Yeah!Yeah!Yeah!
マイクロソフトの
古川会長がやってきた。

8

古川 いまの吉本隆明さんの話から、僕は、
2つ、考えたことがあるんです。
糸井 早いなあ!
古川 いまコンテンツの時代だと言われているけど、
「人間って立派なカラダだけじゃなくて、
 中身も大事だよね」
って言ってるだけで、中身の質は
問われていないんですよね。
糸井 そうなんですよ。
古川 昔は原稿用紙を使っていたけれど、原稿用紙自体が
偉いわけではない。文字そのものでもない。
書きなぐっただけじゃ、まだ意味はなくて、
その中で主張しているものに意味がある。
いまはコンテンツの時代だ、と大騒ぎしているけど、
コンテクストまでたどり着いてほしいと思うんです。
コンテクストの中で主張していることの意味だとか、
本当に文化的な価値だとか、
ひょっとして人の心まで影響をおよぼすような
価値あるものに変えるために、
「コンテンツの時代だ」って大騒ぎする前にね。

じゃあ、書籍だとか映像だとか音楽のなかで
人の心をゆさぶるまでに高まったものは、
……カラクリとしての機能が向上した、いい音を出す、
という話ではなくて、やっぱり中身の質が問われる。
「このギターが鳴った瞬間に、なぜ涙が出るんだろう」
ということなんです。
中身の質を問わなきゃいけないんですよ。

それから「心の問題」に関して、自分自身もそういう部分を
少し勉強して、考えたことがあるんです。
たとえば、人との人間関係をつくるまでに
5年かかったとしますね。それが壊れて、1年経って、
そこから修復するためにさらに3年という時間がかかる。
そういう時間軸のスピード感っていうのは、
デバイスによって変わると思うんですよ。

もし電話がなくて手紙だけで、
1年のあいだに何回かしか会えないときと、
いまのこの(ネット時代の)スピード感とは明らかに違う。
情報収集するまでの時間と、
それが真か偽かを自分で見極めて、捨てるものは捨て、
新たなものをつかんで、また吸い込むという、
そういう時間軸の中でのスピード感。
同じ時間の間でどこまでの情報がいっぺんに
自分の手元までたぐりよせられるか、というような
総体としてのボリュームとともに、
そのスピード感って、昔と今では違うと思うんですよ。

「その結果、なにが変わったの?」と
勘違いしちゃう部分もあるんだけれど、
でもやはり自分自身が、自分自身の醜い部分を発見して
反省したり、また新たにやりなおしてみようと思ったり、
それはいままでのまったりとした、
誰が味わっても同じだという時間の中で、
5年かかったけど結果は生まれなかったという
状態じゃなしに、5分でも10分でも、2週間でも、
スピード感をもっていろいろなものに出会って、
その結果が生まれる、ということは、あるかもしれない。

そうすると今までのメディアのなかでは
あまり感じられなかった……もちろん電話だとか
テレビの発展というのは、そういうスピード感を
情報の伝達としては伝えてくれたわけだけれども、
それ以外の新しいメディアが生まれつつあるんですね。
それ自体ではなんだかんだ言っても、
「心」には影響をおよぼしていなかった、
というところが面白いですね。
糸井 時間軸ですね、鍵は。
たとえば古川さんと知りあうきっかけになった
やりとりから、まだ1カ月経ってないですよね。
ここでお会いしなければ、情報の交換だけだったけれど、
お会いすることで、「何を考えているのか」という
余計なことをいっぱいしゃべるようになったおかげで、
「心に関係あるところ」までたどり着きますよね。
古川 それからもうひとつは、「この人は素敵な方だな」
と思うことの理由をつきつめていくと、
みんな『ライ麦畑でつかまえて』に
その人の原点がある、と気づく。
糸井 ああ……!
古川 そこに戻ってくるというか。
自分自身のことからすると、
「ガツガツやってる人生よりも、ライ麦畑の
 ホールデン・コールフィールドのほうが、いいな」
と思った瞬間に、
勉強するのがばかばかしくなっちゃった。
競争に勝つだとか、人に打ち勝つだとか、
そういう人生じゃなくてね、
人がこけそうになったら、おせっかいじゃない範囲で
助けてあげる、という範囲で、一生送れたら、
それもまた人生だよね、と思っちゃった瞬間、ってあって。

受験戦争から、僕は1回、外れているんです。
中学受験ではもう毎日学校が終わってから
4時間5時間塾に行くようなことを、
小学校の5年6年くらいでやってたから、
それで結局、根を詰めて受験勉強をするという気持ちは、
中学に入った段階で完全に、燃えつきてたんですね。
それで中学では午後1時、2時になると
麻布十番に出てきて、
パチンコをする(笑)……。
糸井 (笑)。
古川 あるいは銀座まで行ってね、「JUNK」でジャズ聴くか。
その、それこそ、六本木の「ミスティ」へ行って
安田南さんの唄を朝まで聴いて、そのまま学校へ通う、
っていうような状態だったんですよ。
そうするとやっぱり「競争に打ち勝つ」とか、
よい子がそれなりに大学も受験して
良いところへ就職する、という戦線から離脱しちゃった。
通常のように「男は武器を持って戦争で戦って勝て」
っていうところから違った状態になるんですね。
うちの家系は運動家でもなんでもないけれども、
人を傷つけてまで勝って、そういう人生で
勝ち負けしなくてもいいな、っていう状態になった。
そのときにパーソナル・コンピュータというのは
非常に心地良い「道具」だったんですね。
糸井 その当時は「つながれる道具」ではなかったわけですよね。
古川 いや、ただぼくは1978年にASCIIに入って、
副編集長をいきなり任されたときに、
「来月はお前が責任編集だ」って言われて、
「ええっ!? 全部任されてどうしよう!?」って……。
糸井 何歳の時ですか?
古川 23、24くらいかな。
そのときに、「コンピュータとコミュニケーション」
っていう大特集を組みまして。前の月は
『宇宙戦艦ヤマト』の特集だったんだけれど(笑)。
でね、「とにかくコンピュータはつながないと意味がない」
と主張したんです。といっても、コンピュータどうしを
つなぐことには意味はなくて、
実はその後ろにいる人と人が、
コンピュータを道具としてつながるためなんだ、と。
その後ろにいる人間のことを忘れちゃいけない、と。

それから、電話よりも放送よりも、速く、お互いの
意思伝達ができるんだ、というときに、
人間の距離感だとか、年齢の差だとかを越えて
知識を共有したり、遠隔地にいる人間との
新しいコラボレーションが、国家だとか、
違う会社に所属するだとかいうことと関係なく、
始まるにちがいない。
そういうことを延々書いているんです。
糸井 えっ、それが何年ですって。
古川 1979年ですね。
秘書 25歳のときですね。
古川 ……でも、売れなかったですよー(笑)。
糸井 その月だけ、売れなかったんですか?
古川 ええ(笑)。
パソコンを使って、音響カプラ(トーン信号を
プッシュホン以外の電話で送受信するための機械)
を使って、データベースにアクセスしよう、とか、
パソコンどうしを接続しよう、とかね。
その当時、PC-8001が16万8000円で、
300ボーの音響カプラが25万円したわけ。
糸井 うわー。今じゃ、誰も、もらってもくれない!
うち、あるんですよ。使ってなかったってやつが。
古川 それでもね、そのころはまだ「宇宙戦艦ヤマトゲーム」
だとか、カセットテープをかけて魚釣りゲームをやるとか
シューティングゲームをやることが
ポピュラーだった時代だから、
パソコンを、人と人とがコミュニケーションするための
道具に変えていこう、なんて発想は、
ちょっと異常ではあった。
だからね、今日お話しているようなことも、
急に思いついたわけじゃなくて、
その当時からずっと言い続けてきて、気がついたら
20年経っちゃった、という話なんですよ。
糸井 そうか……やっぱり、時間がかかってますねぇ。
古川 意外とね、かかってるんですよ。
糸井 70年代なんて、コンピュータは丸ビルの大きさじゃ
ないか、なんて、俺、思ってたな。
古川 でもそれはまだ近いものがある。
ASCIIでパソコン通信を始めたころ、
当時たくさん買ったDECの「VAX」、
1台の大きさが、洗濯機どころか、洋服ダンスひとつ分
くらいあった。値段が、あの当時で6000万から
8000万円だったんだけれども。
今の、G3のマックだとか、VAIOに比べると、
機能は30分の1くらいなものなんです。
糸井 ホコリのたつやつは、コンピュータ室に入っちゃダメ、
って言ってましたよね。ほんとに
「おまえ、ホコリっぽいから、来ちゃダメ!」
とかね(笑)。
いや、笑い話じゃないですよね。
レコーディングスタジオが、コンピュータを
やたらに入れた時期がありましてね。
ホコリで壊しちゃって、
「2億、パーにしちゃったよ、アッハッハ!」。
自慢してどうすんだよ、みたいな。
古川 ありましたねぇ。
それこそ、僕が最初に買ったハードディスクは
5メガバイトでした。5メガですよ!?
それがね、……56万円、したんだった。
糸井 当時は、今みたいにお金はないですよね。
古川 もう全然ない。
そのハードディスクは、たまたま、
会社で買ってもらったやつだったんです。
それをはじめてパソコンにつないで、
何をやったかっていうと、新聞をスキャンしてですね、
パソコンでもボタンを押すだけで、
瞬時に画面に新聞がパッと出ます、っていうことを
やったんですね。周りのみんなは「すごい!」って
ビックリしたけれども。

……ハードディスクって、回転しながら、ヘッドが横に
風の勢いで浮いているんですね。
その浮いている高さっていうのは、煙の粒子よりも
ちっちゃい。よく冗談で言ってたんだけど、
髪の毛1本入っただけでドカンってぶつかっちゃうし、
煙の粒子が入ってきた瞬間に、中は石ころだらけの
床のようになって、ガツガツにぶつかって
ハードディスクが壊れるんだ、って。
糸井 なんだって!……今は、ちがうんですか!?
古川 今は、ちがいますよ。完全密封してあるから。
糸井 ホントですか。なんか、僕、ゲームの会社で、
たばこ吸うやつばっかりの部屋のパソコンが
あまりに壊れるんで、たばこ禁止になったんです。
古川 それはおかしいなあ。
糸井 アミーガとか使ってたせいかな?
古川 そのころはね、ハードディスクの横にフィルタがあって、
中に吸い込んで、放熱しながら外へ出すというしくみで。
ばかなやつがね、たばこの煙を
そのフィルタのところにフーってやって、
「ドンッ」って壊しちゃったり。
糸井 試したくなっちゃったんだ(笑)。
古川 「わーっ! 56万円が!」ってね。
タバコ1本でねえ……(笑)。
あのころは、けっこう、笑える話がありましたよ。
プリンタのヘッドを動かす部分、使っているうちに
熱くなって、後ろが真っ赤っかになるんですよ。
そのころ僕もたばこ吸ってたから、
デバッグの最中にたばこが吸いたくなるんだよね。
プリンタ動かしてその後ろで火をつけたりね。
糸井 熱、もってるんだ!?
古川 たばこに火がつくくらいね。
それでデバッグしてるとジーッて音がして、
そのうち「バンッ!」って火柱があがって、
天井、焦がしたりね。
「おお、マジック・ショーができるぞ!」
なんちゃってね(笑)。
糸井 でもそれ、大昔の話じゃないんですよねえ!?
そんなに昔じゃないんだよなあ……。
その、「パソコンの後ろにいるのは人間だ」ってことを
当時、考えた人って、そんなに大勢いなかったと
思うんですよ。
機械をつなげる、というところまでは、
きっと言ってたと思うんだけれど、
「機械をつなげているということは、
 人間をつなげているということなんだよ」
という発想って、今、ですよね。本当は。

(つづく)

1999-10-27-WED

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