その3 オヤジと穴の開いた包丁
  何年かまえのある売り場で、僕が休憩に行ってて、
代わりの者が留守番で立ってたんです。
 
  はい。
なんかもうおもしろそう。
 
  (笑)。
そうしたらあるオヤジが来てね、
「あいつが売っているものを
 いままで俺は5個も6個も買った。
 頼む、ひとつでいいから
 俺にでもできることを教えろ!」って。
 
  ほら、おもしろかった(笑)。  
  「家ではもう買ってくるなって
 言われてるんだ」って。
 
  何度も何度も通っている人なんですね、それは。  
  長いあいだやってますとね、
そういう人も中には出てきますよ。
デパートなんかで見ているうちに
欲しくなっちゃうんでしょうね。
 
  あぁ、わかるなぁ、そのオヤジの気持ち。  
  わかりますか(笑)。
女性のお客さんなんかは見ているうちに
「あ、こうやれば家で使えるな」っていう
実用のイメージができて、購買につながるんですが、
男性の場合はそうじゃないんです。
 
  あ、またおもしろそうだ。  
  これを買って帰って女房の前でやってみせたら、
うまいこといくんじゃないかと。
 
  わははは。  
  見ているうちに
「あのオヤジにできるんだったら俺にもできる」
と思って買うんだけれど、
家に帰ってやってみたらまったくうまくできない。
挙げ句の果てには
「なんでこんなもの買ってきたんだ」って
女房に言われちゃうわけです。
 
  いやぁ、いい話だなぁ。  
  野菜を切る道具だとか、
穴のいっぱい開いた包丁などを
買っていただいたわけなんです(笑)。
 
  穴のいっぱい開いた包丁ね。  
  でも、最近の包丁は穴なんか開いてませんよ。
それこそ、今の包丁を売るときなんかは
「何であんな穴、開いてるんだ」とか
「穴が開いていればいいってなもんじゃない」って
言いながら売ってますから。
 
  えー、そうなんだ。  
  絶えずトマト切ったり、
「サンドイッチでもヨンドイッチでも」って
言いながらパン切ったりしているわけです。
長いあいだこの業界でそういうものを
売ってますから、
それが実演販売の根底にある
エキスみたいになってるんですね。
 
  なるほど。
古典落語をやってるみたいなもんですね。
 
  そうですね。
同じことの繰り返しを何十年もやってますから。
僕も新しいことをやるのは
嫌いじゃないので
レパートリーは広くと思ってるんです。
でも、僕らの場合は
ひとつの品物で何十年も続けられるっていうのが
いちばん効率がいいんです。
それこそ、ひとつの商品を40年やって
引退したっていう人のがいるくらいですから。
 
  へー。  
  そう考えると、この手帳はずっと売れるんだから
こんなに効率のいい商品はないわけです。
でも、実際に実演販売で
この手帳を売るとなると話は別。
だいたい、この手帳3500円くらいですよね?
 
  そうですね。  
  手帳の売り場に変なオヤジがいて
「おい、ちょっと見ていけ」と。
それで本当に罪もない、
ただ通りすがったお客さんから
3500円で買っていただくというのは
やっぱりね、なかなかたいへんなんですよ。
 
  そう、
そういう話が聞きたいんですよ(笑)。
 
  (笑)。  
  僕らって仲間内の商売を
している気がしてるんです。
毎日「ほぼ日」を読みに来てくれる人が
その友だちに勧めてくれたり、
さらにその友だちがっていう感じで
「いい」と思えるドームの中に
僕らもお客さんもみんなでいる、
みたいな部分があるんですね。
 
  うんうん。  
  そういうドームの中で仕事をしていくのが
ある意味いちばんラクなんです。
でも、そのラクな状態のまま続けていくと
知らないうちにお客さんとの関係も
その商品自体も微妙なものになってしまうんです。
さきほどおっしゃった
「3500円で買っていただくのは難しい」という
言葉を考えると、
商品が売れている状況であるときに僕らは
「その難しいことがなんでできているのか?」
ということを考える必要があったんですね。
 
  なるほど、わかります。  
  あ、でも、そんなに深く考えないでくださいね。
実演販売のときに話すことはマーフィーさんの
やりたいようにやっていただければいいんです。
なんでもいいんですよ。
「なんて売るのが難しい商品を
 引き受けちゃったんだろう」っていう話を
延々されてもいいですし、
いざとなったら野菜出して
「野菜も切れます」でもいいです。
 
  (笑)。  
(続きます)
2008-12-15-MON

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