個人的な神話。

第4回 場所の神話


生まれ育った場所から離れて、もう、何年も経つ。
そういうメールには、そういう雰囲気があります。
たとえば、そのなかから2通を紹介してみますと……。

「出会いや偶然が重なりましたが、
 日本を離れて暮らしているのは
 自分が選んだことで、大変なことはあるけど、
 これが私の生きる道と思ってはいるのですが、
 日本を離れて7年経った今でも、仕事を終え、
 日本では見られない
 きれいな夕焼けを見て運転してる時など、ふと、
 『なんで私ここにいるんだろう?』と思います」

「ロスの大学に通うものです。
 訪れたことがある方ならおわかりのように、
 この街では車がないとどこにも行けません。
 それでも車のない私は、
 毎日不便なバスと徒歩で学校に通っています。
 日が沈んでからは、危なくて外に出られないし、
 水を買うのにも、
 誰かの車に乗せてもらわなければなりません。
 憎らしいほどの青い空に、
 叫びたくなる時もたびたびあります。
 トボトボと夕日を背に、重い荷物を抱えて、
 誰もいない道を歩くと
 涙がこみあげてくるときもあります。
 だけど、その空の青さに毎日救われます。
 そして、その荷物の重さは夢の重さです」

こんなふうな雰囲気のメール、なんです。

どこにいる誰もが、
どこかに向かう道の途中なのでしょうけど、
いつも、なにかのタイムリミットを意識しているとか、
なにかを目指している人ならではの不安や興奮だとか、
特に海外生活者には、やはり独特の雰囲気があります。

海外生活者たちの考えている声を読んでいると、
就職や転職で「私はいつまでどこにいるのだろう」と、
悩んでいる人の声をきいているかのようでもあります。

さらに、2通のおたよりを、紹介してみましょう。

「私は昨日、25歳の誕生日を迎えました。
 去年の誕生日には、アメリカにいても
 日本の友人からメールもたくさん届きましたが
 今年は数通でした。やはりこの歳になってくると
 みんな仕事で忙しいみたいです。
 私はまだ大学生で、今年一応今の大学は卒業です。
 なにを思ったのか、アメリカに来て
 小学校の先生になる勉強をしてて(初等教育)、
 火曜日からは実習が始まります。
 アメリカで小学校の先生になろう、
 とは思ってないので、卒業すると、
 アメリカで私が今住んでいる州での
 教員免許はもらえるのですが、
 日本では使えません。
 大学院に進もうかなぁとも考えてて、
 今は来年の事で頭がいっぱいです。
 いい経験はさせてもらってるなぁとは思いますが、
 日本で実際に社会人になるには、
 まだまだ道のりは遠くなりそうです。
 こっちには学生ビザで来てるため、
 バイトもできません。
 だからまだこの歳になって
 親に援助してもらっています。
 いつ親離れできるのか、それも気になっています。
 まぁなんだかんだいっても、自分の人生。
 じっくり考えて、歩んで行きたいと思ってます。
 ……って言葉ではかっこいいこといってても、
 内心は、めっちゃあせりまくりです」

「24歳です。
 研究者になる夢にしがみついてふんばってます。
 今は、博士課程に進学しようとしています。
 すべて順調に卒業できても、その時には28歳。
 私は、かならず研究者になる、
 と思ってがんばっていますし、
 気合いと希望に満ちていますが……
 28歳で学生がやっと終わった時、
 高卒で就職した友人は、
 もう社会人の10年目、なのですよね。
 しかも研究者に卒業して
 すぐなれる人なんてごくひとにぎり。
 先を思うと、震えが出そうです。
 ただ淡々と研究を続ける姿勢の自分には、
 ほんとは研究職は、向いてないのでは、
 などと考え出すと、泣きそうです。
 好きなことではありますが、
 続けるのはこわいんです。
 研究者の仕事も最近は
 3〜5年の任期で切れるといいます。
 大学でさえも、じっくり同じ場所では、
 できなくなってきていると聞きます。
 けれど、やめられないおもしろさがあります」

アメリカからと、日本からの、
緊張感の伝わってくるこのふたつのお話には、
「自分も、そんな境遇にいるところ」
と共感する人も、とてもたくさんいると思います。

つまり「アイデンティティ」といわれるものと
関連しているお話なのですが……
さらにここで、もう5通のメールを、紹介してみます。

「16回目の正月を
 タイ王国で迎えようとしていますが、
 言葉の壁は、
 在住が長くなればなるほど感じられます。
 家族は私を除いて
 2重国籍かネイティブですから、
 私の存在は、やはり外国人でしょう。
 それでも毎日、この国の言葉で
 家族と会話をし、近所づきあいをし、
 買い物をしているのですが、
 やはりネイティブにはなれません。
 日本語も人から指摘されるほどなために、
 体からかもし出される雰囲気も、
 きっと日本では異質でしょう。
 私が住める場所はここだけですが、
 中途半端でやるせないです」

「私は、米国での暮らしが通算10年弱で、
 このまま一生こちらに住む予定ですが、
 国籍は日本ですし、
 自分のアイデンティティも日本人なので、
 アメリカ人に日本の話をする時、
 『私の国では』
 という言い方をすることがあります。
 数日前の夜、
 いつものように夫(アメリカ人です)に
 『私の国ではね……』
 という話をした後、
 取り入れ忘れた新聞を取りに
 ひとりで郵便受けのところまで行った時に、
 『将来、米国での年月が
  日本で暮らした年月より
  ずっと長くなっても、
  まだ日本を、私の国って呼べるのかな』
 と思いました。
 日本が自分の国ではなくなる日が
 来るような気がして急に涙が出てきてしまい、
 少しの間、家に入れませんでした」

「私は韓国人で、
 日本に留学にきて、そのまま結婚し、
 子どももふたりいます。
 それに会社にも勤めています。
 最初は戸惑い、わからないこともあり、
 困ってましたが、今は慣れてきました。
 そのかわり私はいろいろなものを失いました。
 国の言葉や友人など。
 私も、日本には家も家族もあるのに、
 『住める場所は
  ここだけですが、中途半端でやるせない』です。
 韓国語も中途半端、
 日本語も中途半端、どこにいっても外人です」

「日本生まれ日本育ちの在日韓国人で、
 現在は、北京で、仕事をしています。
 国籍は韓国ですが、
 母国語は日本語で韓国語も話せません。
 以前、SARSが流行ったとき、
 大使館から会社へ、日本人の数を
 把握するための書類がとどきました。
 書類上、私は韓国人なので
 当然その書類に名前は記入できず、
 いざとなったらどうなるのかと
 非常に不安な日々を過ごしました。
 デリバリー版のメールで
 『私の国では』と言う方がいましたが、
 私の場合は、どこが『私の国』なのか、
 よくわかりません。
 韓国に留学して祖国のことを勉強しろ、
 と叱る方も多くいますが、
 日本で生まれ育ち、
 ものごころついたらいきなり
 あなたは韓国人なんだという
 事実をつきつけられても、
 なかなか、寛容には受け入れられないのです」

「中国に生まれ、幼い頃に日本にやってきました。
 今は、日本国籍を得ていますし、
 結婚した相手も、日本の方です。
 おそらく、このまま
 日本で月日を重ねていくのだろうと思います。
 中国のことは、
 もう本当に少ししか覚えていません。
 住んでた家のことも場所のことも
 記憶はぼんやりと不鮮明です。
 だけどいつか帰りたいと思います。
 そう思っている自分がいます。
 きっと、そこに私の帰る場所なんて、
 どこにもないのに……。
 いつもは考えない、感じない思いです。
 血が呼ぶのでしょうか、それとも土地が?
 いつか生まれるかもしれない子どもには、
 中国語を教えたいです。
 自分の根がどこか、
 子どもには知っていて欲しいからです」

自分の場所ってなんだったっけ……
と、ふりかえってみるこういうおたよりには、
海外生活などを経験していなくても、
「そういうこと、今、思っていたところだった」
と感じる人が、けっこういるのではないでしょうか。

それぞれの人が、
それぞれの世界で暮らすことを納得するための観点を、
昔の人たちが「神話」をとおして開拓してきたように、
「今の距離感覚のなかで、それぞれの人が考えること」
を今の「神話」のひとつとして紹介したいと思います。

あなたが、どこかで気持ちを共有できる物語が、
ひとつでもあればいいなぁと思って、おとどけします。
「場所の神話」はもちろん国内のお話も含んでいます。




 「オランダ人と結婚してオランダに住んでいますが、
  今、尽きない悩みを抱えています。
  それはわが子の日本語のことです。
  海外に住むまで、まさか自分の子どもが
  日本語を話さない可能性があるなんて、
  想像していませんでした。
  私が日本語で話しかけてさえいれば、
  自然と日本語を覚えるだろうなんて甘かった……。
  やはりそれなりの教育が必要なんです。
  でも教育に必要なものは忍耐とお金。
  学ぶことに対する忍耐もお金も
  私ひとりの力ではどうにもなりません。
  家族全員の気持ちが
  ひとつになっていなくてはできないのです。
  でもこれって、意外と難しいんです。
  小さい子どもに、
  今必要と感じていない言葉を覚えさせるのは。
  我が子に伝えたいことがたくさんあるのに、
  彼の育つ文化と私の育った文化の違いもあるし、
  微妙なニュアンスでいろいろなことを伝えるのは難しい。
  直球で会話ばかりしていたら、けっこう疲れます。
  子どもを産むまでは海外の生活も楽しかったけど、
  日本に住んでいれば子どもの言葉の問題で
  悩むことなんてなかったのかもと思うと泣けてきます。
  日本にいればいたで他のことで悩むのでしょうけどね」



 「おばあちゃんと
  久しぶりに電話で話をしました。
  電話をするたびに、
  その日にあったことを話してくれます。
  そして、最後にはいつも、
  『夜、寝る前にね、
   お月様にいつもお願いしてるんよ。
   ○○ちゃん(私)が
   元気でいられますように、って。
   朝、起きたら、おてんとうさまに
   ○○ちゃん、
   今頃何してるかなぁって話してるんよ』
  と言います。
  私は、この言葉を聞くたびに、
  目頭が熱くなります。
  日本と7時間の時差がある
  イタリアに住んでいる私。
  でも、おばあちゃんの言葉を思い出し、
  寝る前にはお願いをしてくれたお月様を見て、
  温かい心で眠りにつきます。
  だいじょうぶ、元気にしてるよ」



 「香港に住んでいます。
  先日謎の蕁麻疹にやられ、左右の頬が赤く爛れ、
  腫れ上がってしまいました。
  誰にも見られたくない思いで、
  帽子を目深に被り、タクシーに乗り込み、
  伏し目がちに行き先を告げました。
  下を向き憂鬱そうにしていると、
  香港人の運転手さんが、ふいにラジオを止め、
  ダッシュボードから、
  1枚のCDを取り出し、かけました。
  ドビュッシーの『月の光』です。
  香港のタクシーでドビュッシーが聴けるなんて、
  本当に、本当に珍しいことです。
  有り難くうっとりさせていただきました。
  それに、このCD、
  海賊版のようで、3曲目が何故か
  『昂』のカラオケで、
  ジーンの後に、フっと笑ったり、
  憂鬱な気分が和らいだ車内の20分間でした。
  見知らぬ人に、言葉の壁を越えて
  優しくされたことが、
  何よりうれしく、癒されました」



 「アメリカ在住10年目です。
  こちらの大学で働いていた時、
  パレスチナ人の学生と
  話をする機会がありました。
  彼もその兄弟も皆、
  アメリカやヨーロッパに移民、
  移住している中、
  ご両親だけはエルサレムに残ったそうです。
  激化するイスラエルの状況の中で
  『この間の自爆テロは両親の家のすぐそばだった』
  と言った彼に、
  ご両親は移住を考えてないか聞くと彼の答えはNO。
  ご両親は長く親しんだ土地や友人を
  今更離れたくないといっていると。
  たとえ銃弾が行き交う街でも
  ご両親にとってはそこが愛する故郷。
  住めば都なのか。あと何十年か経った時に
  私はこの国を故郷と呼び、たとえ何があっても
  住み続けることができるのだろうかと
  ふと思いました」



 「もうすぐ、マンハッタンの
  北の端にあるシニヤーアパートに引っ越します。
  陰気で、大げさに聞こえるかもしれないけれど、
  決してそんなことはありません。
  死に場所探しの第一歩です。
  幼いときは国家の(戦争で一家離散、集団疎開)、
  青春は両親の(銀行勤務のため転勤)、
  独り立ちしてからは自分の都合で
  (アメリカ人との結婚……
   諸外国に住み日本に帰って就職、
   引退してニューヨークに移住して15年)と、
  住み場所が変わり続けました。
  来年、70歳になります。
  猫1匹との生活です。
  ひとり住まいのお年寄りを
  アシストするボランティアをしていて、
  80歳になると他人の助けが必要になるな、
  大きな動きは無理になるなと、
  80歳には落ち着いていなくてはと考えてきました。
  長くメトロポリタン美術館で働いた同い年の親友は
  引退するや京都にマンションを購入して、
  先月日本に帰りました。
  日本に帰る度、日本での終の住処を考え、
  お年寄りの集団生活も見学しましたが、
  いかんせん、日本のシニヤー集団生活は
  礼儀正しすぎるというか、
  お行儀が良すぎるというか、
  気がめいる様な印象が強かった。
  そして、ましな設備が整っていると、
  びっくりする位、高価。
  残す人もいないから賃貸をしたくても、
  年寄りのひとり身だと
  貸してくれないのが常識とか聞くと、
  ひどい国だと思ってしまいます。
  それやこれやで、日本への帰心はあるのですが、
  よほどの金持ちでないと、
  日本の方が引き受けてくれないような
  感じがしてしまっています。
  1ヶ月約1800ドルで頭金などなし、
  2食光熱費含みで下と隣が病院。全部で78所帯、
  中に日本人が15〜6人いると聞いています。
  1日体験をしてみましたが、
  こっちの年寄りは、
  わがまま丸出しで賑やかで笑えるのです。
  私の部屋は16階、窓からはハドソン河が右手、
  ハーレムリバーが左手と、
  嫌みなほどの絶景が望めます。
  室内ベランダも有ります。
  今は引っ越し準備で、ちょっといそがしいけれど、
  ルーズな集団生活という
  新しい経験に胸を躍らせています。
  気に入らなければ、日本をもう一度考えなおそう、
  いや、今度はダウンタウンが良いなと思ったり……。
  納得の終の住処が見つかるまでは,頑張らなくては。
  80歳までに、ね」



 「過去10年間を
  海外でしゃかりきにめいいっぱい仕事をして、
  たくさんの恋もして、
  結婚寸前までいってダメになり……
  疲れ果てて、
  今年のはじめに、日本へ帰ってきました。
  今の仕事も、東京にいることも、
  独りでいることさえも、
  まだ私の場所とは思えず、
  途方に暮れることがあります。
  日本語でうまく感情を表現できず
  英語が出てきてしまい、
  日本になかなか馴染めなくて、
  イヤになってしまいます。
  私の生まれた国で、本当は大好きで、
  ここしか故郷はないのに。
  自分の二本の足で立って、
  自分らしく、強がらず、片意地張らず、
  自然に息ができる様に、早くなりたいのだけど」



 「アメリカに暮らして、通年、12年になります。
  最初は『できる』と思いこんでいた英語も通じず、
  不思議なほどアップアップしていたのに、今では、
  ここの生活も自分にとって『ふつう』になりました。
  このアメリカが、私の日常です。それでもやっぱり、
  そのふつうの生活の中でも、たとえば、信号待ちで、
  英語の道路標識を、ぼんやり眺めている時などには、
  『なんで私はこんなところにいるんだろう?』
  と思ってしまいます。
  日本から、遠く離れた外国の道路標識を眺める自分。
  なんだか自分がたったひとりで、とんでもなく
  場違いなところにいるような気にもなるのです。
  いつか私は、日本からこんなに離れたところで、
  土にかえるのかなぁ。でも、すぐに思いなおします。
  ここには私の大切な家族がいる。
  自分のいるところがどこであろうと、
  家族がいる場所が、私のいる場所なのです。
  そう考えると
  『ふつうの生活』に戻る元気が湧いてきます。
  日本も大好きだけれど、家族とすごす
  アメリカでのふつうだって大好きなんです。
  どちらも私の家族のいる場所です」



 「デリバリー版を読んでいると、
  人に歴史ありという言葉が浮かんできます。
  なにげなくすれ違う人それぞれに
  深く濃い時間が流れ、その流れの中に、
  みんなが生きているんだなぁ、って。
  両親が中国人(台湾)ですが、
  私は日本で生まれ日本で育ちました。
  戦後、私の両親は
  日本に憧れを持って移り住みました。
  中国人としての人格が確立されてからの両親と
  私とは、同じ血とはいえ、
  かなり違うものがあるなぁと感じます。
  かといって私も
  『日本人』とも言えない何かがあって……
  中国名で在籍しているのは、
  学生時代から会社勤めの頃まで、
  私ただひとりでしたし、
  おとなになるまで、
  本当に人と違うことがイヤでイヤで。
  しかし、十年ほど前に
  ダンナさん(日本人)の転勤で
  サンフランシスコのアパートに
  暫く住んでいたときのこと。
  アパートにはジャクジーとプールがあって、
  特にやることのない私は
  一日のほとんどをそこで過ごしました。
  毎日会っていれば、
  挨拶をかわす人くらいは、できてくるもの。
  駐在員の他には、裕福な留学生や、
  退役軍人のおじいさんが多く住むアパートで、
  帰国間近なある晩、ジャクジーにいた
  おじいさんから
  『日本人か』と声をかけられました。
  『いいえ、日本に住む中国人です』と話をしたら、
  『そうか……ならば
   日本の歴史における明治維新って、
   きみの立場ならどう捉える?』
  と、質問されました。
  史実としての明治維新は、
  知っていましたが、自分の立場と関係があるとは、
  それまで考えてみたこともなかったのです。
  苦笑いをしながら、わからないです、
  と答えるのが精一杯で、おじいさんから
  『だから日本人は幼稚なんだ』と言われました。
  それが恥ずかしく、明治維新、日本のこと、
  中国、台湾のこと、
  遅まきながら勉強をしました。
  日本の歴史が大きく変わった
  明治維新があったから戦争があり、
  復興した日本に憧れをもった両親が
  日本に来て、私が生まれる。
  そうやって、時間は紡がれていて、
  みんな大きな川の流れの一部なんだな、
  と思うようになりました。
  明治維新がいいとか悪いとかは別にして、
  川の流れに逆らうことは
  できないんだなどと考え出してからは、
  日本人とか中国人とか、
  あんまり、こだわりがなくなりました。
  自分が、日本に住んでいることにも、
  違和感がなくなりました」



ずいぶん、ながめの紹介になりました。
場所のお話は、次回に、つづけますね。

あなたや、あなたのまわりの「場所」のお話も、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「場所」として、ぜひ、お送りくださいませ。

感想や、あなたの経験談などを、
メールの表題に「神話」と記して、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2005-03-28-MON


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