モノポリーエッセイ

第11回 世界大会決勝!

こんにちは。百田です。
来る11月28日(日)は、いよいよ
モノポリー日本選手権決勝大会が行なわれます。
各予選大会を勝ち抜いた精鋭とシード選手が
日本一の栄誉を目指してぶつかります。
きっと今年も好ゲームが繰り広げられるに違いありません。
1900年代最後の日本チャンピオンの栄冠は
果たしてどなたの頭上に輝くのでしょうか
(来年には今世紀最後のチャンピオンは?
 って書くに決まってるんですけどね)。

見学もオーケーだと思われますので
ご興味ある方は会場の渋谷にあります
「フォーラム8」(月例会をやっているところです)まで
足をお運びください。どぞ、よろしく。

さて、連載でお送りしております、題して
「世界チャンピオンへの道」
(こんな題じゃなかったような)。
時は1988年10月、いよいよモノポリー世界選手権
ロンドン大会決勝の日になりました。
決勝戦の行なわれる場所はパークレーンホテル。
昨晩採寸したとおりのタキシードと靴、
そしてシルクハットが届けられ気分は
いやがうえにも盛り上がります。

朝食はこの正装のまま、スタッフルームで
トーストを1枚かじったことを覚えています。
定刻の11時になりました。
決勝進出者5人は、バグパイプの奏でる音楽に乗せて
会場へ入って行きます。ここでは惜しくも
決勝に残ることのできなかった各国代表たちが、
それぞれの大きな国旗でアーチを作り
出迎えてくれました。

会場はバルコニーのある大広間に作られていました。
会場に入ってなにより驚いたのは、取材陣の数でした。
各社のTVカメラがずらっと並んでいました。
わたしにはかつて見たことも無い光景でした。
モノポリーごときの試合に、この異常な盛り上がりは
どうしたことかと思いました。
この様子をわたしは
日本でインタビューを受けたとき皮肉を込めて
「日本以外の大きな通信社・放送局は大抵取材に来ていた」
とよくいうのですが、決して誇張ではありません。
ロシアのタス通信まで取材に来ていたのですから。
日本からは、というと
プレスと偽って報道陣席に潜り込んだ亀和田さん一人です!

赤い上質の布が張られたモノポリー専用テーブルの上には、
既にモノポリーセットが用意されていました。
が、もちろん、前夜祭で披露されていた
例の宝石をちりばめた特製ではありません。
いまでも3000円で買える普及版です。
日本でなら決勝戦というと100万円くらいする
最高級なものが用意されそうですが、
この辺りは国民性の違いでしょうか。

テーブルの周りでの観戦を許されるのは報道陣のみ。
その他のギャラリーは、2階のバルコニーからの
観戦となりました。いよいよ始まります。

わたしは予選の時に好調だった「靴」を
自分の駒として選択しました。
審判は、フィリップ・オーバンズ
(「モノポリーコンパニオン」という
 英語のモノポリー本の著者です。
 この本を知っている人は
 日本に10人もいないでしょうね)。
バンカー席には、このロンドン大会の主催者でもある
ワージントンの会長が着きました
(彼は自社の「クルー」というボードゲームの
 英国チャンピオンでした。自社製品の
 チャンピオンってのも不思議ですね)。
 
ゲームはのんびりムードで始まりました。
これはプエルトリコ代表の女性や
イスラエル代表の11才の子供に負うところが
大きかったのでしょう。

……ここではカードのやり取りなどは省きますが、
もっと詳しくお知りになりたい方に、
耳寄りなお知らせがあります。
このコーナーになぜかよく登場する亀和田さんが
「快楽モノポリー講座」の続編を
12月中旬に出されることになりました。
本の名前は「快楽モノポリー倶楽部」。
1500円でTBSブリタニカからの発行です。
いまお伝えしている世界大会決勝の詳しいレポートも
載っていますよ。

……わたしはというと、まずは順調にカードを買えて
「作戦」の遂行がしやすくなりました。
「作戦」とは、最初はカードを他のプレイヤーに売却し
カラーグループを揃えさせ、こちらは潤沢な現金を持って
最後に逆転を狙う、という
名付けて「ロンドン橋フォーリンダウン作戦」です。

まず、スウェーデン代表にダークパープルを揃えさせ、
その後、ニュージーランド代表に
イエローを揃えさせました。これで、あとは確率のいい
オレンジが私に回ってくればいいのですが、
そう上手くはいきませんでした。
私が現金を沢山持っていると踏んだ交渉相手は
オレンジ1枚にとんでもない高値をつけてきました。
「1500$!」。
これではさすがに「ロンドン橋フォーリンダウン作戦」も
成り立ちません。このオファーは断ったものの、
私はあせりを感じました。

(つづく)

1999-11-24-WED

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