MOOMIN LOVE
重松清×『ダ・ヴィンチ』横里隆+「ほぼ日」武井 おじさん3人、ムーミンを語る。

第9回 まだ続く、ものがたり。

  久保 ニョロニョロって
水平線を求めて常に旅をしてるんですよね。
でも自分が進めば水平線は必ず先にゆく。
   
     
  重松 哲学的だよね。
   
  武井 うわー。
   
005
▲第5話「ニョロニョロの秘密」
  久保 だからムーミンは
ニョロニョロって変なやつだと言うんだけれど、
「逆に、彼らからしてみたら
 僕らの方が変わった生き物かもしれないんだよ」
ってスナフキンが言うシーンがあるんです。
そこは崖、下が海、
水平線の方にニョロニョロが船で移動している。
それを見ながらムーミンに
その話をしてあげるんです。
それがまたとっても、いいシーンなんです。
   
  横里 いいですねー。
   
  重松 うん。
あのさ、夏至や冬至って、日本ではあんまり、
大事にしてないじゃない。
けどフィンランドではその意味合いが
おっきいんだろうね。
   
  武井 きっと、そうですね。
夏至が終わっちゃうと、もう、
日に日に日が短くなるわけで、
そして冬至が終わると日に日に長くなるわけで。
その喜びたるや、悲しみたるや。
 
その喜びたるや、悲しみたるや、
暮らせば暮らすほどがんじがらめですよ。
もう少し歳をとるとすべてがしみじみと
「いいねえ」となるみたいですが。
夏は眠らないで
飛ばしちゃうくらいハイだし、
冬は太陽がでなくって眠いし憂鬱だし。
  重松 だから太陽との関係って
すごくおっきいんだろうね。
ムーミンの世界観においてはさ。
 
  武井 夏は夏で、ふしーぎな、
ぼんやりした夜の明かりの世界があって、
そんな光で湖とか木を見ると
ほんとに美しいですよね。
 
     
  久保 波が立ってないから、鏡のような水面で、
雲がほんとにきれいに映ったりするんですよね。
   
多いです。
なのに日本ほどの対策グッズがない!
もうこれは仕方のないことと
考えられているのでしょうか。
田舎に暮らすおじいさんなんかだと
涼しい顔をしながら
白樺の枝を手にささっと払う
程度だったりしてね。
ラップランドなど
蚊が度を越してひどいところでは、
顔を覆うネット付き帽子が必需品です。
  武井 でも湖は蚊が多くて。
   
  重松 そうだ、蚊が多いね!
蚊はすごいよ、ほんとに。
 

 

  武井 ジーンズなんか刺しちゃうから、
もう1枚上から着ないと。
   
  横里 何で蚊が多いんだろう?
   
  武井 基本的に国土の多くが湖と川と平地で、
夏が短いから‥‥。
   
  重松 短い時間に、ばーっと
子孫を作んなきゃいけないから。
   
  武井 生命力が半端じゃないんですね。
 
フィンランドの蚊に刺されると
跡がなかなかとれないとか
おっしゃる方もいます。
でもフィンランドの蚊って
生命力が強そうなわりに
妙にスローじゃないですか?
だから手でパチンとやろうと思えば
けっこう余裕でできちゃう。
  重松 一気にくる。植物もそうだけども。
 
  横里 ああ、じゃ、そういうのが、
ニョロニョロの集団のもとかも?
 
   
  重松 そうそう、一気にぶわーっていう感じ?
   
  武井 そうかもしれないですね!
   
  重松 それと、あんまり山がないんだよね。
フィンランドって。
   
  武井 そういえば、ないですね。
   
  重松 だからほんとに雲が低いところから沸いてくる。
すごいよね、あの空の雰囲気は。
   
  横里 山がないんだ。
でも何で山がないのに「おさびし山」が?
   
  武井 ほんとだ。ここは、
森下さーん、お願いします。
おさびし山は山だけど、
あんなふうな山ってあるんですか。
 
サンタクロースが暮らしていて
世界中の子供たちの願いを聞く
「耳の山(コルヴァトゥントゥリ)」
があるんですよ。
おさびし山もある!
他の人にとっては幻でも、
科学が嘲笑っても、
自分が確かに感じたらそれは
「ある」ってことなんだってこと、
トーベ・ヤンソンはムーミンの中で
語っているように思います。
挿絵の地図をみると
おさびし山はノルウェーの山に近いのかしら
なんて思います。
トーベの叔父さんがフィヨルドを
セーリングした話を聞いたことがあります。
おさびし山のような山の姿は
そうして知ったのかもしれませんね。
あくまでも推測にすぎませんが。


  重松 たださ、ほんとによく、
これだけのキャラクターを作ったよね。
 
  横里 ほんとですよね。
 
  武井 すごいですよね。
それぞれがちゃんと成立してる。
 
  重松 そう。ちゃーんとさ、ひとりひとりの、
ネガティブなものもあるんだよね。
それがすごいんだよな。
人数合わせじゃない。
 
  武井 タンペレという町に
ムーミン谷博物館ていうのがあるんです。
トーベ・ヤンソンが全てを寄贈して、
市の図書館に併設してつくったのかな、
そこに原画がたくさん展示してあるんですが、
パートナーのトゥーリッキさんとつくった
ムーミンのジオラマがいっぱいあるんですよ。
で、それはどうやらぼくらの知らない、
小説やマンガのムーミンの世界には
出てこないお話らしきものがいっぱいあって。
 
  横里 へえー!
   
  武井 もしかしてもっともっと彼女の中には‥‥
   
  重松 まだ、物語が、あったんだ。
あったんだね。
   
あの作品はトゥーリッキ・ピエティラに
よるものなのです。
トーベはどちらかというと、
お手伝いしたり、
ときおり仲間に加わったという感じ。
トゥーリッキ・ピエティラが
ムーミンたちに耳を傾けたときに
聞こえてきたお話や
彼らの日常を
トゥーリッキなりに作品にした。
私、実はそんな風に思って
トゥーリッキに
伝えたことがあるんです。
とても喜んでくださって、そして
「あと5年早く連絡くれれば
私はあなたに全てを話した。
どうして作ろうと思ったか、
どうやって作っていたか‥‥」
ってお返事をくださったんです。
そしてトゥーリッキは
間もなくして他界しました。
だからこの解釈で間違ってないみたい。
トーベ・ヤンソンの中では
ムーミンはあそこで
あれでもう自分が表現するものでは
なかったんでしょうね。
もちろんムーミンの世界は本人の心に
ずっとあったのかな‥‥
そこは確かではないです。
ムーミンって一作品というより、
芸術のジャンルとして
考えていいのかもしれませんね。
ムーミンはムーミンとして
いろんな形で変化しながら
生き続けるみたいな。
  武井 そう思うとね、なんだか切なくなります。
見ていると、どうも決まり事がなくて、
ムーミン屋敷のようすも
ちょっと違ったりとかする。
たぶんどれが正解ということではなくて、
これが完成版ですよというものもなくて、
きっとムーミンの世界は
トーベ・ヤンソンのなかで
永遠につづいているのかなあなんて。
 

 

     
  重松 うん、うん、うんうん。
   
  久保 実はこれは森下さんに伺ったのですが、
トーベさんが、ご存命でいらっしゃったとき、
ムーミンが人気になってグッズを作りましょう、
となったときに、
こんなふうにおっしゃったんだそうです。
「おもちゃとして作るっていうのも
 もちろんいいんだけれども、
 完成させないでほしい。
 何か子どもが手を加えて遊びになるようなもに
 してくださいね」と。
ね、森下さん!
 
そう、必ず工夫できるものをって。
おまけにムーミングッズって、
最初は家内制手工業のように、
会社をおこしたメンバーで
ミシンでぬいぐるみ
縫ったりもしてたんですよ。
いまそのぬいぐるみをみると、
「え、フリーハンドで布切ってる?」
くらいにのびのびしてます。
  横里 へえー!
 
  重松 うーん! いいね。  


2012-01-05-THU

まえへ
このコンテンツのトップへ
まえへ


ツイートする
感想をおくる
ほぼ日ホームへ