糸井 染五郎さんだったら
ほかの芝居もなさってるでしょうけど、
稽古はサイズダウンしてやるでしょう?
基本的に。

染五郎 そうですね。そうじゃないと
できないっていう部分は
やっぱりありますからね。
糸井 でも劇団☆新感線は、
この広さを確保して暴れて、
それをそのまま舞台に持ってくるんだ。
不器用っていえば不器用なやり方ですよね(笑)。
染五郎 いのうえさんの演出っていうのは
絵をすごく意識されるので、
そういう意味では、もう本当に
ちょっとした寸法が違うだけで
まったく演出プランが壊れていってしまうので。
そこでやっぱり役者も
実際その位置で稽古していかないと
体が覚えていかないので、
そういう稽古は必要になってきますよね。
糸井 この(朧たちの舞いのシーン)
踊りも同じように、
その位置関係ですよね。
染五郎 そうですね。で、私事なんですけど、
この場面の振付けをやらせていただいて。
糸井 あ、そうだ。染五郎さん、
これ振付けをやったんですね。
染五郎 そうなんですよ。
何箇所かやらせていただいたんです。
糸井 ふだん、どのくらいやられてるんですか、
振付けって。
染五郎 いや、もう‥‥そんなに経験はなく。
自主公演で多少やりますけども、
そんなに定期的にはなくて。
「朧」は、なるべく地を這うように、
いわゆるお能だったりとか
日本舞踊的などっしりとした振りを、
というふうに言われて。
糸井 いわば東洋的な動きの‥‥
染五郎 そうですね。
糸井 その振付けしている自分って
楽しいですか。
染五郎 楽しいですね、非常に!
実際その殺陣だったりダンスのところも含めて、
今までの新感線の舞台の稽古のときでも、
いのうえさんにいろいろイメージを言われて
振りや殺陣をつけてられたりするのを見てて、
まあ、それはもう皆さん、
頭抱えて作ってられますけど、
その出来上がったものはやっぱり
「はっ!」と思ったりするので、
それが経験できるというのも今回すごく楽しみで。
糸井 この大きさで稽古して、
この大きさの舞台にかかるっていう踊りって
そんなにはないですよね。
染五郎 そうですね。
糸井 みんなね、頭の中がもう
テレビのサイズになっちゃってるんですよ。
テレビとかコンピュータのディスプレイの大きさ。
だから、デザイナーの友達が言うんだけど、
若い連中でデザイナーになりたいって子が、
マックのディスプレイの大きさで
大判のポスターを作っちゃうっていうんですよ。
ポスターって町で出会ったときの大きさが重要なのに、
ディスプレイのサイズでポスター作っちゃうから、
細かいところに注意は行くんだけど、
人の体として面白くないらしいんです。
それはそうだと思うんですよね。
さっきの稽古場の広さの話とか、
新感線の芝居をお客さんが面白がる理由って、
そこの生々しさですよね。
染五郎 なるほどね、そうですね。
ですから、ここは舞台行ったら広いから
広がってっていうような、
もちろん、本当に実寸で花道も作れるような‥‥
糸井 そんな場所はないですよね(笑)。
染五郎 場所はないですけれども、
ある程度やっぱり
アクティングエリア
(舞台上で役者がじっさいに動く範囲)だけは
確保できるような稽古場でやらないと、
そのへんが曖昧になってきてしまったり。
例えば本当に袖に入る寸前の動きだったりっていうのが、
距離があればもう一つそこで
何か表現できるんじゃないかみたいなことは、
実際やっぱり舞台に立ってみないと
できないですからね。
糸井 群舞になったときに
斬り合ってるじゃないですか。
あれは普段の練習どうなってるんだろうって
いつも思ったんですよ。
染五郎 殺陣なんかとくに本当に、
距離が本当に10センチ、20センチ違うだけで
大怪我になるんで、
体に覚えこませていかないと怖いんです。
糸井 あと、よく見えないとかっていう役とかも
やってましたよね。

染五郎 ありますねぇー。
糸井 スポーツの練習みたいなことですかね。
染五郎 本当に反射神経、
運動神経は普通に必要ですね。
糸井 つまり、役者になりたいってことは、
体が動きますっていうのが前提ですね。
染五郎 そうですね。それでまた、
いのうえさんが面白いことを
言っておられたんですけど、
「演劇運動神経」というのがあると。
いわゆる演出をつけてて、
ここでこのセリフで止まって、
このセリフで振り向いて、
このセリフで2歩歩いてとか、
例えばそれぐらい細かくつけられるんですけど、
役者もその役の気持ちの部分での
整理がついてないところで言われると、
やっぱりできないとかいうことが
あったりするんですけど、
それはもうとりあえずやってくれと。
やってそれの中で整理をつけてくれと。
そういうことができる、できないっていうのが
演劇運動神経みたいなことなんです。
糸井 「とりあえずできる」っていうことは、
素人にはできないですよね。
筆も絵の具も持ってないのに絵描けって
言われてるみたいになっちゃうんですよ。
おそらく染五郎さんなんかの場合には、
「とりあえずやってくれ」と言われたときには、
今まで培ってきた踊りだとか、
子どものときからやってきた
芝居の成分が出るわけでしょ、きっと。
染五郎 そうかもしれないですね。
歌舞伎でも、昔から伝えられた
洗練された型を学ぶというのがまず第一で、
そうなると自分の整理もへったくれもなくて、
そうやらなきゃいけないって。
ただ、それだけやったところで何も伝わらない。
やっぱり気持ちをそこにはめ込んで
いかなきゃいけないんで、
そういう意味ではすごく
似てる作り方をしてるなと思いました。
糸井 ああ、やっぱり
「いのうえ歌舞伎」というだけある(笑)。
染五郎 いうだけありますね、すごく。
糸井 その運動神経みたいなことっていうのを
お客がちょっとでも想像してみたら、
また凄みが増しますね。
踊りやってる子たちだと、
鏡のないところでは
絶対練習しないですよね。
染五郎 はいはいはいはい。
糸井 そういう心理っていうのは、
普通に暮らしてるとないんですよ。
僕らは人からどう見えてるかってことを
考えないで生きていられるんです。
ところが、ちょっとでも踊りかじった子は、
自分の立ち姿から何から、
やっぱりカメラ、シャッターを
押されてもいい動き方を、
多分クセになってると思うんですよね。
染五郎 なるほどね。
で、逆に、日本舞踊でも
いろんな方がいらっしゃるんですけど、
僕は「鏡見て稽古するな」と言われるんです。
糸井 あ! 面白いですね。どういう‥‥?
染五郎 さっきのテレビの画面の枠とか、
ディスプレイの枠じゃないですけど、
やっぱり小さいところに固まっちゃう、と。
糸井 そうか‥‥そうか、そうか。
染五郎 やっぱり見てもらって
稽古するっていうほうが
広がるといいますかね。
糸井 てことは、もうひとり、
別人の目を入れて稽古しろ、ってことですか。
染五郎 そうですね。
もちろん確認での稽古は
鏡を見てしたりしますけれども、
基本的にはやっぱり鏡見てするな、と。
まず、目が死ぬっていうんですよね。
見てるようで見てない目になってしまうっていう。
糸井 わかりますね、それ何となくね。
それは歌舞伎のお稽古のときに言われたんですか。
染五郎 踊りの稽古のときですね。
けっこう自分で稽古するので、
鏡見ながら稽古をしてて、
また先生のとこに行って稽古してたら、
「鏡見て稽古してるだろ」って。
糸井 バレちゃうんだ。
染五郎 「鏡見ないで稽古して」。
確かにその先生のお宅には
鏡がないんですよね。
稽古場に。
糸井 はぁ‥‥!
染五郎 「小さくなるし、目が死ぬ」って言われました。
糸井 それは、向こう側から見た自分が
想像できなくなるようじゃ
ダメだってことだね。
染五郎 ダメだってことですよね。
それはそれで不安ですけどね。
糸井 釣りを覚えたてのときに、
魚がそのルアーに
どういうふうに追っかけてくるかが
天然色で見えなきゃダメだって
言われたことあるんですよ。
染五郎 ほう(笑)。
糸井 それ、ものすごい難しいんですよ。
思い込みですからね。
だけど、思い込みでも、
できるような気がするとこまで行かないと、
相手(魚)から見たルアーがわかんないんですよね。
覚えたてのときにそんなこと言われても、
本当に困るんだけど(笑)。
染五郎 はぁー‥‥(笑)、なるほどねえ。




2008-01-03-THU

(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN