20年間、村上春樹さんの小説を
デンマーク語に訳してきた
メッテ・ホルムさんに聞きました。
翻訳とは何か、について。
それは単に、機械がするように
言葉を別の言葉に置き換えること、
では、やっぱりなかった。
言葉と言葉の間に、
みんなが渡れる橋を架けるような、
一枚の布を織るような営みでした。
メッテさんが愛してやまない
村上さんの小説のことについても、
いろいろと、うかがいましたよ。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>メッテ・ホルムさんのプロフィール

メッテ・ホルム プロフィール画像

メッテ・ホルム

翻訳家。デンマーク生まれ。二人の娘の母。
コペンハーゲン大学で文学修士号と人類学学士号を取得。
2001年以降、
デンマークで出版されたすべての村上春樹作品の翻訳を
手がける。
翻訳歴は、『⾵の歌を聴け』、『ねじまき⿃クロニクル』、
『スプートニクの恋⼈』、『ノルウェイの森』、
『海辺のカフカ』、
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、
『1Q84』、『騎士団長殺し』など多数。
その他にも、
⼤江健三郎、吉本ばなな、川上弘美、東野圭吾などの
作品を翻訳。
今後は、
村⽥沙耶⾹、多和⽥葉⼦の作品の翻訳も決定している。

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第3回 布と、本と、猫と、言葉と。

──
以前、織物をやってらっしゃったと
先ほどおっしゃってましたが、
いま、この桐生市に住んでいるのも、
そのことが理由ですか。
メッテ
はい、そうです。
34年前も桐生に住んでいたんです。
15歳のときに、
フランスの「ゴブラン織」を知って、
夢中になりました。
それで、高校を卒業したあとに、
フランスで1年、織物をやりました。

──
翻訳の前に、織物。
メッテ
そのときに川端康成の本に出会って、
日本に興味を持ったんです。
そこで、大学へ入って
人類学の勉強をしていたんですけど、
そのうちに、
日本の織物のことを調べたくなり、
日本語と、
日本の文化の大学に移ったんですね。
──
織物って、世界各地にありますよね。
もちろんデンマークにも。
メッテ
ええ。
──
その中で日本の織物に惹かれたのは、
どうしてでしょう。
メッテ
日本の絣(かすり)の展覧会を見て、
デンマークの博物館で。
それが、素晴らしいと思ったんです。
──
布を織っているときは、
どういう気持ちになるものですか?
メッテ
幸せな気持ち。
わたしが本当にやりたかったのは、
手織り機(ばた)ですが、
シュッシュッシュッとやってると、
本当に‥‥幸せなんです。

──
糸というあれだけ細いものを、
1本1本積み重ねて、
一枚の布がつくられるわけですが、
そう考えると、
織物って、すごいことですね。
メッテ
わたし、機織りしながら、
イリオモテにも住んだことがある。
──
え、沖縄の西表島にも?
メッテ
とても素晴らしい先生に出会って、
わたしは、
はじめて彼女の絹を見たときには、
泣きました。
──
泣いた?
メッテ
うん。
──
どうして?
メッテ
素晴らしかった、美しかった。
見たことのないシルクだった。
──
織物というのは、時間をかけて、
一段一段、
経(たて)糸と緯(よこ)糸で
織りなしていくわけですけれど、
そのイメージが、
ひとつひとつ、言葉に言葉を
あてはめていく翻訳のイメージと、
どこか重なるような気がします。
メッテ
正しいと思います。
わたしは、言葉を織っています。
そういう感覚があるんです。
──
あ、そうですか。
メッテ
ふさわしい柄をつくり出すために、
ふさわしい色を選んだりしながら。
そういうところも、似ているし。
──
ええ。
メッテ
時間がかかるところも、同じね。
先にタテだけ織れないし、
後からヨコを織ることもできない。

──
つまり、一足飛びには進まない。
メッテ
そういう意味で、
織物と翻訳は同じだと思います。
そういえば、
桐生に住んでいる写真家の‥‥。
──
石内都さん?
メッテ
そう、彼女も織物をやってんだって。
──
たしか、美大の織り科でしたよね。
メッテ
それが、いまでは、
ちぎれたワンピースとかブラウス、
そういう、
ヒロシマの遺品の写真を撮ってる。
──
伊勢崎銘仙なんかも。
メッテ
素晴らしいお仕事をしていますね。
布や織物との関わりが、
いまでもまだ、続いてらっしゃる。
──
すごく不思議なものだと思います、
布って。
人間にとって、とても身近で、
なくてはならないものですけれど、
「じゃ、つくってみて」
と言われても、
おいそれとは無理じゃないですか。
メッテ
そうね。
──
タオル1枚、つくれないと思います。
自分ひとりでは。
メッテ
うん。
──
いつも身近にあって、助けてくれる。
ちょっとやそっとじゃ、つくれない。
そんなところも似ていると思います、
布と言葉って。
メッテ
そうね、ほんとうに。
あと、日本で素晴らしいと思うのは、
わたしは「紙」だと思う。
──
ああ、そのことも、よく聞きます。
知り合いが写真集を持って、
パリフォトとかに出展したりすると、
「この紙は何だ」って、
多くの人が、紙に反応するんだって。
メッテ
わかります、ぜんぜんちがいますよ。
日本の紙は、すぐわかる。
たとえばこれ、デンマークの本です。
持ってみて、すごく軽いの。
薄くてペラペラの紙を使ってるから。

──
以前デザイナーさんに取材したとき
おっしゃってたんですが、
伝えたいことを伝えるために、
どの紙を選んだらいいだろうって、
そいういう視点で、
本の用紙を選んでいるんだそうです。
メッテ
ああ、そうですか。
──
つまり、紙そのものに表現力、
何かを伝える力があるというんです。
メッテ
日本の紙には、その力があると思う。
だからわたしは、日本の本も大好き。
デンマークの家は空っぽにしたけど、
本だけは、そのままにしてきた。
その家を借りている人は、
わたしの本と猫と、一緒に住んでる。
──
へえ、猫ちゃんつきで(笑)。
メッテ
そう。彼女はもう、18歳。
──
メッテさんの好きなものが、
メッテさんそのものって感じですね。
メッテ
そう?

──
布と、本と、言葉と。
メッテ
それと、猫と(笑)。

(つづきます)

2019-10-20-SUN

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  • 20年にわたり、村上春樹さんの小説を
    デンマーク語に訳してきた
    メッテ・ホルムさんのドキュメンタリー。
    映画のなかのメッテさんは、
    村上さんの一語一句を、
    どのデンマーク語に置き換えたらいいか、
    世界中の村上作品の翻訳家と議論し、
    よりよい訳を求めて来日までしてしまう。
    翻訳というものは、そこまでの、
    たいへん大きな責任を伴う営みなんだと
    わかりました。
    10月19日(土)より全国ロードショー。
    上映館は、新宿武蔵野館、
    ヒューマントラストシネマ有楽町、
    YEBISU GARDEN CINEMA‥‥など。
    くわしくは公式サイトでご確認を。