サムライ闘牛士登場?!
スペインに闘牛士になりに行った男。

第1回 28歳の出発。

皆さん、はじめまして!

僕はスペインのアンダルシア地方、
セビリアのお隣りにあるウエルバ県ウエルバ市で、
闘牛士の最高峰クラスである
マタドール・デ・トロス(正闘牛士)を目指している
「濃野平」といいます。

現在は3つあるプロ闘牛士のクラスの最下級である
ノビジェロ・シン・ピカドール(見習闘牛士)
という身分で、毎日修行にはげんでおります。

さて「闘牛」といいますと、
誰もがテレビなどで一度は目になさったりして、
なんとなくイメージ位は浮かびそうなものですが、
誰も詳しくは知らなかったりする・・・
いわゆるスペイン闘牛はスペインの他、
南フランスの一部、メキシコ、コロンビア、
べネスエラ、ペルー、エクアドールなどの
ラテン・アメリカ諸国の国々でも行われているものの、
世界中のどこでもやっているものではありませんから、
当然ながら日本では
かなりマイナーなものになってしまいますよね。

この闘牛という特殊な見世物は、
スペイン人にとっていわゆる
スポーツのようなものでは決してなく、
格式を持った伝統的な芸能・・・
スペインの国教であるカトリックの影響まで受けた
舞台芸術のひとつとして受けとめられております。
だから、新聞のスポーツ欄などで
昨日の闘牛がどうのこうのと
論じられることはありません。
ちゃんと 「文化」欄とか「闘牛」欄で
取り上げられる
のです。
「国民的祝祭」ともいわれております。

スペイン一般の事柄ならともかくも、
日本にはないこの「闘牛」というものに
特別な関心を持つ日本人は
やはり、かなりの少数派となってしまうでしょうし、
さらに一歩進んで
「自分でやりたいな!闘牛士になろう!」
と思う人は一層少なくなってしまうのは
当然のことなのかも知れませんね。

プロの闘牛士として
過去にデビューなさった日本人は、
僕以前に二人だけ。
日本人として正闘牛士である
マタドール・デ・トロスに到達なされた方は
未だいらっしゃいません。

僕の夢、目的のひとつは
史上初の日本人正闘牛士となることです。

僕が初めて闘牛に興味を持ったのは、
たまたま日本のテレビの
バラエテイー番組か何かで観た闘牛のシーンでした。
ほんの数分の短いものでしたが、
僕には衝撃的なものだったんです。

10代の頃、思うところあって
数年間程クラシック・バレエに夢中になり、
アマチュアでありながらも
毎日練習していたことがあったのですが
(そういえばバレエも
 何気にテレビでちらっと観ただけで
 急にやりたくなってしまったのでした・・・
 すいません!笑)

諸事情でバレエをやめてしまった後に
それまでの生きがい、
夢中になれるものを失ってしまった僕は
空ろな毎日を過ごしていたのです・・・
もちろん「贅沢」な事なのかも知れませんけど、
僕はその後、ずっと探し求めておりました。
真に自分を満たしてくれるものを。

他には何もなくても良い、
自分のすべてを捧げても後悔しない位の何かを。


で、そんな時に僕は
「闘牛」に出会ってしまいました(テレビでしたけど)。
その色彩豊かな美の世界に、
僕はバレエをみました・・。

闘牛士はより美しい演技を求める為に
自ら危険の限界に近づくことが求められます。


はたしてこの世に、
文字どおり命懸けを求められる芸術形態が
スペイン闘牛以外に存在するのだろうか・・。

「美」の追求目的の為に
自ら危険に近づくことを要求される
この「スペイン闘牛」というもの・・・
さらに一種の舞台芸術でありながら
スポーツ以上の「真剣さ」を要求される・・・
たしかに現代の風潮に真っ向から逆らうかのように、
公衆の面前で堂々と動物の血が流されるという
「毒」があるのも否定出来ない事実です。

この「毒」がひょっとしたら、
他の芸術形態では決して到達出来ない
特殊な美の世界の創造を
可能としているのかも知れないけれど・・・。

そんな訳で闘牛に魅せられてしまった僕でしたが、
闘牛に関する情報なんて
日本にはほとんどありませんでした。
日本語で書かれている数少ない
闘牛関係の本(ほとんどが絶版になってたり)を
読みたいと思えば、もう「国立国会図書館」くらいまで
足を伸ばさなきゃいけませんでしたし、
闘牛のビデオが販売されている訳でもありません。

で、僕の闘牛への想いはつのるばかり。

実際に一度も観たことすらないけど、
闘牛士になりたい!とまで思ってしまうのでした(笑)。
もちろんテレビで闘牛のシーンをみかけてから、
すぐにスペインへと渡った訳ではありません。

かなりの長い期間、自問自答していたもんです。

「スペイン語は全然知らないし、
 スペインに知り合いなんて誰もいない・・」
 
「大体、スペインへ渡っても
 どうやって生活するんだろう?
 当然、仕事を探さなきゃいけないし、
 労働ビザとかどうするんだろう・・」

「闘牛士になれてもそれで生計が立てられる者は
 ごく僅であるらしい・・」

「牛に刺されたりして
 大怪我がめちゃくちゃ多いらしいぞ!
 すごく痛そう!」

「闘牛の世界も皆、
 子供のうちから訓練を始めるものらしい。
 大の大人がいきなし始めて、
 出来るようになるもんじゃないみたい。
 それを僕がこの年齢で・・・」
「それに僕がスペイン行っても、
 外国人の僕なんかを闘牛士たちが
 相手にしてくれるものなんだろうか?
 大体、外国人の闘牛士なんているものなんだろうか?」
・・・etc

そしてなにより疑問に思っていたことは、

「はたして僕なんかが
 闘牛出来るものなんだろうか?
 僕なんかが闘牛士になれるんだろうか??」


どう考えても僕が闘牛士になることに
プラスとなるような判断材料は
みつかりそうにありませんでした。

でも・・全身全霊で打ち込んでも、
実現可能かどうか分からないからこそ、
挑戦のしがいがあるんじゃなかろうか。
だから面白いんじゃないだろうか。

僕が闘牛をやりたいのはお金が欲しいからではない。
闘牛士になる、ということは
僕の自己実現のひとつであり、行方の分からない
「ゲーム」でもあるのだと思いました。
それに・・もしスペイン行かなかったら、
きっと一生後悔するような気もしました。

うだうだ悩んだり考えていても、
とにかく実際に一度スペインへ行ってみないと
何も見えてこない。
だから僕は1997年の冬、
ついにスペインへ渡る決意をしました。

スペイン語は1週間程、簡単な単語と文を暗記した位。
僕は東京築地の魚市場で働いてましたが、
当時イラン人たちが出稼ぎに来ていたものです。
彼らは全然日本語を知らないで来日し、
すぐに生きる為に日本語を話せるようになる。
彼らに出来たことなら、この僕にだって出来るはず。
スペインで生きる為には
スペイン語話す他ないのだから。

スペインに関しての情報もガイド・ブックを読んだ位で
他には特に集めませんでした。
自分がこれからやろうとしていることの規模を考えますと、
下手な準備とか小細工(?)なんて、
まるで無意味のような気がしていたんです。
ある程度・・運を天に任す、方が
良いんじゃなかろうかみたいな。

なにひとつ分かっていない状態で
あまり先の事を考えると、頭が痛くなるので
とりあえず「目先のこと」だけ考え、
集中することにしました。

その1 まず実際にスペインへ入国すること。
その2 着いたらどこかで宿を見つけて、ぐっすり眠ること。
その3 闘牛雑誌(どうも週刊のがあるらしい!)を
手に入れて、どこかで闘牛を観ること。
その4 どこかの町で闘牛関係者と知り合うこと。
その5 知り合えたら・・そこで実際に練習始める!

スペイン出発前に僕が考えていたことは。
この位の事でした。

繰り返しになりますが、他の事を考えたり、
不安に感じたりすると頭が痛くなったので、
この5つの事だけに無理矢理思考を集中というか、
固定(?)しました(笑)。

そして・・もし僕が闘牛士になるのならば、
たとえどのようなルートを選ぼうと、
時間がかかろうと、いずれはたどり着くもんだ!
諦めずに常に前進を続けていれば、
と勝手に思い込んで。

行ったこともないヨーロッパの一国であるスペイン。
この国でどんな出来事が僕を待っているのだろう。
とにかく「きっかけ」さえ掴めたら、僕は頑張る。
他の誰よりも頑張ってみせる。
もう二度と後悔はしたくないから。

1997年1月13日、僕は成田空港にいました。
スペイン語は駄目、知り合いすらいないけれど、
僕はスペインで闘牛士になりたい。
僕は勝利する為にスペインへ行く。
なんにも持ってない僕の28歳の旅立ちでした(笑)。

多分、僕は「冒険」的な生活を
求めていたんだろうと思います。


(つづく)

2003-04-24-THU


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