HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
ひと粒の麦から。
        皆川明(ミナ ペルホネン)✕糸井重里

        オリジナルのテキスタイルをつかった、ていねいな服作りで
        たくさんの人に愛されるブランド「ミナ ペルホネン」が
        今年で20周年をむかえました。
        ほぼ日手帳とのコラボも、5年目となります。
        
        20周年を記念して
        東京・青山のスパイラルホールで開催された
        展覧会「1∞ミナカケル」展では
        デザイナーの皆川明さんと糸井重里との
        トークイベントが開かれました。
        
        ほぼ日手帳が始まった「きっかけ」や
        服をつくる仕事でずっと大切にしてきた考え方など
        じっくり、自由に語り合ったふたりのトークを
        全5回でお届けします。

		第5回
		ひと粒の麦から
糸井
この展覧会場に来てみて、あらためて思うのは
「ミナ ペルホネン」がほんとうに
「ひと粒の麦」から始まったんだなって。
麦のひと粒から、20年たって
麦畑が見えたわけですよね。
あるいは花畑かもしれない。
皆川さんはこの景色を、
麦ひと粒のときに想像していましたか。
皆川
してないですね。
糸井
何を想像してたんでしょう。
皆川
こういう規模とか姿は、
景色としては見えてなかったですね。
ただ、毎回、麦を収穫して
そこからまた麦を植えてっていう、
繰り返しの人生を始めて、
終わるまで続けようということだけでした。
糸井
うん。
皆川
でも、だんだん畑が大きくなってくると、
麦でパンやパスタが作れるようになって、
そのうち、パンを売るためのお店ができて、
お客様が来てくれて‥‥というふうに
広がっていきました。
今度はパンにあんこ入れてみようか、とか
できあがったものから、次のものを思いついたり。
そんな連続だったかなと思うんですよね。
糸井
ああ。それは想像どおりでうれしいですね。
だけど、どこかから加速していったという時期も
あったんでしょうか。
皆川
最初は、たった1社の機屋さんと、
1社の染め屋さんだけとの取り引きだったんですが
少しずつ拠点が増えるにつれて
「ここで染めてもらって、あそこで刺繍をしよう」とか
「この機屋さんとあの染屋さんがくっついたら、
 あんなことができるぞ」
という感じで、可能性も広がってきました。
始めて5年目ぐらいの、
ちょうどお店ができたころから、
そういう環境ができてきて。
糸井
お店の存在は、大きいですね。
お店がないと、お客さんが入ってこないですものね。
そうか、もし作ったテキスタイルや服を
問屋に卸してるだけだったら
いまの景色は、なかったんですね。
皆川
最後の行先が見えないですよね。
お店ができたことで
お客さまがどんなよろこびだったかが、
わかるようになったっていうのは、
すごく大きかったと思いますよね。
糸井
あの‥‥宣伝とかは、した覚えはありますか。
皆川
基本的にないんですよね、宣伝‥‥。
糸井
広告を出したことは?
皆川
雑誌に取り上げていただいたことはありますが、
自分たちから広告や宣伝をっていうことは、
ないんですね。
ものを作るんだから、
お金は材料に使わなきゃと思うんです。
お客さまが満足してくれたら、
もう1回来てくれるかもしれない。
パン屋やお豆腐屋と同じだと思っています。
食べておいしかったら、また来てくれる。
誰かにおいしいと伝えてくれる。
それが、いちばんの宣伝だって。
糸井
それ、とても「お店発想」ですね。
俺の豆腐はうめえからっていう
「作り手発想」じゃなくて、
売ってる顔と買ってる顔の話をしてますね。
皆川
その分のお金があったら、材料に使いたいんです。
または、それにかかわる労働に使いたい。
使うかた、着るかたにとっての満足が、
「いいブランドだ」って広告を見て知るよりも
ずっといいだろうっていう、
すごく単純なことを思ったので。
糸井
うん。
皆川
ミナを最初に立ち上げたときも
自分は、家賃がなるべく安くて
工場にもすぐ行けるところに住もうとか、
なるべくお金を材料に使えるように、考えてました。
そうすれば、自分みたいな小さなブランドの服でも、
最善のものにはなるだろうと。
その繰り返しだったと思いますね。
糸井
まったくお豆腐屋とかパン屋の発想ですね。
皆川
そうですね。
糸井
「ミナ ペルホネン」にしても、
その「ミナ ペルホネンたち」をひとくくりにできる
ジャンルやエリアがないんですよね。
だから、一過性のブームにもなりにくいし。
宣伝しないままで、おもしろい場所を作りましたねぇ。
これ、わかっててやったんですか。
皆川
いえ。まったく。
自分でもどうしてこうなったんだろうなって
思う感じはありますね。
糸井
いやあ、いまは何でもマーケティングの時代だから、
失敗をなるべく避けるために
始める前から「俯瞰」してる人たちが
いっぱいいるじゃないですか。
それにくらべて皆川さんは、俯瞰するどころか、
ふつうに歩いてる人の目線なんですよね。
皆川
僕がミナを始めるとき、
ちょうど父親が40年務めたサラリーマンを
退職したタイミングだったんです。
それを見て、40年も同じ仕事を続けたことへの
敬意を感じたというか。
ああ、自分もこの仕事をとにかく最後までやって、
振り返るのをたのしみにしようって思ったんですね。
糸井
数字として「40年」っていうのは
あったんですか。
皆川
毎日、朝出かけて、夜帰ってきて、
家では、仕事の話をするわけでもなく、
それでも父は40年勤めて、ある日、定年になりました。
「あ、立派だな」って、思ったんですよね。
大きな成果があったとか、有名だったわけでもなく
ただただ、働いた。
それは仕事として、とっても美しいと思った。
糸井
沈黙の長い時間のなかに、
いっぱいの仕事があるわけですよね。
皆川
僕も40年まで行ったらいいなと思うし
やると思うんですけど、
次の代の人にリーダーシップを
とってもらってもいいと思っています。
振り返るのが、ひとつ、
自分の最後のたのしみですよね。
糸井
はあー。その視点はいいですね。
それは若いころから、考えてたってことですね。
皆川
そうですね。
洋服をやろうって決めたときに。
糸井
自分は洋服を作るのが好きだって思ったことと、
得意だと思ったこと、どっちかありますか。
それとも、両方ありますか。
皆川
ここ数年は好きだし、
その「好き」っていう範囲のなかでは、
けっこう自在に動けていると思いますね。
糸井
ここ数年ですか。
じゃあ、それまでは、どういうふうに?
皆川
自分に向いてるかっていうことについては、
考えないようにしていました。
「どちらかと言うと、好き」でした。
糸井
好きだけでやれないのは確かですよね。
若い人の「まだこの人、好きだけだな」っていう
不安定な状態も
おとなになるとよくわかりますよね。
あれは、どこで「好き」から「よろこばれる」に
変換されるんでしょうね。
皆川
ある程度、まわりの人が
よろこんでくれるようになったら
ある程度、溜まってきたということなんですかね。
どうでしょうね。
糸井
ポタッポタッと溜まってくんですかね。
皆川
っていう感じがしますね。
そして、あるときに
「自分が好き」を超えて、
「ああ、いいんだ、これを続けてて」っていう
タイミングがくる。
僕も、ここ数年で思えてきた気がします。
糸井
自分のやってきたことって、
知らず知らずのうちに
「できること」のなかに勘定してるんですよね。
たとえば、皆川さんが
「ちょっと急で悪いんだけど、
 テキスタイルのデザイン、
 3日で3つ、いいのを作って」
って言われたら
「なんてこと言うんだ!」と思いながらも
できると思って引き受けられますよね。
皆川
はい、そうですね。
糸井
20歳のときにはそれ、できないですよね。
「3日ですか?」とか「なんでですか?」とか
言い返したりして。
でも、「できること」のなかに
そうとう難しいことも
勘定に入れられるようになったときが
きっとあるんですよね。
皆川
ありますね。
さっき、お客さんに受付で
「こけしに絵を描いてください」って
とつぜん手渡されましたけど、
なんか描けるなと思って、描きました。
会場
(笑)
皆川
‥‥気に入っていただけたかわかりませんけど、
ああ、意外とこういう感じかなとか、
思いついちゃって。
もうちょっと時間あったら
着物の柄まで描いちゃうかなと。
糸井
柄までね。
皆川
糸井さんに、「3日で3柄描いて」って言われたら、
むしろ明日見せちゃおうかな、
みたいな感じはありますよね。
糸井
わかる、わかる。「のし」をつけたりしてね(笑)。
そんなこと言えるようになって
よかったですね、お互いに。
皆川
ほんとですね。

(「ひと粒の麦から。」は今回で終わりです。
 最後までお読み下さり、ありがとうございました)
2015-09-08-TUE

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