第1回おもしろいチームをつくらなきゃ。
糸井 基本的に、中畑監督は支持されてますよね、
ファンから。
中畑 そうなんですかねぇ。
でも、たしかに、あんまり野次られないんですよね。
1年目も、2年目も。
糸井 うん、うん。
中畑 負けてても声援してもらえるというか。
だからって甘えるわけじゃないけど、
ありがたいことだと思います。
糸井 なんででしょうね。
中畑 うーん‥‥やっぱり、
一生懸命、前を向いてやってるから。
そういう姿勢、姿っていうのを、
選手たちも理解してやってくれてるから、
ファンの人にも届いてるのかな。
糸井 うん。
中畑 それが、ぼくの野球のいちばんの売りだから。
一生懸命、前を向いてやり続ける。
そうやってれば、ファンの人たちも理解してくれる。
だって、ほら、糸井さん、
ぼく、現役やってたときも、そうじゃん。
糸井 ああ、そうですね。
中畑 ぼくがレギュラー取ったときの、
ジャイアンツがそうだったじゃないですか。
一生懸命やって、上がっていく。
おもしろかったじゃないですか。
糸井 おもしろかったですね。
中畑さんに会うとね、
あのときの気分が、すっと戻ってくるんですよ。
やっぱり、おもしろかったですから。
中畑 ひとりひとりが、おもしろかったしね。
あのころのメンバーは。
糸井 いまも会うと、おんなじ空気を感じますよ。
原さんにしても、篠塚さんにしても、
吉村さんにしても。
中畑 篠塚、山倉、それから‥‥。
糸井 川相さんがいて
中畑 うん、川相がいて、岡崎がいて、
外野に松本がいて、クロマティが入ってきて。
糸井 そうそうそう。
中畑 ねえ、ぽんぽんぽーんと
ひとりひとりのキャラクターが
ぜんぶ思い浮かぶっていうね。
糸井 おもしろいですね。
中畑 おもしろかったですよね。
糸井 おもしろかったし、しかも強かったし。
中畑 あれがプロ野球球団であってほしいんだよね。
視聴率だって高かったし。
昔はよかったっていうんじゃなくて、
みんながたのしんでもらえたから。
ああいう野球チームになりたい
っていうのはあるねぇ、自分の中に。
糸井 あのころのジャイアンツは、
理想の野球チームのひとつ。
中畑 うん、ああいうチームでありたいねぇ。
糸井 これは、今日、会ってかならず
しゃべろうと思ってたことなんですけど、
ぼくは、中畑さんが、
「監督やりたくなった」って
言った日のことを憶えてるんです。
中畑 ああー。
糸井 それは、中畑さんが
ジャイアンツのベンチに
ずーっといた1989年ですよ。
中畑 そう、現役最後の年ですね。
‥‥藤田(元司)さんです。
糸井 そう、藤田監督。
中畑 もう、あの人の魅力っていうか、
なんなんだろうな、あの奥深さっていうのは。
糸井 すごいですねぇ。
なんていうか、先に裸になっちゃうんだよね。
中畑 そう、で、ジェントルマンなんだけど‥‥。
糸井 根っこには怖さみたいなものもあって‥‥。
中畑 怖さもあるんだよね。
だから、器の大きさっていうのかな。
人の大きさっていうのか、
それは、触れてみてはじめてわかる。
糸井 そうですねぇ。
中畑 それまでは、わかんないんだ。
糸井 わかんないですよね。
中畑 俺は最初、反抗してたからね、藤田さんに。
もう、子どもみたいにさ。
大人になってのから反抗期は、始末悪いぞ。
糸井 なまじ力があるから(笑)。
中畑 そうそうそう(笑)。
でも、そうとう構えてたんだけど、
あっという間に取り込まれたっていうかさ。
糸井 なんで反抗してかというと、
長嶋監督の後任としてやってきたから。
中畑 そう、子どもっぽいんですけどね。
好きだった長嶋さんを解任させた張本人のひとり、
みたいに思ってたんですよね。
当時、そういう風に語られる風潮があったから、
それをまんまと真に受けて、
最初は口もきかなかった。
糸井 ファンのぼくらもそうでしたよ。
中畑 そうそう、敵対心持ってたでしょ。
でも、一瞬だったね。
多摩川の練習のとき、会った瞬間から
変わっていく自分というのがあったんで、
これはなんなんだろうな、と。
なんか、すごい人だなって。
それで、また何年か経って、
さらに気づかされることがあって‥‥。
だから、藤田さんの本質に到達するまでには
すごく時間がかかってるんですよ、ぼくは。
糸井 ああー。
中畑 だから、現役最後の年、
控えになったときのその1年間で
ほんとの意味を知るんです。
糸井 で、その年に、「監督やりたくなった」って。
中畑 そう、そう。
糸井 あの、最後の1年がなければ、
中畑さんは監督になろうとは
思わなかったってことですよね。
中畑 ぜんぜんないですよ。
糸井 その話、聞かせてください。
(つづきます)
2013-12-20-FRI