「八ヶ岳倶楽部」編 今回の先生/柳生真吾さん
名前その60 リョウブ
しっとりとした地面の感触をたのしみながら、
柳生さんと吉本さんは歩きます。
ふたりは、雑木林のいちばん深いあたりに進みました。
木々がふれあう音、相変わらずきもちのいい空気。
柳生さんが、ふと立ち止まり、
来た道を振り返って上を見上げます。
柳生 あぁ‥‥吉本さん、みてください。
木漏れ日が。
吉本 わぁ、きれい。
すごくきれいになってる。
柳生 これがですね、
意外とありそうでない風景なんです。
木漏れ日が入る森が、
いま日本にはすくないんですよ。
吉本 木漏れ日が、すくない。
柳生 どこも暗くて、うっそうとして。
吉本 ああー、不気味な感じになっちゃう。
柳生 そう。
ここは手入れをしているから、
不気味じゃないんです。
木漏れ日が入って。
吉本 手入れというのは、
木を切るんですよね。
柳生 そうです、適度に切って、
日光が入るようにしてやります。
もともといまのシーズンは、
いちばん陽が入りにくいんですよ。
葉が繁りますから。
吉本 そうか、そうですよね。
柳生 これだけ入るっていうのは‥‥。
吉本 すごく手入れされているから。
柳生 と、自分で自分を褒めながら
歩くんです(笑)。
吉本 ふふふ。
柳生 この雑木林は、入場料をとらないんですよ。
だってほら、入場料をとっちゃうと、
こういう自慢ができなくなるでしょう?(笑)
吉本 そうかー。
柳生 無料だから「いいでしょ?」って言える。

この雑木林を歩きに来てくれる人がね、
いま年間に10万人いるんですよ。
吉本 えーー、すごい!
柳生 20年で、ついに10万人。
やっぱりうれしいですね、
たくさん自慢ができますから(笑)。
吉本 すごいです、10万人って。
吉本 あ、吉本さん(立ち止まる)、
ちょっと、こっちに行ってみましょう。
それこそ「みちくさ」ですけど。
吉本 そっちですね。
道からはずれて(移動)。
柳生 足もとに気をつけてください。
吉本 はい。
柳生 その先‥‥そう。
ここ、ここです。
吉本 ああ‥‥。
柳生 ‥‥ここに来るとね、
いろんな音が聞こえてくるんです。
吉本 (耳をすます)‥‥下は、川ですか?
柳生 ずっと下に、渓流が流れています。
西沢渓谷っていう、
すごく紅葉で有名な渓谷で。
吉本 音だけ聞こえるね。
あぁ‥‥きもちいい。

(しばらく、川の音と草木のゆれる音)
柳生 ‥‥なんだか、言葉が要らない感じですね。
吉本 ‥‥うん。
柳生 秋には紅葉がきれいで、
冬になると、向こうにずーっと山がみえてきて。
吉本 葉っぱがなくなると、山がみえる。
柳生 秩父連山、真南に富士山、
真西に南アルプス、北に八ヶ岳。
けっこうすごい眺めです。
吉本 へぇー‥‥。
柳生 ‥‥‥‥‥‥‥‥。
吉本 ‥‥‥‥‥‥‥‥。

(川の音、ときどき鳥の声)
柳生 ‥‥‥‥‥‥‥‥。
吉本 ‥‥‥‥‥‥‥‥。
‥‥ずっとこうしててもいいんですけど、
名前を教えてもらわないと(笑)。
柳生 そうですね、
「みちくさの名前」ですから。
吉本 じゃあ、また、「木」でもいいですか?
これ。
この木は、サルスベリ?
柳生 よく似ていますけど、
これはですね、リョウブといいます。
吉本 リョウブ。
どういう字を書くんですか?
柳生 法令の「令」に、法律の「法」。
「法令」を逆に書いた名前ですね。
吉本 「令法」と書いて、リョウブ。
柳生 これは痩せた土地にしか生えないんですね。
飢饉などのいざというときのために
法律で守られたから、
それで「令法」になったという説があるんです。
吉本 じゃあ、食べられるんですね。
柳生 新芽をご飯に混ぜて、
「令法飯(リョウブメシ)」にして食べます。
吉本 へえー。
柳生 ちょっとおもしろい説は
新芽を入れてご飯の量を増やすから、
「量増」っていう人もいるんです。
吉本 量がたいせつ(笑)。
柳生 山の上は、すごく土地が痩せているんです。
だから、食料の確保は
たいせつなことだったんでしょうね。
吉本 そうか、なるほど‥‥。
前回に続き、「木の名前」になりました。
今回、いちばんお伝えしたかったことは、
「無言で過ごした時間」だったのかもしれません。
渓流の音に耳をすますおふたりの様子が、
とてもすてきだったので‥‥。

今回、吉本由美さんのエッセイはお休みです。
次の「みちくさ」は、木曜日に。
「八ヶ岳倶楽部でみちくさ」編は、
火・木・土の更新でお届けいたします。
 
2010-09-21-TUE
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