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おもしろ魂。
三宅恵介さん土屋敏男さんと、テレビを語る。

8. フジテレビの遺伝子

テレビバラエティの制作者たちは、
それぞれ、先輩の背中を見つめてきた。
受け継ぐ者、反面教師にする者、それぞれいるが、
いい遺伝子を、どう残してゆくのかは大きな問題だ。

今日は、フジテレビの三宅さんに、
そのへんを、語っていただく回になりました。

三宅恵介さんプロフィール
土屋敏男さんプロフィール

土屋 フジテレビの作り手たちには、
「ひょうきん族」の
DNAが生きているんじゃないかと、
はたから見ていると思うのですが、
いま、三宅さんが
若い連中とやられている中では、
そのへんの意識について、
どう感じていますか?
三宅 渡辺琢という若いディレクターがいるんですが、
彼のように気の合う若い連中と
番組を一緒に作る雰囲気はありますね。

「いま、あの人がすごくおもしろくて」
と言いあうなかで、なんか
深夜に番組を作ろうということになる……
それがおもしろくなっていく、
という流れはあるんです。
糸井 フジテレビは、深夜の枠を、
それ用にあけてある感じがするんです。
他の局にも、それ用のグラウンドは
あるんでしょうけど、ぼくには
それほど目立っては見えないんですよ。
フジテレビだけ、
思いきり遊べるグラウンドがあるんですよ。
三宅 ぼくは、日テレさんで、
萩本欽一さんと
若手のディレクターが作った
『笑いの巨人』という番組をやられたとき、
あの午前二時の枠が、
すごくうらやましかったんです。
糸井 あの番組、短かい期間だったよね?
土屋 二〇〇二年の、半年ぐらいですかね。
あの番組は、とにかく萩本さんと一緒に、
若いディレクターが「すいません!」って言って
作るだけの番組でしたけどね……(笑)。

でもその経験を
若い連中にさせたかったと言うことです。
いま三宅さんがおっしゃって、
フジテレビの後輩にも
脈々と受け継がれている
「まずはおもしろいことを」
という精神と対照的なのが、
「毎分視聴率を、コンマ1でもあげましょう」
みたいなことだと思うんです。

敢えてフジとうちとの違いを言うなら、
そこにあるのではないかなぁ、
と感じていまして。
糸井 ただ、例えば、
テレビ局は違っていても、
材料の肉や野菜は同じですよね。

タモリさんもさんまさんも、みんな
「この局には出ない」
と言っているわけではないですから。
材料が一緒だけど、
中華になったりお寿司になったり、
番組によっていろいろ変わるわけですよね。
条件は同じはずなのに、局によって、
どこかに料理の違いが出てくるところが、
おもしろいことなんだと思う。
土屋 そこは、局によって、
違いが出ないといけないですよね。
三宅 絶対に違わないといけない。
それが、秘伝の味つけだったりするので。
それを持ってないと……まずい。
糸井 さっきちょっと触れた
「大きな組織になる」
という過程がまずいのは、そこで
「誰でもできるようなことを積み重ねる」
という動きが出てしまうからですよね。
誰でもできるものを
やりはじめたとたんに
ダメになるものがあるから。
三宅 そうですよね。
糸井 広告の世界で、例えば
「招き猫が『いらっしゃいませ』
 と言っているポスターを作る」
というアイデアがあったとします。

もちろん、この話自体は、アイデアとも
言えないぐらいなんでもないものだけど、
それにしても、
誰が絵を描いて、誰が写真を撮り、
どんな猫を使うのかによって、
ものすごい差が出てきますよね。

ものすごいすばらしいものにもなれば、
つまらないものにもなりうる。
仮にピカソが猫の絵を描いてくれたら、
やっぱり、
きっとそれだけですごいんです。

だけど、そこの
「誰がやるからすごい」というところは、
企画書の数字には
なかなか出せないことなんです。
もちろん、その「誰か」に
頼りすぎてはいけないんだけど、
少なくとも、
「数字で表現できないなんらかの力」
については、尊敬すべきだと思うんです。

同じことでも、
「おまえが言うとダメだけど、
 あいつが言うといいこと」
って、あるじゃないですか。

クリエイティブって、
そういうことのかたまりなんですよね。
三宅 ええ、わかります。
糸井さんは、制作のときに、
「いくら費用がかかってもいいから、
 好きなようにやれ」
というものと、
「これしかないからやれ」
というものとでは、
どちらがやりやすいですか?
糸井 ほんとは、両方やりにくいです。
そんなことを考えないままやっているのが、
ほんとはいちばんいいんじゃないですか?
三宅 ぼくの場合は、
「いくら使ってもいい」
となると、考えられないんです。
「……もう、これしかない!」
というときに出てくるのが
知恵だと思っていまして。

昔、
「深夜で予算がない時代劇」
っていうのを、やったことがあるんです。
糸井 (笑)
三宅 出演者も若手の劇団の子。
衣装は、カツラしかつけさせないで、
「廊下を歩く足下のアップ」とか
「襖を開けるだけ」とか、
ぜんぶのシーンが
ほとんどアップだけなんです。
風呂場のシーンでは女性を裸にして、
衣装を使わないとか。
糸井 (笑)すごいなぁ。
三宅 おもしろがって作ったんですけど、
そういう考えは、
予算がないから出てきたことで。
実際は、カツラって高いから、
お金はかかったんですけど。
糸井 その番組って、タイトルは何でしたか?
三宅 『そっとテロリスト』という番組です。
岸田今日子さんが司会で、
土曜の深夜に、いろんな人を呼んで、
いろんなディレクターが好きなことをやってました。
糸井 「金がないから考える」って、
永田農法みたいなもんですね。
肥料をたっぷり与えなければ、
植物が自分の方から、
栄養を取りにいく力が出てくるというか。
「永田農法と同じようなことを、
 いま、人間に敢えてやる」ということは、
手間ヒマかかるけど、必要なんだと思います。
三宅 そうですよね。

それに、やっぱり、
テレビが優しく親切になりすぎました。
スーパーを逐一入れるとか、
写真を入れたり……。
糸井 きっと
「わかんない人は、どうするんだ?」
って言われちゃうのでやめないんだろうなぁ。
これもまた、苦情へのリスクに対する
「守り」のコストの話ですね。
三宅 うん。わかんないときに
「これって、何?」
とお母さんに聞くことで
会話が生まれるんだから、
わからなくてもいいだろうと、
ぼくは思っているんですけれど。
糸井 三宅さんのそういう考え方は、
フジの中では少数派ですか?
それとも、みんなが思っていることですか?
三宅 だんだん、
広げてはいますけど、まだ少数派です。
ただ、スーパーを入れるにしても、
今は会話の「なぞり」ばかりじゃないですか。
意味があるところをやるから
効果的であって、とは思うんです。

まぁ、ただ形だけをマネしている
制作者がいるから、
われわれがまだやっていけるのかなぁとも
感じるんですけれど。
効果の意味さえわからないまま、
ただ同じようにやることをよしとして、
そっちばかりに
時間を割くことはどうかと思います。

「その時間があるなら、違うところに使えよ!」
というような番組が、今は多いですから。
糸井 土屋さんがふだん言ってることと、
ほんとに近い話だなぁ。
土屋 そうですね。

今日の仕事論:

「大きな組織になる過程がまずいのは、
 誰でもできるようなことを積み重ねる
 という動きが出てしまうからですよね。
 誰でもできるものを
 やりはじめたとたんに
 ダメになるものがあるから。
 同じアイデアの広告があったとしても、
 誰が絵を描いて、誰が写真を撮り、
 どんな猫を使うのかによって、
 ものすごい差が出てきますよね。
 ものすごいすばらしいものにもなれば、
 つまらないものにもなりうる。
 仮にピカソが猫の絵を描いてくれたら、
 やっぱり、きっとそれだけですごいはず。
 だけど、そこの
 『誰がやるからすごい』というところは、
 企画書の数字には
 なかなか出せないことなんです。もちろん、
 その誰かに頼りすぎてはいけないんだけど、
 少なくとも、
 『数字で表現できないなんらかの力』
 については、尊敬すべきだと思うんです。
 クリエイティブって、
 『おまえが言うとダメだけど、
  あいつが言うといいこと』
 こういうことのかたまりなんですよね」
             (糸井重里)

※次回は、土屋さんが、
 現在のテレビが抱える大きな問題を、
 ほんとに真正面から語ってくれる回です。
 テレビの世界ならずとも、必見なんですよ!
 
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 今後も、シリーズ鼎談として続いてゆく連載なので、
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2004-06-24-THU

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