荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第4回 カミは死んだ。


[前口上の巻]
ほとんど人格が宿っているものとして、
全体的に愛してきた本への思いが、
荒俣さんの中では変化してきた、
というのが前回の話でした。
本を、ばらばらにでも消費できるのを、
いいと思ってやっているんじゃなくて、
「そうするしかしょうがないから」
というのが荒俣さんらしいなあ・・・。

あ。
インパクだとか、インターネットの
テクノロジーだとかに関係ないと思う?

でも、ここで話されているぜんぶが
実は関係あることなんだということが
あと数回読んでもらったら、
わかるようになっていると思います。
すでにメディア論には、なっているもん。

では、つづきの本文を、どうぞ。
今回も、本への愛情についての話だよ。

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糸井 でも、本への愛が
なくなったわけじゃないんでしょ?
荒俣 どこかで愛そうという気持ちは・・・。
糸井 (笑)ありますよねえ?
荒俣 最後のほんとに・・・
ひとかけらまで、最後の一滴まで、
愛せる要素があるのならば、愛そう・・・
そうなるんじゃないかなという感じはしますね。
糸井 荒俣さんでいうと本とかいったような
自分の中にあった価値体系が、
どこに価値があったの?
そうやってチェックを受けている時期が
今なんだと思います。
捨ててしまうなら今のうちに捨てないと、
みたいな感じで世界的に企業でも組織でも
どうしていくのかを、
模索しているような気がします。
捨てるなら捨てないと、自分の部屋の中に
新しいものが入らなくなってきますから。
荒俣 そうなんだよ。
年をどんどん取ってきたということは、
逆に言うと、
ゴミが増えてきていることでもあるから。
糸井 うん。
荒俣 以前に、本を
20代の女性のようにトータルで愛せれば、
例えばその人がちょっと捨てたハンカチでも
ありがたいなあと思って、
拾って、なめて、頭にのせても
良かったわけですよね。

だけども、相手が60歳70歳になると、
ただのゴミになって拾わなくなって・・・。

だから、生理的なものと切り離して本を見る時に、
本の愛せるところだけを選別して
デジタルなかたちにしてゆくというのは、
ひとつのきっかけになると思います。
たとえば紙をなくすということは。
糸井 「カミは死んだ」りするんだなあ。
荒俣 (笑)うん。

インパクはこちら。


2001-01-04-THU

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