルの僕が
客になってるっていうぐらいに
背中で聴いてました。
背中で聴いてんのに、
ゾクゾクってするんです。
── 本番も、また違う感じですか。
宮沢 ライブだからって
デカくなったり派手になったりする
わけじゃないんだよね。
すごい冷静だし。
より、濃密になってくんですよ、音が。
やってることは、
リハといっしょなんですけど、
濃密なんですよ、音が。
説明しづらいんですけどね。
── それって、今、何かで、
見れたり聴けたりしないんですか?
宮沢 あ、DVDになってますよ。
真司 俺も、たまに見ますよ。
すごいです、あれは。
宮沢 あ、そうね。それ、見て欲しいですね。
そっか、あれが残ってるんだよね。
真司 かっこいいっすね。
あれで初めて俺はタカさん
(沼澤尚さん)を見たんです。
もともとTHE BOOMは聴いてたんですよ。
宮沢 え、真司君、いくつだったの?
真司 小学校か中学か。
宮沢 今いくつ?
真司 今、21です。
宮沢 当時、ウチの息子ぐらいの
歳だったんだね。
真司 あんときのライブ、
かっこよかった。
いま映像で見ても、なんか力がある、
伝わってくるっていうか。
宮沢 僕が最初に憧れた
日本人のミュージシャンっていうのは、
やっぱ憲司さん世代なんですよ。
矢野顕子さん、
坂本龍一さん、
細野晴臣さん‥‥
すごい層じゃないですか。
あの、数年に凝縮された人たちって。
あの層には、すごい影響されたんです。
たとえば矢野さんは
リトル・フィートと
『Japanese Girl』を作った。
そして、そのリトル・フィートから、
ギャラいらないよって言わせた。
これ、すごいことですよね。
佐野元春さんは
ひとりでニューヨークに行って、
『VISITORS』っていうアルバムを
作りましたね。
あの時代に、向こうで
ミュージシャン集めて。
俺、ラジオで、山梨の田舎で
ラジオしか情報源のないところで、
そういうの聞いてて、
すげぇな、みんな、と思ってた。
真司 なんか、昔のほうが、
ほんとにアメリカの人とかね、
対等にやってたっていう
イメージがありますね。
── 「はっぴいえんど」の写真集
『SNAPSHOT DIARY:TOKYO 1968-1971』
『SNAPSHOT DIARY:TOKYO 1971-1973』
を見ました? 顔が違うんですよ。
すんごい鋭い顔してるんです。
真司 俺はね、親父の「赤い鳥」時代の写真で
そういう印象がある。
あの人たち、なんか、
野人みたいだね(笑)。
ほんっとに。
宮沢 かかってこい、
みたいな感じなんですよね。
みんなそうだったじゃないですか、
あの時代って。
俺はそれを田舎で見てて、
俺が好きな人、みんなそうなんだから、
俺もいつかはそうしよう、
っていうのがどっかにあったんです。
だから、この歳になって、
ヨーロッパで勝負をしたりとか、
ブラジルでもまれたりとかしていますが
先輩たちのそういう姿があったから
免疫みたいに、体に入っているわけですよ。
その先輩たちを、
自分の父親みたいなもんだと考えると、
親にはできないことを俺はやるぞと思って。
そういうことでしか
「追い越した感」がないわけです。
いつまでたっても、みんな一線だし。
── わかります、すっごくよくわかります。
宮沢 矢野さんにはできなかったこと、
教授(坂本さん)には
できなかったことを、
やりたいなっていうのが、ありますよね。
だから、真司君を見てると、
そういう人が身近にいたっていうことが
すごく羨ましいんです。
お手本であり、
越える、ひとつのハードルであり、
金字塔であり。
真司 知らないでいたらもったいないし、
でも、知っているからツラくもあります。
でも、幸せだっていったら
幸せかもしれないです。
これは、俺に限らず、
同世代の人に言いたいです。
── 知ったほうが、
面白いんじゃないかな?
宮沢 大村憲司さんみたいなプレーヤーは。
そんなに音楽をコアに知らない、
一般の人にも、知っていてほしいんです。
知らないと、おかしい!
ぐらいに思うわけですよ。
誰も知らない境地を作って、
自分で切り開いていった人って、
何人もいるわけじゃないじゃ、ない。
そういう人を、
みんなが知ってるっていうほうが
健全だと思うし。だけど、
作られたスポットライトの当る人間にしか、
みんな興味がいかない。
それは、売るほうの
システムもあるでしょうけど、
そうじゃない! と思うんですよね。
真司 でも、今なんかは、
けっこう動いているほうだと思います。
やっぱりそういう商標的なとこって、
いつでもあるんだけど、
そうじゃない部分っていうのが、
活発になってきてる部分が、
自分が音楽をやっていても思うんです。
若者は若者で、やっぱ考えていて。
宮沢 そうかもね。フジ・ロックなんかで、
井上陽水さんなんか出ると、
若い人なんかが、すげぇ、って。
大拍手だっていうんですよね。
── 本来、その人目当てじゃないのに、
その人に持ってかれる
っていう感じですよね。
宮沢 俺ら(30代後半)の井上陽水像っていうの、
あるじゃない?
で、10、20下の、
たぶんそんなのがない人たちが純粋に、
すげぇ、この人は、っていうの、
すごい面白いことだと思うんです。
日本のポップスも、
どんどん面白くなる気はしますよね。
そういうなかで、大村憲司さんのCDが
バッと出るっていうのは、
いいチャンスだなと思います。
── これから、真司君に、
大貫妙子さんと高橋幸宏さんに
会ってもらうんですよ(笑)。
びびってる?
真司 ‥‥早く終わらせたいくらい(笑)。
宮沢 もう、あのお二方は、
憲司さんがいなかったら、
たぶん音楽人生、
ぜんぜん違うほうへ
行ってたかも知れないぐらい、
憲司さんと密接でしたよね。
で、すごく不謹慎な言い方なんだけど、
亡くなってね、大貫さんとも話したし、
いろんな人たちと会ったときに、
みんな口々に同じことを言ってたのが、
「どうしよう」、
「代わりがいない」って。
真司 うん‥‥。
宮沢 憲司さんの代わりがどこにもいない、
どうしよう?
そう、みんな思ったっていうんですよね。
そういうアーティストだったんだな、
そういうプレーヤーだったんだな、
っていうのを、改めて感じましたね。
‥‥真司くん、いま何してるの?
真司

LightFoot(ライトフット)っていう
バンドやって、ギターやって、
曲つくってます。

宮沢 お、こんど聞かせて。
真司 まだ宮沢さんに聞かせるほどじゃ‥‥
宮沢 いや、聞きたい。
送ってね。がんばって。
真司 ハイッ、わかりました。
ありがとうございました!

宮沢和史オフィシャルウエブサイト
http://www.five-d.co.jp/miyazawa/

*次回は高橋幸宏さん登場の予定です。お楽しみに!

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「大村憲司」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-07-29-TUE

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