「ほぼ日」糠漬け部、活動中
   
モギ
モギの糠漬け
1 合理の糠床。
モギの糠漬け
写真撮影用にこれみよがしに
いろいろな野菜をつけたものをボウルに取り出す。

まだ、コリアンダーはいれてないが、
糠床がだいぶ減ってきたので、糠を足した。

水をどれくらい追加したらいいかよくわからないので、
大根をかなりたくさんつけて、
糠床をじゃぶじゃぶにしてから追加する。
塩はただの目分量。
そして、たしか昆布をいれないといけないんだよな、
とおもったが、
普通の昆布をいれておくと、かき混ぜるときに邪魔だし、
しばらくするとぐずぐずになって気持ちがわるいので、
あらかじめ細切りにしてある昆布を買ってきて、
混ぜ込むようにする。
いろいろなことを適当にしてやっていかないと、
「めんどくせえ!」
となって、琺瑯の容器ごと捨てる悪夢がやってくる。

じつは、先日すでに一度、
「糠床放棄の危機」をむかえたのである。
理由はといえば!

一つには、冷蔵庫にいれてある糠床は、
手をつっこむと、すごい冷たいということ。
冷蔵庫内の温度と同じになっている、
湿ったそれは、長い時間手をつっこんでいると、
ちょっと痛いような冷たさ。

もう一つには、糠床をまぜたあとの手が
糠床くさいということ。
そのあとに、ちゃんと手をあらっても、微妙ににおう。

もう、糠床まぜたくな〜い。

「冷たさ」も「におい」も、
冷蔵庫で糠漬けをつくるなら当たり前のことかもしれないけど、
私は、我慢して続けるような根性も気合いももちあわせておらん。
だいたい、糠漬けは、「根性」やら「気合い」では
できあがっておらんだろう。
それに、私は、
この糠床を末代まで伝える義務を背負った家康なのである。
(第2回目を参照)
しかも、この家康はかなりヘタレなのである。
「冷たさ」「におい」との戦いには、合理で勝たねば
こののち、少なくとも15代目の私の子孫まで
糠床は伝わらないのである。

そこで、私はしばし考える。

ぽくぽくぽくぽくぽく。チーン!

「トング」。

そうさ、あの、給食のときにあげパンをはさんだあれだ!
スプーンみたいなのが、2枚でできてるあれだ!
さっそく、自転車で渋谷の東急ハンズに行って、
250円みたいな感じの値段で一丁買ってきて、
漬けてあった、キュウリを取り出してみる。

取り出せる!

次に、更地になった糠床を混ぜてみる。

混ぜられる!

最後に、その糠床に、ナスを埋めてみる。

埋められる!
しかし、ナスの皮が破けた。

トング遣いは、
一朝一夕にはうまくなるものではないので、
やがて、ナスの皮を破かずに
糠床に埋められる日がやってくるに違いない。
いや、ナスの皮を破き続けたからといって、
あの、冷たい糠床に手をつっこまないで済むのなら
それでいいのである!

しかし、ここで私の頭に、
「手で混ぜるから愛情がこもる」というフレーズがよぎる。
トングは手ではないという明々白々な事実。

だがな。
自分が食べる糠漬けに
自分の込めた愛情が入っても仕方がなかろう。
そんな、糠みそくさい愛情の往復はいらん。
それに生憎私の手のひらから「愛情」は出ない!

我が糠床は合理的にいこう。

トングこそ、我が「合理の糠床」の象徴。
トングよ、永遠に我が糠床とともにあれ。
トング、万歳。

とじる