MORIKAWA

森川くん、人工知能の本をここで再編集。

<総括#2>

「マッチ箱の脳」からの転載はこれが最後です。
前回のその他の章の第二回目です。
人工知能は、今
「知能とはそもそもなんなの?」
「認識ってなに?」
「行動と思考どちらが優先すべき?」
などという哲学的命題について、
さかんに議論されています。
今回は、そのあたりの
人工知能に対する「考え方」みたいなものの中から、
おもしろいなぁと思ったテーマを紹介しています。

以下、「マッチ箱の脳」の「ニューラルネットワーク」より抜粋

●考えることと動くこと

我々の知能、つまり「考える」知能側にとっても、
新たな提案があります。
それは、「動くこと」と「考えること」を
一緒に考えるべきじゃないか、という考え方です。
今までの考え方ですと、
知能つまり「考える」ことに対して「動くこと」は、
あまり関係ないんじゃないか、
脳だけが考えることに関係しているんじゃないかという
イメージです。
しかし、どうやらそれは違うんじゃないかというのです。

まず、「考え」があって、
その後にその「考え」を遂行するために
「行動」があるというのではなく、
まず「行動」しようとする。

そのとき、初めて外界、つまり環境が見えてくる。
そして、見えてきた外界に対して「行動」をすると、
外界からのリアクションが発生する。
またさらに外界のリアクションに対して対処しようとする。

この一連の動き、
「行動しようとする意思が生まれること」から、
「外界に対して対処しようとすること」までが、
知能、認知なんじゃないかという考え方です。

このように、考えることと、
動くことというのは、
密接に絡み合っているという考え方は、
相当正しい気がします。

知人で
「最近のコンピュータ関連の若いやつは、
 コンピュータの中になんでもあると勘違いしている」
と指摘する人がいます。
年寄りのやっかみを差し引いても、
十分に説得力があると思います。

このことは、Knowing How(やり方)と
Knowing That(知識)の違いであると
言えるかもしれません。
我々は、ここのところ、
Knowing That(知識)ばかりを重視してきましたが、
動くことを必要とする
Knowing How(やり方)を加えた方が
知能なのかもしれません。

●「予期せぬエラーのため
  アプリケーションは終了しました」


このメッセージはMacOSのエラーダイアログの1つです。

「予期せぬエラー」とは、
プログラムを組んだ人が
夢にも思わなかったエラーということですから、
当然、そのような予想外のエラーに対する
対処案など組み込まれているわけがありません。

それゆえ、プログラムがクラッシュして、
アプリケーションが終了してしまいます。

こうした事態を、そのプログラマーのタイマンだとか、
力不足、不注意だとか言うのは酷です。

その道に通じていればいるほど、
常識的な使い方というものが、
身に付いてしまっているので、
なかなか初心者がやらかすような、
とんでもないミスまで思い付かないモンです。

だいたい、誰だって、どの分野だって、
すべての起こり得る事態を予想するなんて、
できないに違いありません。

「マウスを動かしてください」と言われて、
どっこいしょってマウスを持ち上げてパッドから
どかすなんてこと、
コンピュータの操作に慣れきっている人には
なかなか想像できないことです。
が、一方では、こういう失敗を
笑えない身に覚えのある人(ボクを含む)も多いはずです。

人は簡単なことを、間違えたり、
気づかなかったりすることがある。
また、人はすべての状況を予測することなんかできない。

この誰でも納得してくれるような当たり前の事実が、
几帳面なコンピュータには厄介な問題となるようです。

例えば、コンピュータに対して
「テーブルの上のコップに水を注ぐ」
という命令をするとします。

これを実行させるためには原理的に言うと、
このとき、コンピュータには、
周りの状況として起こり得る
あらゆる状況を
教え込んでおかなくてはいけないことになります。

コップが横を向いていたらどうする。
端の方にあったらどうする。
ほこりよけにふきんなんかかけられてるかもしれないし、
同じコップが何個もあるかもしれない。
ご丁寧に相手がコップを持ち上げて、
待っててくれたりするかもしれないし、
その手が震えているかもしれないし、
不幸にも、注いでいる最中に
お亡くなりになるかもしれない。
まさに予期せぬ出来事がいっぱいです。

そんな中で、起こり得る場合を全部想定して、
それに対する対処法を考えるなんて
頭が爆発してしまいますね。
仮に、起こり得る場合を全部想定できて、
しかもコンピュータに教え込めたとしても、
コンピュータは、今、
目の前で起こっていることが教えられた
膨大なサンプルのうちどれにあたるかなどの
計算をしなくてはいけませんから、
水を注ぎ出すまでに膨大な計算時間を
必要としてしまいます。

大げさすぎるように聞こえるかもしれませんが、
こういった問題は「フレーム問題」と言われていて、
今なお深刻な問題であります。

学者の中には、ゆえに現在のコンピュータというか、
それを使ったAIには限界があると指摘する人さえいます。

これに対して我々人間はいったい、
どう対処しているんでしょうか?

どうも、「フレーム問題」は人間にも
起こっているともいわれています。
ときとして、
あまりにいっぱい考えなくてはいけないことが
同時に発生したりすると
「頭がまっしろ」になりますよね。
ああいうときのことをいうんでしょうか。

もちろん、たかがテーブルの上のコップに水を注ぐときに、
固まってしまうなんて人はいないはずです。

このときどうも我々は、
状況を間引く、
はしょる、
忘れる
ということで単純化しているようです。
忘れる、(意識の上で)気づかないなんていうと、
悪いこと、ダメなことと思いがちですが、
こうしたことも大事な能力の一つのようですね。


●ネットワークについて思うこと
我々の脳細胞1個1個は、非常に簡単な働きしかしません。
脳細胞の一つ一つは、
いくつかの脳細胞から電気信号を受け取って、
それがある量以上だと興奮して、
次の細胞に電気信号を送り出す。
ある量以下だと興奮しないでそのままという、
簡単な働きしかしていません。

にもかかわらず、これらがネットワークを組むと、
とたんに複雑な思考や感情、
記憶などができるにようなるのですから不思議です。

一方、昆虫1匹1匹について見てみると、
1匹ができる行動というのはごくごく限られています。
ですが、アリやハチの集団(ネットワーク)を見ていると、
我々の社会を彷彿とさせるような
複雑で秩序ある行動を取っています。これまた不思議です。

このような、それぞれのパーツは単純な構造だったり、
機能だったりするのに、
集団(ネットワーク)となると
複雑な働きができるようになる。
ここらあたりに、
「何かがある」という気がしてなりません。

人工知能の研究では、「群知能」という研究があります。
高度な能力を持つエージェント
(コンピュータ上のAIだったり、
 ロボットだったりしますが)
1体が働くよりは、
単純な機能のエージェントがたくさんで協調して
作業する方が、
「いい仕事をする」んじゃないかというのが
テーマの一つです。

「同じモノが、たくさん、広い範囲に、
 同時にあり、互いにコミュニケーションを持つ」
という意味では、
インターネットの世界も
まさに同じ仕組みじゃないかという気がしてきます。
脳における脳細胞は、
インターネットにつながった
各コンピュータのように見えてきます。

AIというのは、研究室での
専用の並列コンピュータを除いては、
単体のコンピュータ内のソフトウェアであることが
普通です。

しかしこの先、インターネットにつながった
AIというような仕組みも生まれてくるかもしれません。
最近「AI将棋よりIT将棋」という見出しを
新聞で見ました。
これは、将棋をうまくさせるAIを搭載するよりも、
インターネット上のパソコンが協力して、
過去のすべての戦略データを洗い出して、
最も効果的な手を選ぶといった方法の方が、
将棋が強くなるのではないかといった話題でした。
これなんかも、そうした予感を感じさせる話題だなぁと
思った記憶があります。

一つ一つのAIの機能は単純なのに、
ネットワークでつながっているAIの集合体、
マザーAIとでもいうような<群AI>は、
すべてのAI機能を単純に足した以上の
能力を発揮することができるかもしれません。

そうなれば、現在の単体のAIが
3歳児にも劣る能力しか持っていなくても、
問題ないかもしれません。

●SETIサイト
実は、こうした考え方になんとなく雰囲気が近いなぁ
と思うような試みが、
すでにインターネット上に存在します。

その一つは、SETIのサイトです。
SETI
(Search for Extraterrestrial Intelligence)とは、
地球外知的生命体を探そうとするプロジェクトです。

具体的にどうやって地球外知的生命体を探すかというと、
それなりの文明を持った生命体なら、
自分たちの星から他の(彼らから見た)
知的生命体に向けて電波を発射しているだろうという
前提の下、地球に届くおびただしい電波の中から、
そういう「意味ありげ」な電波を探そうというものです。

しかし、地球には四六時中、
あらゆる方向からあらゆる周波数の電波が届きます。

この電波を「意味ありげ」か、
そうでないか識別していくわけです
(といっても具体的に
 どんな判別の仕方をしているかは知りません)
が、降り注ぐ電波の量と、
識別処理の時間にはとんでもない開きがあります。

一つのプロジェクトが
抱えるコンピュータだけでは処理できるわけがありません。

そこで、インターネットを通じて、
こういう呼びかけがあったのです。

「皆さんのパソコンを、
 あなたが仕事をしていない時間、
 ちょっと貸してくれませんか?」

もちろん実際のパソコンを持っていって
貸すわけにはいきません。
ですから、具体的には次のような貸し方をします。

SETIが提供するデータを解析するための
アプリケーションと、
識別処理をしてほしい電波のデータ1セットを
インターネットからダウンロードします。

このデータを解析するためのアプリケーションは、
パソコンがある一定時間働いていないと、
あたかもスクリーンセーバーのように自動的に立ち上がり、
担当の電波の解析を始めます。
この作業は、パソコンの持ち主が仕事を始めると、
「きりのいいところまで」なんてわがままを言わないで、
すっと終了します。

担当分の、電波のセットの解析が終わると、
「すみませんが、データの解析が終わったので、
 SETIにつないでもらえます?」
と言ってきます。

SETIのサイトに接続すると、
解析し終わったデータを送り返して、
次の担当分の電波のセットを受け取ります。
以上を繰り返します。

ちなみに、まだ地球外知的生命体が
見つかったという知らせは聞いておりませんが、
これは、限られた台数でコツコツチェックしていくより、
はるかに早く
「意味ありげ」な電波を見つけることができそうです
(もしそんな電波があるのなら)。

実はこうした試みは、それより前にもありました。

ある企業が「うちの暗号解けるもんなら解いてみな」
と言ったのに対して、
じゃあ解いてやろうと立ち上がったプロジェクトです。

だいたいの暗号の場合、
<解けない>という根拠は
「すべてのあり得る組み合わせをいちいち検証していったら、
 いくら時間があっても足りないから解けないでしょう」
ということが多いようです。

しかし、この企業「いくら時間があっても」ということを、
常識的な台数のコンピュータを使って調べることと
見積もっていたようです。

これに対して、インターネットにつながっている
とんでもない台数のコンピュータの力を
総動員して解いてしまおうという企てがあったのです。

確かに、例えば10億通りの組み合わせがあったとして、
1台のコンピュータが
1日10の組み合わせについて検証できるとすれば、
1台のコンピュータでは1億日かかるわけですが、
1000万台のコンピュータが分担して行えば
10日で終わることになります。

これは今では非常に単純な話ですが、
インターネットが存在する以前は、
全く現実的でない理屈でした。

1000万台とか、5000万台とかいった数の
コンピュータが「つながっている」なんてイメージは、
暗号を制作した企業じゃなくても、
持てなかったことでしょう。

方法は、SETIの場合と同じです。
組み合わせのある部分を
それぞれのコンピュータが担当して、処理する。
処理し終わったらホストにデータを返す。
それを繰り返します。
この場合は、空いている時間というより、
持ち主が使っている間でも
バックグラウンドで働いていたようです。

結果はどうだったかというと、分散処理された結果、
あり得る組み合わせの半分近くまでやったところで
暗号を解くカギが解読されてしまったのです。

しかも、理論的に解かれたわけではなく、
一つ一つの場合をシラミつぶしに処理していくという、
最も原始的な方法によって。


●AIが、役に立てること
上のSETIの計画でも、電波のパターンが本当に
「意味あるモノ」かそうでないか、
その識別方法という部分には、
開発者以外は手を付けられません。
与えられた方法で判断するだけです。

しかも、見つけ出そうとしている電波は、
なんせ地球外知的生命体からの電波です。
そのパターンは、
それは確かに宇宙人が思う規則性はあるでしょうが、
ひょっとしたら我々が想像もしなかった
パターンかもしれません。

そういう想像もできない対象を、
我々の常識で作った一つの識別方法だけで
判断するのはどうかという気もします
(映画『コンタクト』で、
 それっぽいやりとりの場面がありますね)。
ここは、ひとつ、解析方法自体をGPなどで生み出して、
それぞれが独自の識別方法で解析する。
そうした分担作業も面白そうです。

解析方法を担当するコンピュータグループと、
そこで開発された解析方法を利用して、
実際にデータの解析を行うコンピュータグループ、
それらをマネージメントするコンピュータグループ、
そういう役割分担をするのもいいかもしれません。

●最後に……
さて、ぼくがAIやその周辺について考えたり、
感じたりしていることはだいたいこんなところです。

今は冬の時代といわれるAIの世界ですが、
次の世紀我々が、あるいはそれに続く世代が、
知能とはどういうことを意味するのか、
どういう仕組みになっているのか、
そういうことを解明できれば、
「いよいよ本番!!」となるのではないでしょうか。

また、ことエンターテインメントの世界に限れば、
現在のAIのレベルでも十分に利用できるかと思います。

人の命を預かる現場では、
安全性が99%の後に9が6つも8つも付かないと
ダメだといわれますが、
エンターテインメントの世界では、
「間違えるのも味のうち」
なんてことで通りますから気が楽です。

2001-08-06-MON

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