NATIONAL GEOGRAPHICにあこがれている。
第2回 写真がすごい理由。
──
ナショジオと言えば「写真」、ですよね。

はじめて「水中写真」が掲載されたのも
ナショジオだったそうですし、
何か、特殊な状況下でも撮影できるよう
オリジナルで
装置を開発しているともうかがいました。
芳尾
ワシントンにあるナショジオ協会本部にいますよ。
カメラを改造したりしている人。

山口謙次さんという日本の方も、いらっしゃって。
──
へえ、そうなんですか。
芳尾
たしか、もう30年以上、あの部屋に‥‥。
──
あの部屋?
武内
いや、今年(2015年)の5月ごろに、
私、偶然にお会いしました。

ナショジオ協会本部で、
ジッとこっちを見ている東洋系の男性がいたので
あ、これはもしかしてと思ってご挨拶したら、
伝説の山口さん、その人でした。
芳尾
協会本部の建物ってかなり広いんですけど、
地下にカメラ開発用の部屋があって、
ものすごい数の工作機械が並んでるんです。

カメラの改造とか装置の開発って
誰に頼まれてるんですか、とお聞きしたら、
ナショジオに写真が掲載されている
世界的な写真家の名前がバンバン出てきて。
──
みなさん、山口さんのお世話に(笑)。
武内
もともとニコンの人だったそうですが
どのような撮影なのかカメラマンに聞きつつ、
山口さんからも、装置について
アイディアを出したりしているそうです。
──
お歳は‥‥。
武内
たぶん、60歳に近い感じかなあ。
その道を極めた、プロフェッショナルです。

そろそろ定年とかで退職されるかもしれないし、
お会いできてよかったです。
──
でも、何かを撮影するための装置自体を
ゼロからオリジナルでつくるって、
カメラメーカーでもないのに、
ちょっと‥‥ものすごいことですよね。
武内
リクエスト自体がいちいち特殊なので
世の中に、これまで
影も形もなかった装置をつくっているようです。
──
写真家のみなさんもやりがいあるでしょうから、
どんどんアイディアが生まれてきそうです。
武内
写真ということで言えば
2011年の東日本大震災の100年以上前、
三陸地方で
同じように大きな地震があったということは
ご存じだと思うんですけど、
そのとき、ナショジオは現地取材をしていて、
写真も残しているんです。
──
1896年の明治三陸地震のときに、ですか。
武内
エライザ・シドモアさんという
ジャーナリストで写真家、
かつ地理学者でもあるアメリカ人の女性が
沿岸の被災地へ入り、
写真を撮り、レポートを書いているんです。
ナショナル ジオグラフィックが見た日本の100年。p12-13 より
大塚
横浜の外国人墓地に永眠されているほどの
大変な親日家なんですが
彼女のお墓の傍らに植えられている桜が、
いわゆる「シドモア桜」です。
武内
ワシントンのポトマック川沿いに
日本から贈られた
3000本の桜の木が植えられていることは
よく知られていますが、
その実現に尽力されたのも彼女なんです。
──
その時代その時代の才能ある人たちの
活躍の場のひとつが、
ナショジオだったってことですね。 
武内
そうなんです。
──
やっぱり、ナショジオの魅力のひとつは、
見たことのないような写真が、
見たことのないスケール感やアングルで
掲載されていることだと思います。
NATIONAL GEOGRAPHIC プレミアムフォトコレクション p226-227 より
大塚
カメラや写真というものが
まだまだ新しい、
信頼されていないメディアだった時代から
雑誌に載せ始めて‥‥
もう100年以上、経ちますね。
──
ナショジオのなかでも
いちばん有名な写真とかって、あるんですか?
芳尾
やはり、写真家のスティーブ・マッカリーが
1984年に
アフガニスタンの国境にほど近い、
パキスタンの難民キャンプで撮った写真。

のちに「アフガンの少女」と呼ばれるんですが。
NATIONAL GEOGRAPHIC The Covers 表紙デザイン全記録 p192-193 より
──
あ、綺麗な緑色の瞳をした女性が、
キッとこちらを睨んでいるような写真ですね。

見たことあるって人、多いと思います。
芳尾
ええ、一般的にも有名になった写真です。

スティーブ・マッカリーは、
現地では、何人かを撮影したそうですが、
あの女性に出会った瞬間、
「この人だ!」と直感したらしいです。
──
それほど「強い」というか、
見る人の心に、ぐっと迫ってくる作品です。
武内
ナショジオのことを知らなくても
あの写真は見たことあるって人、多いです。
──
有名になる写真って、
他と、どういうところが違うと思いますか?
芳尾
うーん、個別に理由はあるんでしょうけど、
「アフガンの少女」の場合で言うと
目で、すべてを、訴えかけてしまってます。

記事で伝えたかったことが
この「目」に凝縮されていると思いますね。
──
たしかに、どういう雰囲気の記事なのかは、
実際に読んでなくても、わかります。
大塚
「20世紀のモナリザ」と言われたりも。
──
あ、そうなんですか。

でも、それだけ写真の存在が重要となると、
編集者も写真に造詣が深くないと‥‥。
芳尾
そこで、ふつうの編集者の他に、
「フォトエディター」という職の人たちが
かなりの数、いるんです。

毎号毎号、
数万枚の写真を40枚くらいに絞ったりとか
大変な仕事なんですけど。
──
うわー‥‥すごい作業。
でも、写真専門の編集者がいるんですか。
大塚
フォトエディターの役割って、
ナショジオという雑誌の誌面づくりには
きわめて重要です。

日系アメリカ人で、
著名な写真家のマイケル・ヤマシタさんが
震災直後の4月に来日して
東北の被災地を撮影して回ったんですね。
──
ええ。
大塚
スーザン・ウェルチマンという
ナショジオのフォトエディターも同行し、
一緒に車で東北の海岸線を走って、
どんな写真がほしいか、
現場で相談しながら、撮影をしたんです。
──
つまり、フォトエディターは
写真家やカメラマンから上がってきた写真を
選ぶだけの役割ではない、と。
大塚
そこが「エディター」たる所以なのですが、
ようするに
特集にどのような写真が必要なのかを考え、
写真家に、それを撮ってもらう人。
──
なるほど。
大塚
マイケル・ヤマシタさんの撮影では
ヘリまでチャーターして、空撮もしました。

当時は、被災地の上空にヘリを飛ばすって、
ちょっと大変だったんですが、
いろいろお願いして、やっと飛ばしたんです。
──
空から、何を撮りたかったんですか?
大塚
海側から見た、被災地の写真。
──
そういう写真をフォトエディターがほしいと。
大塚
ええ、そうなんです。
特集の内容に照らして、どうしても‥‥と。

でも、結果としては、
途中で編集方針が変わってしまったために、
使われたのは、たった1枚だけ。
──
え、そこまで苦労して、
きっと少なくないお金を払ったでしょうに、
たったの1枚、ですか。
大塚
そうですね、でも感覚としては
むしろ、1枚でも使われてよかったくらい。
──
厳しい‥‥。
武内
ちなみに言っておきますと
写真家のマイケル・ヤマシタさんと言ったら
超有名人ですからね、アメリカでは。
大塚
大ベテランで、もう何十年も
ナショジオで特集をやっている写真家です。
──
そんな人でも‥‥たったの1枚。
大塚
ぼくらはもう、
感覚が麻痺しているのかもしれないけど、
ふつう聞いたら、
ちょっと、びっくりしちゃいますよね。
──
一般的な雑誌だったら‥‥っていう言い方も
ヘンですけど、
そこまでお金と労力をかけたんだったら、
もっと載せるのが人情というか‥‥。
芳尾
つまり、どれだけお金をかけただとか、
時間をかけただとか、
撮った人が有名だからとかも関係なく、
『ナショナル ジオグラフィック』
という雑誌や、
そのときの特集にふさわしいかどうか。

その一点で、判断しているんでしょう。
──
そういう厳しい選抜をくぐり抜けてるから
誌面に掲載されている写真が
他では見たことのない感じ、なんですね。
武内
そうなんだと思います。
<つづきます>

2016-04-08-FRI