Sponsored by Nintendo.

 
イメージ  

 宮本茂が語る。
〜今思うこと、5年後のこと〜
 第3回 宮本茂が語る、プロデューサーとは。



宮本茂ロングインタビューは今日が第3回目。
「つくる」ことへの宮本さんの考え方は、ゲームに限らず
すべてに通じることのように思います。
まずは、天海祐希さんも気になっているというゲーム
「シーマン」の作者、
斎藤由多加さんとの話から。

こないだね、斎藤由多加さんと会ったんですよ。
 
(※編集部註:斎藤由多加氏=ゲームデザイナー。
 ドリームキャストより発売のシミュレーションゲーム
「シーマン〜禁断のペット〜」の制作者。「ほぼ日」でも
「もってけドロボー!斎藤由多加の頭のなか」を連載中です)

 
「シーマン」が順調みたいで。
よかったねって言ってんねんやけど。
ぼくは 「シーマン」の元のアイディア を
世界で初めてみせてもらったひとなんですよ。
「シーマン」の開発当初から、斎藤くんとは
何度か会ってまして、相談にも乗ってきました。
任天堂で出せたらよかったんやけど、結果として
彼がドリームキャストというハードを選んだことは、
よい判断だったと思いますよ。

今回は、 『ファミ通64+』で取材を受けてね。
斎藤くんとぼくが、ふだんどんな話をしてるのか
取材させてくださいというので、
ま、たわいもない話をしててね。
そのなかで、斎藤くんに以前1冊の本を紹介してもらって
それ、まだ借りたままだよね、って話をしたんです。
『ライト、ついてますか?』っていう本だったんだけど、
まわりのスタッフが何人か、ぼくらの対談を読んだ後に
その本を探して読みました、って言ってきました。
で、ぼくにその本の感想をね、「面白かった」とか、
「まぁ、う〜ん、」とか、さまざま言ってくれたんやけど、
ぼくらとしては、その本が面白いかどうか、とか
そういうことが言いたかったのではなくて、
ある本を読んでいてゲームを作ろうと思ったってこと、
つまり、他のことをしてるときに、
ゲームを作ろうという気持ちになることが
もっともっと大事やと思う、
という話をしていたの。
あたりまえのことなんですけどね。
ゲーム以外のことを話しながらゲームを作ってる、
っていうのが、とても大事なんですよ、という話を、
あえて言わなあかんくらい、
まだやっぱり未成熟なんだよね、この業界って。

イメージ

あそこのパラメータ設定がよかったね、とか(笑)、
あのスーパーバトルシステムは素晴らしいよね、とか、
そんな話、ぼくらはふだん、まったくしてないわけで。
でもね、たぶん、今、ゲームつくってるひとたちって、
そういう話をふだんからしてると思うんですよ。
そんで、ゲームデザイナーになりたいという子たちも
いつもそういう会話をしてるんじゃないかと思う。
 
別に64のソフトだけやなしにね、「シーマン」もそう、
ある新しさを持ってるソフトの背景には、
他の話がベースになってることがあるやろうし、

よく「飲み屋で飲んでたときに決まって」なんて言うけど、
その話はいきなりそこで決まったんじゃなくて、
そこでまとまっただけでしょう。
ぼくは飲まへんので、飲み屋には行けないのですけれども。
そういう背景をもったソフトが、
これからもたくさん出てくるかどうか。
作るひとだけやなしに、売るひとも含めて、
この業界として、ね。

ゲームもパターン化して、ジャンルで括られてますからね、
けっこうひととおりのパターンは出尽くしたやろ、と
最近は言われてしまったりもしていますから。
アドベンチャーゲームというジャンルをつくったら、
その技術を使うためのゲームを作ることが重要だったり、
このパターンならアクションゲームにするのがいい、とか、
そうやって枠にはめることが、
ぼくらはすごく上手になってきていて、
そのあたりの手際はいいのやけれども、
その手際よさだけで、ものづくりをしていくところが
なんか限界というか、面白さを削いでるところがあって。


斎藤くんが面白いのは、枠組みがないんで、
だから、すごい不安定でもありますよね。
60点しか取れないかもわかんないし、
けど、「魅力」ってことだけでいうと、
常に80点以上あるようなものを作れるひとやろうし。
ちょっとうらやましいですよね、そういうところはね。

最近、プロデューサーって何かな?って、
すごい考えるんですよ。
別に、プロデューサーというはっきりした役割はないし、
ひとによってやってることは違うからね。
世の中には、力のあるものとか力のあるひとって、
いっぱいいるわけで、
力があってもそれがマスにつながっていくかどうかは
「運」なんで。
で、その、マスにつながっていくための
サポートをしていくのがプロデューサーだっていう
考え方は出来ますよね。
それはわかりやすいでしょ?見えやすいし。
それに近いことをしてるひとも、いる、と。

で、ぼくの場合やったら、
会社がぼくのプロデューサーだったと思う。
もっとも「会社がプロデューサー」っていう言い方は
あんまりしないから、ぼくなんか
自力で上がってきたみたいに見えてるけど、
そのメディアがあったこと自体が
ぼくにとっては、とても大きかったですね。
イメージ
ぼく自身、力はあると思うの。
なにか知らんけど、なんかの力は。
そやけど、実際は、こんなにたくさん
注目をしてもらうほどの力ではないと思うのね。
そういう力を持ったひとは、よそにもっといると思うし。
 
ぼくは、まぁ、いろいろ贅沢なことをね、
「世の中で目立ってやりたい」みたいなことを考えて
ずっとやってきたんだけども、
結局は「ゲームをつくる」ってことで、
やっと自分らしい部分が引き出されて、

それは、自分がそれだけ勉強してきたからとか、
自分で積み上げてきたんだとか、
いちお形のうえでは言ってるけども、
実はそうじゃなくて、
もうちょっと潜在的な、何か他の能力が
現場で引き出されてきたような気がする。

だから、計画通りに来てないからこそ、
結果としてうまくいってる、みたいな感じが、
自分ではあるんです。
意外な、うん、意外な力というのかなぁ。
そういう意外な力が出せる環境にいたということが、
ぼくにとってすごいラッキーやったと思うんですね。
イメージ

今、こんだけゲームを作るひとがいっぱいいてて、
いろんなところで作れるようになってくると、
昔は、そのひとに力があったら
そのまま出てこれるくらいの狭い「村」やったけども、
今はちょっと大きい「村」になったんでね、
力があっても埋もれてるままのひとも出てくるし。
実際、うちのスタッフのなかにも、
すごい力があるひとはいっぱいいてるんやけども、
会社がプロデューサーっていう役割を、
必ずしもちゃんと果たせなくなってきている。
そんなときに、自分の役割としては、
会社単位じゃなくて「村」全体のなかで見て、
ものになりそうなひとにチャンスを与える
という仕事があってもいいんじゃないか、

と考えはじめているんです。

今までは、会社のなかでプロデュースされている自分が、
作者として持ってる力を表現していく、
というかたちやったけれども、
ぼくが今やってる仕事というのは、
その部分を、ある程度はひとに委ねているわけで、
実際には若いスタッフたちに作ってもらってるのでね、
その考え方でいけば、この先は
自分が若いスタッフを紹介するだけの役、という
さらに一歩ひいた立場があると思う。
それを純粋に「プロデューサー」って言うんかなぁ、
と、最近やっとね、物理的に、こう見えてきたね。
昔は、なんかほら、会社からお金をもらってくるとか、
何かを決裁していくとかいうことをやっていたような。
そうじゃないものがあると、思えるようになってきた。
一緒にやってるスタッフとの関係のなかで、
自分の立場が、ちょっとずつ変わってきているよね。

イメージ
まぁ、もっともね。
今はまだ、うるさいアニキみたいな存在でね。
んで、最後にひと筆入れに来るから、
みんなが「目だけは入れんでおいとけ」みたいな(笑)。
そんなことでずっとやってきたけども、
それをやってる限りは、「宮本屋」みたいなものから
大きくならへんわけで。

64ソフトの開発の時代に入って、
その意識をくつがえしていかなあかんなと思ったときに、
ひととね、一緒に作るだけじゃなくて、
そのひとを紹介するだけの役割でもいいんだということを
もっとはっきりしていかへんとあかんな、って
思うわけです。
ほら、例えば糸井さんと仕事をしたときなんていうのは、
技術的にみて可能かどうかを判断する、みたいな、
いわば、後見人みたいな役割だったでしょ。
そうじゃないプロデューサーの仕事というものが、
物理的に見えてきたところですね。
当面は社内から。
理想的には、会社の外のひとともね

時間や手間がかかる仕事ではないだけにね。
時間が必要なくらいやってしまうとだめだ
思ってるんで。
まず社内からちゃんとしていこうかな、と思ってます。
ちょっと、きれいごとですけどね。


いかがでしたか?
宮本さんの考えている「これからの仕事」。
現状にとどまらず新しいことを考え続ける

宮本さんって、やっぱりすごい。

次回はいよいよドルフィンまわりに迫りつつ、
さらに話は続きます。お楽しみに。


1999-10-29-FRI

BACK
閉じる