荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第6回 何かをしている個人を発見した。


(※darlingがインターネットに対して自由を感じた
  としゃべりはじめたところで前回が終わったけど、
  今回は、その先です。いよいよ、ネットに対して
  お互いの持っているイメージを話しはじめます。
  では、今回も、どうぞお読みくださいませっ)

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糸井 大勢の人にとっての自由を
何でインターネットに感じられるのかというと、
例えば、荒俣さんがおっしゃっていたように
ホクロひとつでも愛せるところがあるとすれば、
そのホクロって、民のぜんぶに
ひとつやふたつは、ありますよね?
荒俣 あります。
糸井 そこに目を向けてあげれば、
そのホクロは成仏するんだと思います。

本を書くにはまだまだ資格がいるとされるけど、
たとえ本を書く資格がない人だったとしても、
すれちがった時にいい匂いがあるんだったら、
それだけでも肯定されていいような気が、
ぼくにはしているから。

そのホクロやいい匂いを認めることが、
ネットの中に可能性としてあると思います。
道を歩いている人に
「本を書きませんか?」
とは言えないけれども、インターネットだったら、
「ちょっとおもしろいから、やってみない?」
って、お願いをしてみたらすぐに載せられますもん。

そこは、すごいと思うんです。
逆に言えば、本の世界は、
道を歩いているいい匂いの人に
声をかけることができなかったんだなあ、
と気づきました。
荒俣 昔、新宿の街頭で
「私の詩集を買いませんか?」
と言っていたことを、今は全員ができる。
糸井 ある意味、インターネットの世界では、
それまでと比べると、異常な事態が
起きているということですよね?

以前に荒俣さんと、
インターネットでぼくたちが
どう自由になったかを話していたことを
いま、偶然思い出しました。

ぼくたちが本の世界から自由になったことは、
インターネットとも関係してると感じるんです。
本を捨てるには、代替物がなければ
捨てられなかったような気がして。
荒俣 それは、そうですね。
その話を引き継ぐかたちで言うと、
ぼくが本に対する幻想から目覚めた時の
その「幻滅感」というのは、
妙にイヤじゃなかったんですよ。
それが割と重要なことで。
糸井 うん。
荒俣 目覚めた時、例えば哲学者とかは
死んじゃうじゃないですか?
糸井 (笑)だいたい、怒ったりしますよね。
荒俣 気づいたことが抜けていく場所が、
どうも、人生を終える方向にいくんだけど、
幻滅することはそれだけじゃなくて、
逆にいいこともあると思うんです。
「解き放たれる」というか。

深情けでひっぱっていた女の人が
いなくなるようなものですから、
これは、必然的に次の相手を探せるわけです。
糸井 ああ、なるほど〜。
荒俣 世の中でいろんなことをやる時に、
重婚をするのが許されない仕組みがあるとすると、
次のステップに行く時には、
何かを一度切り離さないといけない。
幻滅してみても、案外客観的でいられるんです。
糸井 はい。
荒俣 自分が愛してきたものをいろいろ見た上で、
どこにいいものがあるかどうかを探せるようになる。
次の相手につきあう時にも、前の相手のよさが
逆にわかってきて、ある意味では
ステージアップした愛情みたいなものが
本に対して出てくるんですよね。
糸井 長い恋愛が終わって、
家族になっていくということか・・・(笑)。
荒俣 (笑)はい。
生きていた頃には大ゲンカしていたけれども、
相手が墓に入ってみると、もしかしてあいつは
ちょっといい奴だったんじゃないかというような
そんな感情に似ているかもしれません(笑)。
ぼくの場合は、本をちょうど、
墓に入れるような感じがありましたから。
糸井 (笑)あああ。
さっきぼくがたまたま言った
「成仏」させるという感じが。
荒俣 はい。成仏ですね。
戒名つけたという感じですね。
糸井 (笑)そうですよねえ・・・。
きっと荒俣さんは、今でもふつうの人よりは
本の道楽をやっていらっしゃるでしょうし。
荒俣 今でもまだやってますけど、もうねえ、
まさに昔の遊女の墓の塵を掃くというか・・・。
糸井 (笑)それ、あのう・・・
たぶん、いいことなんですよね?
荒俣 ええ。
ある意味ではハッピーでラクになった。
ワンステージアップしましたよね。
正大師に近づいたというか・・・(笑)。
糸井 うん(笑)。
かと言って、フェティシズムの中に
どっぷり漬かって生きたいと思う人の
邪魔をする気はないですよね?
荒俣 まったくないです。
それはそれでいうわけで。
糸井 否定しないと自分が持てないほど、
弱い人間がいることも認めるというか。
荒俣 はい。
あとひとつ重要だと思うのは、
さきほど糸井さんがおっしゃったように、
新しくインターネットの世界に入ってみると
「どの人間も何かをやっている」
ということがわかったんですよね。
これは大きいです。
糸井 そう思います。
荒俣 インターネットやってから4年経つんですけど、
これをやらなきゃ書けなかった本が、
もう3冊くらいあります。
最近書いた『セクシーガールの起源』も、
インターネットがなければ絶対にできなかった。

あの・・・変なことやってる人間って
けっこう多いんですよ。
昔からピンナップを集めたり
第二次大戦中の兵隊が持っていたような
変な絵葉書を、今だに持っている人がいるわけで。

普通に暮らしていると、
そんな人とは絶対にひっかからないんだけど、
インターネットでは、そういうものを
自分のサイトで公表していたりする。

その人をトータルに見ると、
人格としては普通のおじさんなんです。
でもそのピンナップは、さきほど言った
ホクロの毛のようなものかもしれないけど、
でも、単品としてすごいものではありました。
だから、インターネットでホクロの毛だけが
抜き出されて発表されてあると、
「おお! こいつ、スゲエなあ」
と思わされます。

その、クローズアップした時の
それぞれの人間のすごさが見えてきました。
誰もが、どこかにそういうのを持っていることが
非常によくわかったんです。

万博の歴史を書いていた時でも、
その時使った図版、例えば1920年代の
スカイスクレーパー、あの摩天楼に
いかに人々が感動したのかということを
冷静に理解できるのは、当時書かれた
摩天楼の絵ですよね?

ああいう絵を、ふつうに集めようとしても
なかなか集められないんですけれども、
インターネットを見たら、
これがばかな人が多くてですね(笑)、
その当時のスカイスクレーパーの絵ばかりを
集めている奴だとかがいるんですよ。
こういう画家が摩天楼の絵を描いていたのか、
ということがよくわかって、
そのサイトを頼りに文通なんかはじめると、
「たくさん持っているから、譲ってやるよ」
という具合に話がばんばん展開していくわけで。
糸井 おおおー。
それは愉快だなあ。


(※ネット論になってきました。つづきます)

インパクはこちら。

2001-01-06-SAT

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