読者からの質問の巻 その5

講師

「おもしろい質問を
 たくさんありがとうございます」

司会

「今回はちょっと哲学的な
 質問かもしれません〜。
 よろしくおねがいします!」
ひきつづき、
メールでの質問、読ませていただきますー。
しつもん

初めまして
いつもたのしく拝読しております。
女友達とグループで海外旅行に行きます。
もともと写真が好きなので
カメラはいろいろ持っているのですが
身軽に気軽にで、
コンデジとハーフカメラを持っていって
女ばっかりのわいわいがやがやした道中を
たくさん写真におさめるのを
今からとても楽しみにしています。
そこで質問なのですが、
ずばり、旅の写真の醍醐味、
おもしろさって何なんでしょうか?
ぜひともおさえておくと
楽しい場面やポイントがあれば教えてください。
また、帰ってきてから
旅のしおりみたいにして写真をまとめて
一緒にいった友達や
共通の友達にみせて楽しみたいと思ってるのですが
まとめたものの
「自分だけが楽しい」になってしまわないためには
どういうことが大切なのでしょうか?
ぜひともご意見お聞かせください。
(レレレのレ

「コンデジ」っていうのは‥‥
コンパクトデジタルカメラですね。
「ハーフカメラ」っていうのは‥‥
35ミリフイルムを使うんだけれど、
1コマの半分の大きさで写すんですよ。
倍撮れるカメラです。
あ、むかし、家にありました。
オリンパスの「Pen」っていうのが。
そうです。Penです。
つまり、ちっちゃいデジタルカメラか、
フイルムカメラを、女友達のワイワイ旅行に
持っていくんだけれど、
写真も、自分も楽しめる旅行にするための
コツってありますかってことですね。
これはね、いわゆる、
時系列で並べるのがいいと思いますよ。
とにかくもう、狙いとかじゃなく、
自分が歩いてきた道で出会ったものを、
とにかく撮って来る。
その場で友達が来たら撮る。
楽しいことが起きたら撮る。
どこかに行って、イベント的に
「ここで記念写真を撮ろう」じゃなく、
そういう気分になった時はそれでもいいけども、
とりあえず、時系列でいっぱい、
撮って来るじゃないですか。
で、もう1回まとめる時も、
出発から帰ってくるまでを、
時系列でベストショットを並べる。
そうすると全員が共有ができるというか。
見た人も、行ってない人も
行ったような気になるし。
それが僕は最大の、
旅の写真のポイントのような気がしますけどね。
前、言ったことありますよね、武井さんに。
はい、僕もそうしています。
いわゆる、ドキュメント。
編集しすぎるのだめですね。
だめです。
それは結婚式の写真でも一緒ですよ。
友達に頼まれて、披露宴とか、
「写真撮ってくれ」って言われて、
撮るじゃないですか。
みんなは、記念写真を1枚、2枚、
撮ってくれればそれでいいと思ってるみたい。
頼んでくれた人はね。
でもね、渡してあげる時に、
他の人たちにできなくてぼくにできることは、
もうその日の朝から、
「おはよう」って言った時から、
もうずっと撮るんです。
そして、時系列で30枚ぐらいを
ババババッと並べて、
写真集みたいにしてあげると、
すごく、喜ばれますよ。
何気なく撮っておくと、
花嫁の父が、控室で、
ちょっと呆然としてたりするのが
偶然、撮れたりするじゃないですか。
そういうのが、花嫁の笑顔の間に挟まるとね、
「ああ、よかった。全部撮っといて」
って思うんですよ。
旅先や、披露宴とか、
そういうイベントは、
迷ったら撮るようにしてます。
考えてるよりシャッターを押しちゃいます。
見て、「へえ」とか「わあ」とか思ったら
とにかく撮っておくといいですね。
明治神宮で、結婚式に出席する
親戚の人たちの履物が玄関に並んでいて、
それだけでもパシャっと撮ると、
あとで、やっぱり、面白いんですよ。
では次に、ちょっと長い質問です。
24歳の女性のかたから、
ちょっと哲学的な質問。
しつもん

私は写真が大好きなのですが、
ずっと悩みがあって
今回初めてメールさせて頂くことにしました。

私は旅行に行ったり
卒業式などのイベントなどでカメラを持つと、
写真を撮ることばかりに集中してしまい、
その場を自分自身が
楽しめていないような
変な気分になってしまうのです。
後からの罪悪感というのでしょうか
それともなんだかちょっと
違う気もするのですが‥‥。

私は本当に写真がすごく好きなんです。
特に人の表情が特に好きです。
雑草をアップにしてみたり、
景色を主役にして
人を脇役みたいに逆に考えて撮ってみたり、
景色を撮るのも好きです。
(まだ難しいですが‥‥)

とはいっても、写るんデスなどの
レンズ付きフイルムか
母親のコンパクトな
小さいデジカメを借りて撮っています。
自分のカメラは持っていません。
なぜなら、いざカメラを買ってしまうと、
毎日写真ばっかり撮ってしまいそうで、
なんだか心配なんです。

先日、一人で1ヶ月間
ヨーロッパに旅に行ってきました。
初めての一人旅だったせいもあるのですが、
この素敵な景色を家で心配している両親にも
どうしても見せたい!! と思って、
なんだか異様にたくさんの枚数を
撮ってしまいました。
でも写真の枚数が増える度に、
私はフィルターからしか
景色を見ていないんじゃないかな?
本当に今の旅行をリアルタイムで
楽しんでいるのかな?
なんて変な不安な気持ちになってしまいました。

大学の卒業式の時もそうでした。
この大事な仲間達の優しい表情や笑顔、
自信、なんかをとどめておきたい。
ずっと忘れたくない!! と思って、
なんだか写真をたくさん撮ってしまいました。

自分が撮って気に入っている写真もたくさんあります。
でも写真って結局は後から現像して見るものですよね。
リアルタイムな感じとはちょっと違いますよね。
でも撮る事が楽しいのでしょうか、
それとも思い出すことや、
誰かに見せる時が楽しいんでしょうか‥‥
そもそもなんのために、写真を撮るのでしょう‥‥。

なんだか変な質問になってしまってすみません。
“写真を撮ること”と自体にのみまれないような、
うまく写真と付き合うコツを教えてください。
(あい)

うん。
いかがでしょう。
悩んじゃってるみたい。
まず、はっきり言えるのは、
自分のカメラ買ったほうがいいですよ、
はい。
自分のカメラは自分のものだから、
自分なりの使い方で使えばいいじゃないですか。
いっぱい撮りたかったら撮ればいいし。
いっぱい撮ってて変だなと思ったら、
それは変なんだろうし。
「撮らないほうがいいのかもしれないな。
 今、写真なんか撮らないで
 楽しんだほうがいいのかな」と思ったら
楽しめばいいし。
それで撮れなかったとしても
後悔する必要は全くないし。
撮りたい時に撮ればいいんだと思うんですよ。
そうですよね。
プロの悩みの1つっていうのは、
撮りたくない時にでも
撮らなきゃいけない時があることです。
「面倒くさいな」みたいな時も、
はっきり言って、ありますよ。
でも、そうじゃなくて
楽しみでやるんであれば、
撮りたい時に撮ればいいと思うんです。
で、後で撮らなければいいって
考えてしまうかもしれないなと思った時は、
撮らなければいいんだと思うんですよ。
でも、後で、「撮っとけばよかったな」って、
思うはずなんですよ。
あるよね、そういうことって。
僕は、‥‥変な話をしますけど、
友達と、一緒にご飯を食べたんです。
そのとき、久しぶりに会うしって、
このカメラ(オリンパスE-420)を
持って行ってたんですね。
わりと馴染みのレストランだし、
いつもは遠慮なく結構撮るんですけど、
なぜだか、撮らなかったんです。
一枚も。
話が楽しくて、ごはんがおいしくて、
そして、レストランで一眼レフを構えるっていうのも
いくらお店の人がいいって言っても、
「ほかのお客さんに悪いな」とか思って。
いろんな要素がありましたが、
何より楽しかったんで、
気が付いたら撮ってなかったんですね。
食べて、飲んで、たくさん話して、
別れ際、握手したとき、
「あ、撮ってなかった」って思って、
でもそこで「撮らしてよ」なんていうのも、
今更妙な感じだなぁなんて思って、
そのまま別れた次の日、
そいつ、死んじゃったんですよ。
でね、それからしばらく
写真を撮る気になれなくなっちゃって。
そのことを後悔してるという気もするし、
それでよかったという気もするし。
それは、自分の中で結論が出ていないんですね。
それでよかったんだと思いますよ。
いや、よかったとか悪かったとか
考えなくていいことなんじゃないかな、と。
そうでしょうか。
そういうことも含めて
写真なんだと思うんですよ。
確かに写真の記録性っていうのは、
写真の魅力の中で
すごく大事なことなんですよね。
だけど、歴史を紐解いてみると、
それは、ごくごく最近に生まれた
新しい機能の1つにすぎないんですよ。
報道っていうか、
ジャーナリズムという名の下に
生まれてきたもので、実は戦争っていう、
どうしようもないところから
生まれてきてるものなんですね。
で、勿論その後、写真家が、
キャパみたいなすごい人たちが、
ただの伝えるだけじゃない形に
変えていきましたけど。
記録性云々かんぬんのことばっかりが、
今は中心になってるけども、
元々は違うんですよ。
元々カメラっていうのは、
絵画のために生まれたんです。
絵描きさんが絵を描くために写真を撮って、
それを見ながら絵を描く。
それを一番わかりやすい形で
絵画にしてくれたのがモネですよね。
「睡蓮」。
光を描くということですか?
光は動くんですよね。
時間によって変わってっちゃう。
でも絵画は、描くのに時間掛かるんですよ。
見ているうちに、変わっちゃう。
そう。でも写真は、
1分、2分で撮れるじゃないですか。昔でも。
その写真を見ながらモネは、
睡蓮の池の、光を描いてくれた。
で、僕ら写真家っていうのは、
なんか今、記録性のことばっかりがいわれてるけど、
元々はそうやって始まっているから、
僕はお返ししてもいいんじゃないのと思ってるの。
お返し。
モネが封じ込めた光は、
瞬間を長い時間をかけて
カンバスに落としたものですよね。
そこには、その前後の時間も
ちゃんと含まれているんですよ。
同じように、1枚の写真も
瞬間なんだけど、前後の時間も含まれてる。
だったら、「撮らなかった瞬間」であっても、
その前も、後も、自分の心の中に
あるわけじゃないですか。
まあ、個人的には、
よく覚えてることなのでいいんです。
でも、例えば、その時の様子を
ご両親に見せられただろうとかね、
ちょっと思うんですよね。
はぁ、なるほど。
とはいっても、いまさら、
どうしようもないことです。
話がそれちゃってごめんなさい。
この質問、だから、
「写真を撮ってるとリアルに楽しめてない気がする」
っていうのは、菅原さんから言ったら、
「あっ」っと思った時に撮ってる以上、
大丈夫なはずですよね。
そうですね。
「あっ」っと思うのはあなたであって、
「あっ」っと思わずに撮ってると、
カメラのことばっかり気にしてる人に
なっちゃうかもしれないけど。
そう。だから、写真を撮ることが
「好きだ、好きだ」って言ってるわりには、
楽しめてないと思うよ。
だから、自分のカメラを買って。
極端な言い方だけど、「もっと撮れ」。
「もっと撮れ」、おお〜。
嫌になるくらい撮れっていうことですね。
へぇ〜。
そうすると、その、
今撮るべきじゃないとかが見えてくる?
そうなんです。
でも、ぼくは写真を仕事にしていて
いっぱい撮っているけれども
いまだに写真が好きですよ(笑)。
もう嫌になるぐらいいっぱい撮ったら、
もっと楽しくなるから、
もっといっぱい撮ればいいのに。
僕は一人旅をしますけど、
カメラは持って行きますね。
でもそのせいで物を見てないことはないですね。
相棒なので、一緒に旅してる相棒。
代わりに覚えてくれてるぐらいの
よき相棒として連れて行くから、
後で助かりますよね、覚えててくれるから。
写真が好きっていうのは、
物を見ることが好きっていうことに
繋がっていきますから。
そうすると撮るだけじゃなくて、
一生懸命物を見るようになる。
連載の中でも書いたけど、
ゆっくり物を見るっていうことが、
写真を撮るっていうことに一番繋がる。
パッパ、パッパ撮るのが写真だっていう
感覚あるじゃないですか。違うと思うの。
ゆっくり見ればいいんです。
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2009-01-11-SUN