80's
80代からのインターネット入門。
前橋の母Aが、Eメールで原稿を
送ってくるまでの物語。

第21章 冬のきざし日記(3)

バス停で20分待つ。
そういう時って、なにを思ったりしているんだろうなぁ。
冬の前橋は、空っ風が吹いて、寒いんですよう。

ぼくの子供時代なんか、もっと風が強くて(ほんと)、
北に向かって自転車こぐおばちゃんなんかは、
自転車を降りて押し歩きしていたもんなぁ。


11月20日(土)気温18c--湿度55%

朝9時のバスで出かける筈が家を出るとすぐ
「国道」を南に横切るのが見えた。
仕方なく次のを待って20分も立っていた。
「大正琴」の演奏会のお誘いで出かけた。
(3年程前にカリブ海クル-ズの時,食事のテ-ブルで,
始めて御会いして隣の席なので「どちらから?」と
訪ねたところ『高崎です』と
答えられああら---私は『前橋です』と
なって・・・・・から御夫婦でのお付合いとなり
奥様が「大正琴」の先生をして居て
ベテランなので「コンサ-ト」のお誘いでした。
私は「昔」お琴や三味線等習つたので
越後獅子等の演奏になると娘時代に
(60何年前)戻つた様な気がして
「日本髪姿の頃が」思い出された。


11月21日PM3・30気温19c--54

11月24日(水)PM3・30気温17c--湿度60%
小雨模様の暗い日だった。
シクラメンが大きな花を4つも付け葉の緑に赤が映えて
素敵になったので「玄関」の下駄箱の上に昇格した。
さぞ喜んでいるでしょう。
『ほぼ日』を見たら又「編集長」の「思い付き」の
面白さに思わず笑ったが,考えて見ると「徳川埋蔵金」の
番組はずいぶん永く全国的に見ていた番組の様で
「赤城」への思い出は数多い事でしょうから・・・。
あの頃現地の協力者には「兄弟」
の様な親しみが湧くでしょう!!
2世紀を跨いでのチャンスに良い所を選んだな--と
思いました。
楽しく2000年を迎えて下さい。頑張れ!!!!!


11月25日(木)PM3・30気温20c--湿度61%

本当に暖かい日でした。例のお仕事の日
初美さんのお母さんと「意気統合」して「若者なし」の
楽しいお話(ほとんど回想録)で満足している。
「銃後を守った女性」だから何でも「今なんか良いわね-」
となるが,そのあと「でも素朴に暮らしていた頃」
「お酉さま」の縁日や,1月9日の「だるま市」等
ちょっとお洒落して出かけたりした頃は楽しかったわね--。

今の子は1年中満ち足りているから何しても
感激が無いのでしょうね-と・・・
自分に言い聞かせる様に「古き良き時代を」偲んでいる。

久し振りに「パテオ」にテ-ブルを
2つ並べて雪江さんが作って来てくれたカレ-ライスと
「白菜漬け」に初美先生のス-プやサラダ
そこに紀子先生が初美さんのお母さんにと
「花いんげん」の「煮豆」と昆布の煮たのなど並べ
「小春日和」を外で満喫した。
そのあと若者は鉢植えの花の植え替え等していた。
もうすぐ「師走」とは思えぬ光景だった。


そうですかぁ、
赤城山での「2000年またぎ」はいい考えですか。
ほめられちゃったぜ。

・・・それが、出りゃもっといいんですけどねぇ。
出ねぇかなぁ。夜中のテレビのプログラム、
大変更さっせてやりたいもんだなぁ。

(さらに、日記はつづくのであった)

1999-12-23-THU

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