NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第62回 ぼくもういかなきゃなんない

もう一昨年のことになるけれど、
中野サンプラザで
くるりと矢野顕子さんと遠藤賢司さんを
いっぺんに観られるという
非常に魅力的なコンサートがあって、
僕は僕の妻と妻の友人の女性と三人で出かけた。
12月の寒い日で、たしか2階席だった。

遠藤賢司さんも、くるりも、
そしてそのとき初めて聞いた
REI HARAKAMIさんという人のステージもよかったけれど、
僕がいちばんしびれたのは矢野顕子さんの歌と演奏だった。

ピアノひとつで歌う矢野顕子さんの歌と演奏を
生で観るのは初めてで、
知っている曲にも知らない曲にも
さまざまに心を動かされた。
ひとりの人からつむがれる音や言葉が
あまりに豊かな広がりを見せることに
僕はびっくりしてしまった。
楽しかったり、悲しかったり、
綺麗だったり、怖かったり、
速かったり、遅かったり、
長かったり、短かったりで、
ほんとうにうっとりとしてしまった。

もっとも心に残ったのは『さようなら』という曲で、
矢野顕子さんの短い紹介によればそれは
「谷川俊太郎さんの詩に
 息子の賢作さんが曲をつけたもの」
 だということだった。
矢野顕子さんは短いイントロをつむぎ、
はじまりの印象的なフレーズを歌った。

──ぼくもういかなきゃなんない

歌のなかでは、
男の子がおとうさんとおかあさんに
「さようなら」を告げて、
ひとりでしっかりと歩き出す。
聴いてるうちに、涙が出た。
矢野顕子さんの自由な歌声が心地よかった。

コンサートが終わって、
妻と妻の友人の女性と中野サンプラザを出るときに、
妻は矢野顕子さんのショウの感想として、
自分があんなふうに弾けて、
あんなふうに歌えたら
どれだけいいだろうかと言った。
妻の友人の女性はそれを聞いて、
自分もまったく同じことを考えていたと言った。
そうそうそう、と相づちを打ち合うふたりに向かって
「矢野顕子のようになれたらいいのにと
 思わない人なんていないんじゃないの?」と
言ったところ、イヤな顔をされた。
でも、根拠はまったくないけれども、
矢野顕子さんの歌と演奏を聴いて、
矢野顕子さんのようになれたらいいのにと
思わない人なんていないんじゃないかと僕は思う。

それから半年後のこと、
僕の働く職場でイベントを企画することになった。
70歳とか80歳のおじいちゃんたちを
5人集めて講演してもらうというもので、
企画の立ち上げから
僕もそのプロジェクトに加わっていた。

5人のなかに、谷川俊太郎さんの名前もあった。
そこで僕が思い出したのは
半年前に矢野顕子さんが歌った『さようなら』のことで、
僕はこのイベントに矢野顕子さんを呼ぶことを提案した。
矢野顕子さんの歌う『さようなら』を、
このイベントのテーマソングにしたら
とっても素敵だと思ったのだ。

歌詞をプリントアウトして企画書に添えて、
なんとか実現させようとしたけれど、
残念ながらスケジュールが合わなくて
それは叶わなかった。

『智慧の実を食べよう。』と名づけられた
そのイベントの当日、僕は舞台の袖にいて、
ステージのスクリーンに流れる映像の
スイッチングを担当していた。
初めての経験だから緊張したけれど、
おじいちゃんたちの
深くて大きな話を聴きながら過ごす時間は
とても楽しかった。
進行表と時計とモニターをにらみながら、
僕はうなずいたり笑ったりはらはらしたりした。

谷川俊太郎さんは5人目の講演者として、
イベントのいちばん最後に登場した。
語り、詩を読み、歌をうたい、
谷川さんは会場を湧かせた。
そして、長い長いイベントの最後の最後、
谷川さんは会場からの拍手を受けて、
アンコールとして詩をひとつ朗読した。
静寂のなか、谷川さんの最後の詩が響いた。

──ぼくもういかなきゃなんない

再びその印象的なフレーズを聴いたとき、
なんだか自分勝手なことだと思うけど、
またしても涙が出た。
それでイベントが終わるだなんて、
なんて素敵な偶然だろうかと、
ひとりで勝手に感謝した。

それからさらに半年が過ぎて、
つまり去年の年末に、
矢野顕子さんの『ピヤノアキコ。』というCDを買った。
妊娠中の妻が、
車のなかで聴く静かなCDはないかと言ったからだ。
ピアノの弾き語りだけで構成されたそのベスト盤が
何ヵ月かまえに発売されたことを知ってはいたけれど、
そのうち買おうと思ってつい買いそびれていた。
いいに決まってるCDだから、
いつ買ってもいいと安心していたのだ。

新宿のCD屋でそれを買って、
車のなかでランダム演奏しながら家に帰った。
そしたら『さようなら』が流れた。

──ぼくもういかなきゃなんない

そして泣き出したのは妻だった。

こりゃたまらん、と言いながら、
妻はポロポロと泣いた。
妊娠中だから、感情の起伏が
少し激しくなっていたのかもしれない。
おなかのなかにいるのが
どうやら男の子であるということも
影響したのかもしれない。
男の子が、おとうさんとおかあさんに向かって、
──ぼくもういかなきゃなんない
と告げるその歌は、どうやら妻に強く作用した。
ハンドルを握る僕は運転に集中しようと心がけていた。
ちょっとこれはたまらない、と宣言しながら、
妻は景気よくポロポロと泣き、
その勢いで、つぎにかかった
『ニットキャップマン』を聴いてまた泣いた。
ちなみに『ニットキャップマン』は
ホームレスのフジオさんが死んでしまうという、
哀しくも暖かい歌である。
妻は泣いている自分に呆れながら、
「なんでフジオさんは死んじゃったんだ」
と照れ隠しのようにして僕に訊いた。
そんなこと訊かれても困る。

年が明けて、
僕は車をぶつけてしまった。
修理に1週間ばかりかかったから、
味気ない代車に乗って過ごすことになった。
代車にはCDデッキがなかったので、
車のなかで音楽を聴くことはできなかった。
この冬いちばんの寒い日に
ようやく車が戻ってきて、
エンジンをかけると『ピヤノアキコ。』が
カーステレオに入りっぱなしになっていた。
それを聴きながら、
ふたりで郊外のショッピングモールに出かけた。
さすがにもう妻は泣かなかったけれど、
ショッピングモールからの帰り道、
矢野顕子さんの歌声を聞きながら、
以前と同じ質問を僕にした。

「なんでフジオさんは死んじゃったの?」

そんなこと訊かれても困る。



2004/01/18 舞浜

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2004-01-21-WED

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