NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第50回 特急の窓際の席で

週末に何人かで伊豆に旅行に行くことになっていたのだが、
僕だけ急に送別会の予定が入ってしまって、
翌日にひとり電車で行くことになった。
ちなみに送別会の主人公は沖縄に移住する。
この文章が掲載されるころはもう南にいると思う。
いきなり脱線するけれど、
坊主頭の彼が沖縄で邁進することを確信します。
がんばれ、N。

さて、翌日に僕はひとりで伊豆へ向かった。
昼過ぎに東京駅に着き、特急電車の座席を取った。
列車はその名も『スーパー踊り子号』という。
なかなかすごい名前である。

僕が愛して止まない幸福弁当という駅弁を買って、
(少し高いけどその価値は十分にあります)
スーパー踊り子号に乗り込む。
座席に腰掛けると、
たしかになかなかスーパーである。
窓が非常に広い。
多少古びてはいるけれど
シートは広く、かけ心地もいい。

座席にも恵まれた。
僕の席は進行方向に向かって左の窓際で、
窓と窓の境目が視界に入らない理想的な位置にある。
あいにくの曇り空だが、
そのぶん直接の強い陽射しに気を遣わなくてすむ。
さらに特筆すべきは、隣に誰も座る様子がない。
列車は8割がた埋まっているのだけれど、
直前に切符を買ったことが幸いしたか、
僕より後ろにはほとんど人がいない。

つまり僕は広いふたりがけの席を独り占めしていた。

出発直前の車内はざわついている。
旅に出るとき特有の、
静かに気持ちが高ぶるような
ちょっと何かに急きたてられるような
ふわふわした気配があちこちにある。
家族連れもいるし、
ふたり連れもいるし、
仕事途中のような人もいるし、
すでに酔っている人もいる。
もう間もなく列車は出るのだろう。
無機質な車内アナウンスさえ気持ちを高めるようだ。
旅立ちを待つ列車は個々の静かな活気に満ちている。

僕はバッグから煙草とライターと文庫本を出し、
幸福弁当の横に並べる。
駅弁を食べるのは列車が走り出してからと決めている。

窓は広く、やはり僕の隣は空席であるようだ。
お茶のペットボトルを開けてひとくち飲む。
ふたりがけの席は、僕専用の個室のようでもある。
だから、たとえば、大して意味もなく、
テレコを出して回したりしてみても
誰も気に止めたりしない。

窓際でテープは回り、
にぎやかな車内のさまざまな音を記録する。

ふたつくらい前の席に家族連れがいて、
どうやら男の子は電車好きであるらしい。
彼の叫びはこうだ。

「二階がいい! ねえ、二階がいい!」

残念ながらスーパー踊り子号に二階はない。
彼は窓の外を見て「のぞみ!」と叫び、
そういったことにあまり詳しくない僕は
へえ、あれがのぞみか、と窓を見る。
ずいぶん流線型だな。

斜め前の席に座ったふたり連れに、
女性乗務員が声をかける。
どうやら切符をチェックしているようだ。

「恐れ入りますが、お客様の席は12番ですので
 ひとつ前の席になります」

ああ、すいませんと答えてふたり連れが席を移る。
さっきからうろうろしていた別のふたり連れが
ホッとしたような表情でそこに座る。

通路を挟んだ右横の席は若い男女のふたり連れで
広げたスポーツ新聞を見ながら
どうでもいいような言葉を交わしている。
たとえば男のほうがこう言う。

「寺尾、引退だって」

へえ、と僕は思う。
寺尾はたしか40歳近くになる。
相撲はああ見えて
平均年齢が恐ろしく低いスポーツだと聞いたことがある。
そんななかで40歳近くまで現役を続けることが
どんなにたいへんなことであるか、想像に難くない。
引退しちゃうのか、寺尾。

「好きだったのにな、寺尾」

つぶやく男に僕も心の中で同意する。
ところが女のほうが容赦なく「なんで?」と突っ込む。

「なんでって、男前じゃん、寺尾」

たしかに寺尾は男前の力士だと僕も思う。
けれど、相手の女性はそうは思わないらしい。

「男前じゃないよ」

「男前だよ」

「男前のわけないじゃん。いい?」

漏れ聞く僕も不満な思いでいるが、
つぎの瞬間女性はものすごい根拠を叩きつける。

「相撲の世界に、男前なんかいないよ」

そんなひどい話があるか、と思うが
ドスの利いたひと言に、彼も僕の心も沈黙してしまう。
無理が通れば道理が引っ込むとはこのことである。

このあたりでついに列車はホームを離れる。
防音の施された車内に規則的な移動音が遠くから響く。
ガスンガスンガスンガスン、という音だ。

「つめたい、おのみもの、おつまみはいかがですかー」

しばらく走ったあと、例の口調で車内販売が通る。
お弁当は早くも売り切れてしまったみたいで、
前のほうにいるオバチャンが「あっらぁ〜」と残念がる。
僕はワゴンを呼び止めてコーヒーを買う。

「ミルクと砂糖はどういたしますか?」

ミルクだけください、と答えて代金の300円を払う。
100円玉を3枚渡したつもりだったが、
50円玉が混じっていて250円だった。
慌ててもう50円払う。

さっきの電車好き少年が
お母さんに手を引かれてトイレに行く。
といっても、張り切って先を歩くのは少年のほうだ。
歩きながら変なことを言っている。

「リュウくんたちがさ、
 いまごろ、かえってきたらさ、
 ねたふりするんだ!」

相変わらず男の子はわけのわからない言葉を使う。
ともあれ少年はさっきからずっと楽しそうである。

電車は滑るように街を抜け、
景色も少しずつ変わり始める。
まだ横浜の手前だから
目を見張るような風景には転じないけれど、
線路沿いのビルが少しずつ低くなっていく。
僕は外を眺め、煙草を吸い、幸福弁当を食べて、
回り続けていたテレコをぱちんと止める。

文庫本を開く。

先日『ファイアーエムブレム封印の剣』というゲームを
クリアーしてしまったので、
珍しく移動中に本を読んでいる。
藤沢周平さんの『用心棒日月抄』だ。
とてもおもしろくて、
久々に埋没するように読んでいる。
厚い雲を抜けてきた弱い日光が活字を照らす。
何かの影がときどきページを横切る。
しばらく、文庫本を読む。

「海だ!」と少年が叫んだ。
本から目を上げるとたしかに水辺があったが
残念ながらそれは海ではなかった。
「少年よ、それは川だ」と心でつぶやきながら
再び本の中に戻る。
江戸の町では又八郎と刺客が間合いを詰めている。

しばらくあって、
ふと窓の外が白くなったような気がして目を上げた。
今度こそ海だった。

雨が近づいているらしく海は荒れ始めている。
ゴツゴツした岩場に波がつぎつぎと打ちつけているが、
遠くから見るせいで
ひとつひとつの岩に白い糸が絡みついているように見える。
何気なく見た眼下の街道には標識が立っていて、
読むと「湯河原1.4キロ」とあった。

スーパー踊り子号はトンネルに入り、
視界は白から唐突に黒へ転じる。
しゅごうっ、と狭い場所に音が反響する。

僕はぱたんと文庫本を閉じてぐうと寝た。



2002/09/22      東京〜伊豆高原

2002-10-03-THU

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