続・大村憲司を知ってるかい?
大村真司が聞く、父親のすがた。

沼澤尚
×糸井重里
×大村真司

その1
アスリートであることと、
音楽家であること。

糸井 きょうは大村憲司さんの話を
聞かせていただきたいなと思うんです。
ぼくにとって大村憲司さんというのは、
舞台の上の人なんですよ。
面識はなかったけれど、
ずっと重要な場所にいる人がいるなあ、
とは思っていたんですね。
矢野顕子さんのステージにいたな、とか。
真司くんは、沼澤さんに、
憲司さんについての話を聞いたことは、
いままであんまりなかったのかな?
真司 ないんです。
沼澤 ないよね。
憲司さんと僕がいっしょに
ステージに立ったのを見たことはあるよね。
真司 ミヤさん(宮沢和史さん)のときに
家族で見に行きましたね。
沼澤 一回きりだったんだよね、
僕と憲司さんが一緒に演奏したのを
真司くんが見たのは。
糸井 そのときはまだギタリストじゃない
真司くんだったわけだよね。
真司くんは‥‥坂本美雨ちゃんと
同い年くらいだよね。
ぼくの子供とも、変わらないです。
ということは、
「タカおじさん」なわけだよね。
真司 タカ兄さん、くらいかな?
糸井 じゃあ、ギタリストになった真司くんに
ギタリスト大村憲司は
こうだったんだよ、
こういう人だったんだよ、
という話は、タカ兄さんからは、ないんだな。
真司 それを聞きたいんです。
こっぱずかしいんですけど。
糸井 いや、でも、今聞かないと
普通には、一生聞けないよ。
沼澤 そうだよ、そんな話、しないよ。
糸井 そうなんだよ、わざわざそんな話、
しなくっても、生きていけるんだから。
だから仕事って、ありがたいんだよ。
それが人を育てるの。
だから取材とか、されたほうが、
いいんだよ。
真司 されますされます。
教えてください!
沼澤さんと、オヤジの出会いから聞きたい。
沼澤 僕はね、自分が楽器をやっていない時に
一番好きだったギタリストが
大村憲司だったんですよ。
音楽を聴き出した、小学校中学校とか。
中学校で僕の親友で
音楽好きなやつが一人いて。
日本のロックをよく知ってて、
そいつんちに僕が入り浸るようになって。
サディスティック・ミカ・バンド、
四人囃子、はっぴいえんど、って、
かっこいいじゃん! って。
で、そいつがギタリストを目指しはじめて、
ギタリストで彼のアイドルだったのが
大村憲司さんだったんです。
それで、僕も見に行ったら、
「何てかっこいいんだ、この人」
って思ったんですよ。中学の時。
高円寺のJIROKICHIとかで。
糸井 うんうん。
沼澤 憲司さん、誰かのカバーをやるんですけど、
憲司さんも自分の憧れの人が
その時々で変わって行ったんですよ。
それは、憲司さんの着てるものを
見るとわかった。
着てるものと、ギターが変わるんですよ。
真司 なるほど。
沼澤 よく覚えてる。コーネル・デュプリーに
なった時代っていうのがあってね。
真司 オーバーオール着て?

76〜77年頃、渋谷ジァンジァンで
矢野顕子さんのライブに出演した憲司さんのスナップ。
沼澤 コーネル・デュプリーの音を出して、
コーネルのTシャツ着て。
70年代後半、僕が高校くらいのときかな。
そのころ、いわゆるジャズのミュージシャンが‥‥
糸井 ロックと交遊していた時期だね。
沼澤 ロックとかR&Bとか、
そういうことのできるミュージシャンを雇って、
いわゆるインスト、歌のない音楽、
ボブ・ジェームスとか、
すごく流行った時期がありますよね。
糸井 うんうん。
沼澤 そのとき、憲司さんは
「赤い鳥」のブルース云々っていう時期から
ちょっと離れて、
「ケンジ・ショック」の時期になる。
糸井 なるほどなるほど。
沼澤 それが僕がすごくよく
見に行ってたころなんです。
深町純さんのカルテットで
憲司さんが抜擢されて
ポンタ(村上秀一)さん、小原礼さんと
4人でやっていた時期なんです。
慶應の学祭まで見に行ってた。
ギター弾いてる姿がカッコイイとか、
ドラム叩く姿がカッコイイとか、
見てくれがカッコイイ人が
とても好きだったんですね。
で、日本のギタリストでは
憲司さんしか、僕にはいなかったんですよ。
弾いてるのがカッコよくて
着てるものがカッコイイのは、
憲司さんしかいなかった。
糸井 うんうん。

六本木PIT-INNでの「ケンポンバンド」。
沼澤 で、僕がアメリカに行く時に憲司さんの
「春がいっぱい」っていうアルバムが出たんです。
すごい大事に持って行ってたんです。
アメリカに行ったら学校に通って、
毎日クタクタになるでしょう。
寝る時に、必ず最後に聴いたのが、
「春がいっぱい」だったんですよ。
真司 へえ!
糸井 何がそんなによかったんですか。
沼澤 あのね、すごい安心させてくれるギターなんです。
アメリカにひとりで渡って、
焦ったり、怖くなったり、しているとき。
糸井 安心させてくれるギター。
沼澤 これを聴けば大丈夫!
っていうことに僕の中ではなってた。
あの黄色いジャケットで、
憲司さんが黒いスーツで
黒いサングラスをかけて。
真司 うん。
沼澤 僕がなぜアメリカに行ったのかっていうのは、
要するに本場なところに
行きたいっていうことなわけです。
要するに簡単に言うとまだ20代だし、
日本の音楽にたいして、何だよ!?
とか思ってるわけじゃないですか。
糸井 うん。
沼澤 俺は本場に行くんだよ、って。
でも、そう思って行ったんだけど、
何故かあれだけは持って行った。
真司 唯一「春がいっぱい」は。
沼澤 この人だけは違うって。
真司 オヤジだけはなんかこう、
日本っぽくないって言うか。
見た目からして、俺から見ても、
なんか、アメリカに溶けこんでるふうに
見えてました。
沼澤 目線が外に向いているというのは
ハッキリしていました。
簡単に言うならば、
憲司さんの音楽って、
邦楽じゃないんです。
僕らがやってることって
洋楽に影響を受けたものだし、
そもそもドラムっていう楽器だってそうだし。
で、僕も自分でやるようになって、
アメリカに住んでいたときも、
憲司さんがライブをやるときには
日本に帰って見ていました。
この人だけは見とかないと、
というのが、自分の中にあって。
糸井 出会いはそのころ?
沼澤 そうなんです。
見に行っているうちにまず
ポンタさんと知り合いになって、
憲司さんに紹介してくれて。
「ああ、キミがアメリカで
 何かやってる人?」みたいに。
真司 ああ、そういう出会いだったんですね。
沼澤 で、何度か見に行っているうちに、
ライブのアンコールで、ポンタさんが
客席にいる僕に「お前やれ」って。
糸井 えっ。客として行ったのに、
「お前やれ」なの。
沼澤 六本木ピットインでした。

六本木ピットインでのスナップ。
真司 それって何年くらい?
沼澤 90年か、91年。
それでやっと、憲司さんが、
こっちを振り向いてくれたんですよ。
こっちはもう憧れの大村憲司ですから‥‥
覚えてるのは、初めてやったとき
「一緒にバンドやろうぜ」って言われたこと。
糸井 沼澤さんは何歳くらい?
沼澤 30歳くらいですね。
憲司さんは42歳くらい。
そうか、僕の今くらいの年齢だったんだ‥‥
そのときね、
「日本人と違うよね」
って言われたんです。
「タカの場合は、
 足で作ってくドラムだよね」
って。
それからセッションに
誘われるようになりました。
糸井 真司君はまだ小学生だよね。
真司 そうか、ひょっとして、俺、
その頃すでに、タカさんとオヤジのセッション、
見てるかもしれないです。
糸井 小学生で? 家族と一緒に見てたの。
真司 オヤジがね、手を取っては教えないんだけど
ライブを見て学べ、みたいなとこがあって。
糸井 「どうだ、楽しいだろう?」
みたいなことだったんだろうね。
真司 たぶん。
糸井 あるいは単純に、
一緒にいたかったのかもしれない。
真司 そうかもしれないし‥‥
俺は、行くと、
なんかうるさいの始まったな、
でもポテト食べれるし、みたいな。
沼澤 ああ、ピットインのポテト。
糸井 ギタリストにしたかったのかな。
沼澤 どうなんだろう。
真司 その前に一回挫折してるんですよ。
2歳だったかな、
俺にギターを教えようとしたんです。
沼澤 2歳!


真司くん2歳の誕生日、ミニギターを買ってもらう。


真司くん、ギターを初めて教わる?

真司 でも、俺はわけわかってないから
「いらない!」とかってなった。
そしたらもう、オヤジ、怒って、
「あいつは才能ねえぞ!」って
母に言ってたらしい。
その時にオヤジは、
これはもう手を取って教えても
ダメだなっていうのを
早く決断しちゃったんだと思うんです。
やりたかったらやれば? みたいなので、
とりあえずライブは見に来いよっていう。
それがどういう意図かは分かんないけど。
結局、俺、ギターを弾き始めて、
本気でやりはじめたのは中学の頃だけど、
その頃には結構うれしがってたみたい。
俺が自分からやり始めたことは
うれしかったみたい。
糸井 うれしいよ、そりゃ。
沼澤 そりゃそうだろうね。
糸井 そりゃうれしいよね。
下手だとカリカリ来るんだろうね(笑)。
沼澤 お前こんなことも
分かんないのかって言い出すと
えらい喧嘩になりそうですよね。
糸井 同じ商売って大変だよ。
沼澤 スポーツでもそうだけど
親と同じことをやるのは
大変なんです。
俺は若貴って信じられなかったもん。
糸井 すごいことだよねえ。
沼澤 あり得ないもん。
若貴って驚異的なんだよ。
僕でさえも大学に入った時に、
あれが沼澤の息子かっていうので
すごい嫌だった。
糸井 沼澤さん、野球で一回挫折してるんですよね。
でも、それは、最高のいい経験ですよね。
おそらくアスリートとして
相当優秀なんだけど、
それがドラムに行っちゃった、
っていうのがおもしろい。
真司 スポーツマンからドラマーっていうのは
有名なところだと、
メタリカのドラムは
元プロのテニスプレーヤーでしたよ。
けっこういるんじゃないかな?
糸井 でも、そんなに大勢いないよ(笑)。
真司 めちゃめちゃいるわけじゃないけど。
沼澤 日本はいないんじゃないかな?
ポンタさんが剣道はすごかったけどね。
糸井 あ、そうなんだ。
糸井 ミュージシャンもアスリートとして
優秀な人っていうのは
これから出て来るかもしれないね。
沼澤 来るかもしれないですよ。
スティーブ・ジョーダンは野球ですから。
あの人は大リーグに行きたかった。
糸井 おお。
真司 俺もサッカーやってたんだけど
それを見てオヤジは
興味深いことを言ってました。
沼澤 ああ、そうだ。サッカーやってたんだよね。
糸井 やれって言ったんじゃない?
真司 そうなんです。
例えば地面を走るリズムっていうのは、
自然なリズムを鍛えるには大事だから
しっかり意識してやれよ、
みたいなことは言われたことがあります。
要するに人が走ってるリズムっていうのが、
リズムキープの基本、
みたいなことだと思うんだけど。
糸井 憲司さんはじゃあ、
真司君のことをほんっとに細かく
見てたんだね。一人っ子?
真司 妹がいます。
オヤジは、分析をする人でした。
でも分析したことを人に言わないんです。
自分の中だけにその人の
イメージっていうのを持ってて、
その人をいい方向に行かせるのが
とても上手でした。
糸井 ああ。
真司 でもタカさん、
野球やってたんだ。
初めて知ったよ。
糸井 お父さん、プロ野球なんだよ。
真司 あ、ほんとに?
沼澤 そうなんだよ。
真司 へえー。
糸井 で、ちゃんとできてたんだけど
やめたんだよね。
沼澤 オヤジは僕を
プロにしたかったみたいですけどね。
真司 へえ!!
糸井 それはやっぱり生きてると思うんだよね。
沼澤 いや、大きいですよ、実は。
あんまり言わないですけど。
大学入るくらいまでは
いわゆる方法論みたいなのをやっていて。
糸井 インサイドプレイっていうやつだな。
沼澤 それ、音楽に役立っているんですよ。
ただボール投げて打つんじゃないっていう部分。
運動能力として自分の肉体を使うとき
頭と一緒でないとできないっていうことの
基礎知識みたいなことっていうのは、
実は今僕がドラムやってるのに
ものすごい近くて。
なかなか言わないことなんですが‥‥。
糸井 言っても理解してくれる
仲間は少ないだろうな。
真司 メタリカのドラムくらい(笑)。
糸井 単純に下半身ができてるドラマーって、
すっごいいいサウンドですよねえ。
沼澤 いいっすね。
糸井 バンドマンってさあ、
下半身できてないものね。
真司 そうだ、オヤジは
ラグビーのキャプテンだったんですよ。
沼澤 えっ!?!?
嘘でしょう?
真司 ほんとです。
糸井 秘密だったの? それ(笑)。
真司 タカさんと同じで、
言う機会がなかったんだと思う。
甲南からずっとやってて。
沼澤 甲南って高校?
真司 中学2年から高校3年までだと思う。
高3でキャプテンだったんですよ。
たしか。

 
甲南高校3年生、
ラグビー部の
キャプテンをつとめる。
中列左から4番目、
腕組みをしているのが
憲司さん。
糸井 音楽は?
真司 その間音楽も。
バンドの練習もよくやってたって
母が言ってました。
「ラグビーとバンドで、
 スケジュールきつくて死ぬかと思った」
って。
母は、ラグビーの試合も見に行ってたし、
甲南のバンド、
ベルベッツっていうらしいんだけど、
ガレージでの練習を
よく見に行ってたって。
糸井 それ、ずいぶんやってたんじゃない!
真司 強えなぁと思ってたんですよ。
沼澤 憲司さん、ラグビーやってたんだ‥‥
糸井 やっぱり何か秘密があるんだよ。
沼澤 俺大学で野球部に当然そのまま行って、
六大学野球に出るつもりだったんだけど
監督のやり方が絶対これはおかしい、
だからうちの大学は弱いんだって思って
辞めちゃったわけ。
で、仲いい友達はみんなラグビー部にいたから、
そのまんまラグビー部にポンッと入っちゃったの。
真司 ラグビーやってたんだ!!
沼澤 やったうちに入んないけどね。
糸井 完全にアスリート人生だね。
沼澤 憲司さん、ポジションはどこなの?
真司 フォワードの3列目、
フランカーっていうポジション。
沼澤 足速かったのかな。
真司 でも、そんな体でっかくないから。
沼澤 そうだよねえ。
知らなかったなあ。
糸井 だってラグビーとギターの
関係みたいなことを
聞かないじゃない、人は(笑)。
全員 (笑)。
糸井 沼澤さんみたいに
野球やってた人で
ドラムを理屈で語れる人がいると
両方つながるよね。
沼澤 実は、スポーツと音楽の共通点は、
すごくあるんですよ。
糸井 実はあるよね。
だいたいスポーツを
まともにやってた人ってさ、
技術は学べるって信じてる。
真司 ああ。
糸井 まともにやってない人は、
「あれはすごい」とか言うんだけどね。
あいつと同じことを
俺はできるはずだっていう練習とか
方法がいっぱいあるんですよ、きっと。
沼澤さんは、
同じようにドラムやったんですね、きっと。
沼澤 どうやったらこういうことができるかって
頭を切り替えられるんです。
右・左・右・右とか。
ピアノだったらバイエルとかあるでしょう?
指の動かし方云々とかって。
練習と、実際の、回路を結び付けること、
こういう手の動きで云々っていうことで、
野球をやっててよかったってことは
実は、たくさん、あるんです。
糸井 アスリートとしての知恵とか、
方法論とかっていうのが、
いろんな場面でものすごく生きてるんですね。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「大村憲司」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-07-24-THU

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