Yeah!Yeah!Yeah!
マイクロソフトの
古川会長がやってきた。


糸井 ぼくは、Macユーザーなんですが、
古川さんはMacをどういうふうに見ているんですか。
古川 Macというのは、もともとは純粋に
Macを好きだった人が使いたくて使っている、
というものだったんです。ところが最近では
「ほんらいのMacの愛し方と違うだろ」
というものに変わってきているようですね。
糸井 そういう話が聞きたかったんですよ。
古川 ライフスタイルを追及したり、
いつも新しいものを提案したい、というような
「自分自身の生き方を持っている人」に
Macは似合うと思うんです。
いま、昔とは変容してしまったアップルに対して、
怒りをもっている人というのがいますね。
そういう人たちは、
自分自身のアイデンティティよりも、
むしろ逆に、Macに染まっちゃっている、
という状態なんだと思うんです。
Macを使っている人で、いちばん素敵な人っていうのは
自分自身のアイデンティティとMacのバランスがよく、
ちゃんと機械を使いこなすことができて、
かつ本人も光っている人。
そういう人はMac使ってて素敵だな、と思いますね。

しかし、ブランドってなんでもそうですけれど
自分自身のアイデンティティが薄っぺらいと、
ブランドに押し切られちゃうことがある。
自分自身の薄っぺらい人がアルマーニを着ると
みっともない、という感じですよね。
文房具でも車でも、
それを持ってるからそれに似つかわしい人だ、
という逆転的な発想があるけれども、
それこそヘタなカメラマンが高いカメラ持ってきても
「機材はどうでもいいからもうちょっと腕磨いてこいよ」
っていうことも絶対にあるし、
逆にいい写真を撮る人は、いい道具を使おうが使うまいが、
体と道具が一体化してる。
なおかつ、道具に負けてないという要素が
あると思うんですよ。

僕は、Macを好きな人たちは
自分自身がそれに対置するだけの
自分のアイデンティティを維持してほしいし、
今度は逆に自分自身の主張なく
すれ違ったところで、何か言いたいのだったら、
それはアップルに対してでも、マイクロソフトに対しても
同じ距離感で言い続けてほしいのですよね。
そういう部分があるのだったら僕も
「よし、じゃあ受け止めましょう」と。
僕は最初からMacを愛している方に対する
対抗心を持っているわけでもないし、
解きほぐそうと思っているわけでも
ないんだけれども(笑)。
ただ、私はMacに限らず
全ての道具とか人間関係は、
全部そうだと思うのです。
糸井 僕がどのくらいマイクロソフトと縁がなかったか、
ということから説明しましょうか(笑)、まずは。

こないだ思いだしたんですが、以前、
「マイクロソフトの広告のプレゼンテーションに
 参加しませんか?」
という仕事を依頼されたことがあったんです。
それは、先輩のコピーライターの方から
電話がかかってきて
頼まれたものだったんですが、
「僕、どういうわけか周りが
 Macしかないような環境なんで
 今マイクロソフトの仕事をどうやっていいか
 見当がつかないんです。
 悪いけどその仕事、本気でできる自信がないから
 断ります」
って言ったんです。
その相手の方も、
「そうですか、そういうことってあるんですよね」
って、まぁ残念ですがって感じで。
それが半年くらい前の話だったんですよ。

で、笑っちゃうのは、先日、
古川さんに会って食事をご一緒した途端に
2つ全然違うルートから
マイクロソフトを口説かなきゃならないって
仕事が入ったんですよ。この短い時間に(笑)。

で、僕は
これは縁ってものなんだねぇ、って。
あっさりとその仕事を始めたんですよ(笑)。
「縁」って不思議なもので、
古川さんと僕が同じ日に同じ代理店に行っていた、
なんていうニアミスがあった、
というような話も聞くようになった。
急に、ですよ。ここのところ。
古川 あははは。
糸井 まず、礼儀として、
僕がなぜマイクロソフトが嫌だったか、という話を
しちゃったほうがいいと思うんですね。
まずひとつは、
僕がパソコンを始める前から、
僕の周囲にはコンピュータを使っている人が
たくさんいたんですけど、その人たちがみんな
Macユーザーだった、っていうのが
思えばいちばん大きい理由なんですね。
育ちがマックなんですよ。
「氏より育ち」っていうのはしょうがないんですね。

それからパソコンを使ってる場面以外のところで
アップルっていう会社は
「(生活のなかの)全時間つきあいましょうね」
という雰囲気があったんです。
ウインドウズは、僕らは新聞のニュースぐらいしか
知らないですけれど、「ウインドウズ95」の
発売のときくらいに「面白いな」とは思ったんですよ。
ただ、使ってる場面以外の時間が
見えない感じがしてたんです。

たとえば、アップルっていうと、
マークがリンゴで虹色で、
虹のなかに「ヒッピー」的な要素が入ってますよね。
かじりかけのリンゴのなかに、
「ああ覚えちゃいけないものを覚えちゃったな」
みたいな……つまり、人類そのものが持っている
知恵というものに対する畏れと喜びが入っている。
ニューヨークシティのリンゴにも共通するし、
リンゴというマークがあるだけで、
「なんかおれはそのリンゴ派なんだな」
って思いやすい。

じゃあ、
「窓って何?」
といった場合、窓の「意味」はよく分かるんだけど・・・。
リンゴに、アダムとイヴの知恵の果実っていう
神話的なつながりさえあったというような意味では、
「窓」にはそういうものを感じないんですよ。
ただ「便利でしょ?」
って言われているような気がして。
で、「俺はどっちだろう」
って、なんとなく思うわけですよ。
実際に車でもテレビでも、買うときは、
好きだってこと以上に
「どっちが使いやすいか」
なんて考えてるくせに、コンピュータって
“心に響くもの”
として使っている感じがしてるんですね。
その意味で
「ウインドウズなあ、なんかみんなが
 仕事の道具として与えられてる気がするなあ」
という印象があって、
とにかく最初から、
よく分かっちゃいない割には、
ウインドウズに対する距離を感じていたんです。
それからもうひとつは、自分の職業に絡むんですけど、
広告の仕事をしていると「勝ってる会社」と
「負けている会社」の
両方と仕事をする機会があるんですよ。
それで、負けている会社が
「これから勝つ」っていう希望が
とても薄く見えるんですね。

特に、プラットフォームビジネスを
メインにしている企業は、
ちょうど複雑系ブームだったんで、
“デフォルトをとってしまったら強い”という形で、
ちょうど経済とかマーケの流行が
収穫逓増型産業をどう作るか、
1人勝ちするにはどうしたらいいか、
ということをみんなが考えていたでしょう。
全員が1人勝ちできるわけないのに、
全員が同じ戦略をとろうとしていたあの時代、
実は僕、広告にちょっと嫌気がさしていたんですよ。

当時は「広告やってるよ」なんて言ってたけど、
2年間で二百何十日、釣りをしてたんです。
なんでそうなったかというと、
「負けた側について勝てる希望がない仕事って
 やりたくないよな」
と思っちゃったんですね。
そんな世の中になっちゃうんだったら、
全員が1つの会社の社員になっちゃうのがゴールだ。
世界宗教としてのキリスト教と同じですよね。
全員が同じキリスト教徒になれば、
「同じ信心だからハッピーだ」みたいなね。
そういうことって、ほんとは、
相当無理のある考え方だと思ったし、
同時に、じゃあ、プラットフォームを取れなかった
企業なり、そこにビジネスの場を持ってる人たちは、
どう闘うんだろうと。

で、僕は、
「そういう本は出てないですか?」
と複雑系の研究者の方に聞いたんですよ。
そうしたら、
「本は出てないです」
という答えだった。
「複雑系も、収穫逓増型のソフト産業の
 これからのあり方っていうのも、
 まだ流行が始まったばかりなので、
 これをひっくり返すような戦略をどう立てるか、
 というところまで進んでないんですよ」と。
それを聞いて、そういうものなのかぁ、と思ったら、
妙にやる気になってきまして、
急に仕事したくなったんです。
会ったこともないビル・ゲイツっていう人が
世界の皇帝になるイメージというのを
仮想敵国として勝手に立てて、
「そっち側じゃない人も生きてていいんだよ」
というか、
「そっちの反対側の立場に立ったら何ができるだろう」
ということを考えて、
そこで遊べることがあるとしたら、
みんなが面白いぞ、と。

マイクロソフトってのはシンボロックだけど、
ほんとは、あらゆる企業が
プラットフォームを握る方向に行ってしまった。
JRからNTTから、
なにからなにまで全部そうなんですよね。

「次の時代にプラットフォームを握ればいいんだ」
というような単純なもんじゃないぞと思えるような、
そういうきっかけになるような
爆弾を持ったビジネスとして、
急に仕事をやりたくなっちゃったんです。
それがかなりの苦戦になっても、って。見栄張って。
先日の辰吉
(丈一郎vs.ウィラポン戦)
に近いってさっき冗談言ってたんだけど、
倒れないだけで拍手もらえるボクサーって、
やっぱりすごい(笑)。
倒れないことに客が入ってるわけですよ。
今、僕はちょうどあの立場を
やっている気がするんだけど(笑)、
本当はそんなことをしたいわけじゃなくて、
やっぱりチャンピオンになりたいんです、誰だって。
すごいパンチで倒してみたいっていう気分もあるし、
倒したからって永遠にチャンピオンを続けられるとは
思っていないわけですね。

でもその可能性が「諸君、あるぞ!」と。
そういうようなページを作って、
そこからのアナウンスで、
いま現在は勝ち組にいない人とか、
無駄にさせられたような努力をしてる人が、
希望をもてるような社会ができて、
同時にぼくの考えるビジネスが成り立つ、
ってことができたら、かっこいいぞって。
いま勢いのある大企業で左うちわに見える会社でさえも
「ああ、そういうことができるんだったら
 うちも、ここらへんは小さくしてみよう」
とか、そういうことだってできるな、と思ったんです。

そして、
「よろこんで古川さんにお会いします」
と言ったのも、ほんとは偶然ですよね。
Mさん(コンピュータ・ニュース社)が
メールをくれなければ、
永遠に古川さんに会うこともなかったろうし、
「やなやつだろ?」
なんて言ってたかもしれないんですよ(笑)。
ようするに仮想敵のひとつですから。つまり、
「アメリカに逆らって国は成り立つだろうか」
っていうくらいきっと面白い場面だったと思うんです。

でもアメリカはアメリカで、たとえばハリウッドでは、
ポランスキーだとかの外国の人や、
デビッド・リンチとかのアングラ系の人たちに
任せてみて映画を作らせるなんていう形で、
新しい血を輸血したり、ものすごい工夫をしてる。
そういうことに、
僕らもある程度年齢がいってるんで、
気づくわけですよ。
「宗教戦争している場合じゃないぞ」と。
本当の物を作るだとか、
人々が喜びを得るようなきっかけって
どこにあるか分からないんで、
「マイクロソフトだからやだ」
とか、
「ハリウッドだから堕落した」
とかって言われたら、
デビッド・リンチも、ティム・バートンも、
なにもパーですよね。

「その立場もあるかもしれないな」
ということをこのページを読んでいる人が、
偏見を取っちゃって、
アップルだからどうだ、マイクロソフトだからどうだ、
というのを超えたところでお互いに見合うような、
見つめあって批判するなら批判すればいいじゃないか、と。
で、いいと思ったら失敗するかもしれないけど、
客として応援してるから、
「この機械好きなんだよ」
と言ってくれてもかまわないし。
そういう時代が、僕の「次の時代」のイメージなんですよ。

で、先日古川さんにお会いして、
ほんとうに面白かった。
これは、立場を持った人っていう意味ではなくて、
理科系の人が持ってるフェアさ。
こういうフェアさを持ってる限りは話し合いって、
たとえ敵味方になっても
ずっとできるのかもしれないなあ、
と「希望」みたいなものを感じたんですよ。
坂本龍一くんが言ったという
「悪の帝国のダースベーダー」と(笑)。
僕はそこまで思ってないですけどね(笑)。

ダースベーダーが『エピソード・ワン』の主人公だった、
っていうのが現在をよく表わしていると思うんですよ。
古川さんは少年時代のダースベーダー、
アナキン・スカイウオーカー
ということになるのかもしれない(笑)。

(つづく)

1998-09-20-MON


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