モノポリーエッセイ

第3回

【日本選手権決勝大会の決勝テーブル】

――1回戦2位、2回戦1位の成績で、
  予選は総合3位の成績で、
  5人で行われる決勝テーブルに進出されたわけですね。
  それでは、いよいよ日本選手権の
  決勝テーブルのお話をうかがいます。
  まず、メンバーはどういったかただったのですか?

岡田
大阪からいらした長崎則久さん、
同じく大阪モノポリークラブ(※21)の
前年日本チャンピオンの宮野徹さん、
私が1回戦であたった長倉一正さん、
横浜モノポリークラブや
ベイサイドモノポリークラブで活躍されている
山本昌穂さん、
そして私、というメンバーでした。

※21 大阪モノポリークラブ
    大阪で勢力的に活動しているモノポリーサークル。
    OMCと通称される。

――岡田さんにとっては、よくご存知の相手とか、
  1回戦であたったかたとかで、
  やりやすい相手だったんじゃないですか。

岡田
そうかもしれませんね。
確かに知っている人が相手だと、
「どんな相手かわからない」よりは
ずっとやりやすいですね。

――それで、ゲーム展開はどうだったんですか?

岡田
最近の日本選手権の決勝テーブルでは、
ダークパープル(※22)の動向が
キーポイントになることが多いみたいなんですが、
今回もそうでした。
まず、宮野さんがダークパープルを
自力(※23)したんです。

※22 ダークパープル
   モノポリーのカラーグループの中で、最も安い土地。
   安い土地なので、
   経営に必要な資金も少なくて済むが、
   それなりの利益しか得られない。
   2枚の権利書でカラーグループが揃うので、
   比較的序盤から揃えやすいが、
   収入を得られる土地が2ヶ所しかない上、
   「刑務所へ止まれ」のマスの後にあるので
   通行量も少なく、
   この土地だけで勝てるようなことはほぼない。

※23 自力
   自分の持っている権利書の最後の権利書のマスに、
   自分が止まって、
   そのグループの権利書を揃えてしまうこと。
   そのグループが揃うような権利書は
   他人から交渉で手に入れるには、
   それなりに高い代償が必要になるが、
   自力だと定価で買えるので、
   通常はかなり有利になる。

岡田
それで、ダークパープルを自力で揃えた宮野さんは、
ダークパープルを自分で経営しないで、
他の人に売る交渉を持ちかけてきたんです。
結果的には、私と長崎さんが、
そのダークパープルを欲しがって、
価格が競りあがるみたいになりまして、
結局私が、レッドの権利書1枚と$400くらいで
ダークパープル2枚をもらうことになったのですが、
その値段は私の当初の予定より、
$100くらい高かったですね。

――あまり、有利な感じでもないですね(笑)。

岡田
しかも、何周かダークパープルには
お客が来なかったんですよ。
まあ、でもその間に私も何枚か権利書を買えまして、
その中にグリーンが1枚あったんですが、
そのグリーンを山本さんにお渡しして、
経営してもらったんです。

山本さんにはグリーンの権利書にこちらから現金を付けて、
ライトブルーの権利書をもらいました。
山本さんにはグリーンのセットと
$1200くらいの現金が残るくらいの
感じだったと思います。

山本さんからもらったライトブルーを
宮野さんに経営してもらい、
次に長崎さんには、私が4枚の鉄道をもらう代わりに
ダークブルー(※24)を経営してもらいました。
長崎さんも現金が$1200くらいあったと思います。

そして、長倉さんには鉄道を4枚渡すかわりに、
イエローの権利書にお金をつけてもらいました。
私は最終的にイエローに
現金が$900残るくらいだったでしょうか。
最後の長倉さんとの交渉は、
長倉さんをのぞく全員が家を十分建設する中で、
長倉さんが家を建設せず鉄道4枚になるという、
長倉さんにとってやや難しい条件でしたから、
よく引きうけてくださったと思います。

※24 ダークブルー
   モノポリーの土地の中で
   最も定価が高いカラーグループ。
   土地が2ヶ所しかないため、
   確率的には不安定ながら、
   レンタル料が最も高いので、
   しばしば大逆転の立役者となる
   カラーグループでもある。

――1ゲーム目で、岡田さんから
  譲ってもらったグリーンのおかげで
  長倉さんが勝利した、
  というようなことも影響したんじゃないですか?

岡田
そういうこともあるのかもしれませんね。

――それで、5人がそれぞれの色を揃えて、
  叩き合いになったのですね。

岡田
はい、私がイエローを揃えた時点では、
必ずしも有利ではなかったと思いますが、
その後のサイコロ運が非常に良かったですね。
大きな支払いもないうちに、
順調にイエローでレンタル料を稼いで、
勝つことができました。

――そのお話を聞くと、交渉の手数の多さが、
  最終的な勝利につながっているような
  印象を受けますね。

岡田
そうかもしれませんね。


【2000年世界選手権日本代表決定戦】

――さてそれで、日本チャンピオンになられて、
  さっそく翌日に世界選手権大会の日本代表を決める
  代表決定戦があったのでしたね。

岡田
そうですね。
メンバーが、1996年の日本チャンピオンの
野中俊一郎さん、
1997年の日本チャンピオンの田中瑞穂さん、
1998年の日本チャンピオンの千葉篤史さん、
1999年の日本チャンピオンの宮野徹さん、
そして、私、の5人でした。

――何か作戦とかは考えていらっしゃいましたか?

岡田
特になかったですね。
よくいえば自然体で、気負いもなかったですね。
なにしろチャンピオンになった翌日で
「心の準備」もありませんし、
実は日本選手権決勝大会の夜に、
「後夜祭」と称して決勝大会に参加された人を中心に、
大久保のホテルを用意して、遊び倒す準備をしていまして、
そちらの会場から代表決定戦に
駆けつけたような次第でした。

――そういえば、代表決定戦の日は、
  岡田さんは遅刻寸前にいらしたのでしたね。
  「宮本武蔵作戦か!?」なんて
  会場ではささやかれていましたが。

岡田
当日は、ホテルで9時すぎまで、
シドニーオリンピックの女子マラソンを見ていて、
高橋尚子さんが独走するのを見てから出たので、
遅刻しそうになった、
という何とも申し訳ない次第でした(苦笑)。

――私も女子マラソン(※25)が見れないかと
  やきもきしてました。
  余裕がありますねえ(苦笑)。

※25 女子マラソン…
    インタビュアーの百田郁夫さんは、
    この代表決定戦の審判長を務めていらしたので、
    シドニーオリンピックの女子マラソンを
    自宅観戦できなかったのです。

――それはともかく代表決定戦は、
  同じ5人のメンバーで3回戦を行うという、
  それまでの大会と違う形式だったわけですが、
  その辺はいかがだったんですか?

岡田
特に普段と変わることは考えなかったですね。
世界で最高レベルの人たちが相手なので、
無心で向かっていくという感じでしたね。

――試合形式が先ほど申したように3回戦のポイント制で、
  3回戦のポイント合計が多い人が
  世界選手権大会の代表となる、
 (もし、3回戦で同ポイントの人がいれば、
  3回戦目の順位が上の人が上位となる)
  というシステムでした。
  言ってみれば、
  「全部勝つ必要はない」という試合なので、
  私は個人的には、1回戦の展開を注目していたんです。

(つづく)

2000-12-15-FRI

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